先月は母の日がありましたね。読者の方々には一人暮らしをしていて、現在ご両親と一緒に住んでいないという人もいるでしょう。
私が初めて親元を長期で離れたのは1年間ドイツのフランクフルトに留学したときでした。初めての一人暮らしで私も少しは自立しました。
また離れて暮らしてみたことで、親のありがたみも前よりはわかるようになったつもりです。
留学生活は私に親子関係における多くの気づきを与えてくれました。特に帰国直前に母が留学先を訪ねてきたときは、母と子の関係について深く考えました。今回はその日々に感じたことについて書いてみます。
留学先に母が来た際は特に観光をしたりはせず、いつも通りの生活を共に送っていました。一緒に近所のスーパーに行ったり、留学中に知り合った人に会ったり。決して特別とはいえないけれど、観光に来るだけでは経験できないようなことを、私たちは楽しんでいました。
フランクフルトは私にとって住み慣れた愛着のある街。しかし母にとっては言葉の通じない異国です。フランクフルトで共に行動をする際には、私が母に街を案内したり、通訳をしたり、ときには身の安全を守る必要がありました。
そのため留学先での母は、私にとって「守るべき存在」に思えました。土地勘があり言葉がわかる私と、そうではない母。そのような状況で母と接したことで「母も一人の人間である」という当たり前のことを改めて実感したのです。今までに経験したことのなかった状況下でいわば母と出会い直したことによりもたらされた発見でした。
留学前はまだ、母親は「人間」というよりもあくまで「母親」であり、絶対的に正しく、そして完璧な存在であるという意識がぬぐい切れていなかったのだと思います。
確かに留学前も幼少期とは違い、親は自分の安全を確保してくれる存在でもなければ、怒らせたらこの世の終わりというほど恐ろしい存在でもありませんでした。しかし生まれてからずっと一緒に住んでいたこともあり、「母親」は「人間」というより「母親」という、幼少期に持っていた意識がまだ自分の中に残っていたような気がします。
しかし留学をきっかけに母と離れて暮らし、そして留学先という今までと違う場所、違う状況で出会い直し、母も一人の人間であるという当たり前の事実に気付いたのです。人間である以上、誰もが完璧ではありません。一人の人間である母が何が正解かなんてわからないながらも、姉と私を一生懸命育ててくれたことに思いを馳せ、感謝の気持ちが芽生えました。
そしてときにはお互いにイライラしたり、うんざりしながらも一緒に暮らしてきた日本での日々を懐かしく思いました。
留学期間にお世話になった人々に、母と一緒に会う機会がありました。フランクフルトで出会った人々は私の帰国を寂しがってくれ、私にとっても彼らとの別れはとても辛かったです。しかし同時に、異国の地でも多くの人と信頼関係を築けたということに幸せも感じました。母も、フランクフルトの知り合いや友人について「皆とても温かい人たちだね」と言っていました。このように、寂しくも幸福な帰国直前の日々に母も居合わせ、そして留学先の知り合いに母と共に会ったことで気付いたことがあります。
それは生まれ育った日本で、母をはじめとした周りの人々がそれぞれのかたちで私に愛を示してくれたこと。完璧ではない一人の人間である母が、一生懸命に姉と私を育て大切にしてくれたこと。そしてそのことが私に自信や他人を信頼する力を与えてくれたということ。
そのおかげで留学先で周囲の人と良い関係性を築き、そして力強く生き残ることができたということに気付き、ありがたく思ったのでした。
当然ながら、私は母と出会った瞬間を覚えていません。しかし留学先という今までとは違う場所、違った状況で母と出会い直せたことで多くの発見がありました。
母と子といえども違う人間なので意見が合わないときもあります。お互い人間である以上完璧ではないし、間違ったことを言ってしまう場合もあるでしょう。しかし今までと同じようにこれからも信頼しているし、母が私にしてくれるように、私も母に、そして他の大切な人たちに、一生懸命な愛を示しています。
親のありがたみなんてわかった気になっているだけで本当はちっともわかっていないんだろうけど、それでもいつもありがとうと心から思います。