人間関係に悩む人に伝えたい“誰にも媚びず、すべての人を愛す”ということ

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私はみんなに愛されていると勘違いしていた

人間関係に悩む人に伝えたい“誰にも媚びず、すべての人を愛す”ということ

突然ですが、私は以前、仲の良い友人に「あなたって自分が世界中のみんなに好かれてる、みたいに思っててすごいよね」と笑われたことがあります。


恥ずかしながら、確かにその当時は、「私はみんなのことが好きだし、みんなも私のことが好きだよね、うんうん」といったような幸せな考えをしていました。正直に言えば、今はもうそう思っていない、といえば嘘になります。


私のように“幸せな勘違い”をして、激しく自己を肯定することができると、生きやすいことは確かです。周りの人が基本的に自分に好意的だと思うと、関わる人に無駄な敵意を抱かなくなり、結果的に人間関係を良好に築けることが多いからです。


それに、強い自己肯定感を持ち、自分に自信があると、多少困難な状況に陥った際にも、自分なら乗り越えられると前向きでいられます。つまり、些細なことでは悩まなくて済むので便利なのです。また、こんな風に思えるようになったのは、今まで家族や親戚、友人などの関わってきた人たちが、愛をもって接してくれたおかげだと思っています。


ただ、ある出来事をきっかけに、実際世の中の全ての人に好かれることは不可能なことだと実感しました。

誰かにはっきりと嫌われるという体験

私はみんなに愛されていると勘違いしていた

私が「世界中の人に好かれることは不可能だ」と感じたきっかけは、日常的に関わりのある人から嫌われ、それをはっきりと態度で示される、という経験をしたことです。


あからさまに、激しく誰かから嫌われ、拒絶されるというその体験は、やはりショックなものでした。そしてはっきりいって、腹立たしくもありました。私から悪意を持って接したわけではないのに、なぜそのような大人げない態度を取るのだろう、と。


その人はある日、私のことが嫌いな理由を、面と向かって私に伝えてきました。その理由を聞いて私としても、思うことは多くありました。「え、それがそんなに嫌だったのか……」とか、「いや、そんな風に自己陶酔を含んだ善意を押し付けられても……」などです。


とはいえ、その人が面と向かって私と話す、という労力を費やしてくれたのは、今考えてみればありがたいこと。たとえ、それが私自身を否定する言葉であったとしても、です。そこで聞いた内容を踏まえて、多くのことに気付き、そして反省しました。何はともあれ、自分が誰かを不快にしてしまったというのは紛れもない事実です。

「誰にでも好かれる」という幻想

私はみんなに愛されていると勘違いしていた

そして何より、この経験を踏まえて強く思ったことは、「誰にでも好かれる」という概念が幻想であるということです。今まで「自分は誰にでも好かれている」というおめでたい考えを持っていたからこそ、そのことを強く感じたのでしょう。


きっと私も、“あからさまに私のことを嫌ったその人”に出会う前から、それなりの数の人から嫌だな、苦手だな、と思われていたはずです。その人たちはきっと、嫌だと思う気持ちを我慢してくれたり、私の短所より長所をみようとしてくれたり、関係を良好に保つため努力してくれていたのだと思います。もしくは、それほど関わる必要性のない人であれば、静かに私のもとから去っていったのでしょう。「私はあなたのことを憎んでいないし、悪意を持って接しているわけでもないんだから、私のことも嫌わないでよ」と私は思うけれど、世の中すべての人がそんな価値観を持っているわけではありません。


確かに、悪意のない誰かを憎むことは意地悪だし、それを態度で示すことも大人気なく、かつ不器用であると思います。しかし、それほどあからさまでなくとも、誰かに嫌われるということは、ある程度仕方のないことです。


もちろん、嫌われるよりも好かれる方が絶対に嬉しい。誰だって人に嫌われたいだなんて思っていないでしょう。けれども、この世にはさまざまな性格の人がいます。みんな多様な価値観を持っています。そしてどんな人も、全員から好かれる、ということはありえないのです。

相手を尊重し、自分も自分に正直であるために

私はみんなに愛されていると勘違いしていた

多かれ少なかれ、誰かに嫌われるのは仕方がないにせよ、なるべく多くの人と良好な関係性を保つためにはどうしたら良いのでしょう。相手に自分のことを嫌いにならないでほしいと願う一方で、常に自分自身に正直でいたいと思う私が、いや、むしろ馬鹿が付くほど正直に振舞うことしかできない私が、現段階で私が考えているのは、以下のようなことです。


自分以外の誰かの気持ちを完全に理解することはできないけれど、なるべく想像すること、そして少しでもお互いにとって心地よい時間を過ごせるよう努めること。少なくとも、自分に対して悪意のない人を憎まないこと。このようなことがつまり、目の前の人に愛をもって接する、ということを意味すると思うのです。


あとはもう開き直って、自分に正直であること。どうせ、多少なりとも嫌われることがあるのならば、相手にどう思われるかを過度に気にする必要はなく、自分らしくいるしかないと思うのです。相手が誰であっても、必要以上に取り繕ったり、媚びたりする必要はないのだ、と。


相手を一人の人間として尊重し、そして自分も自分らしく、正直であること。つまり、誰もを愛し、そして誰にも媚びないということ。今はこれを、人付き合いのモットーにしています。かく言う私も、4月からは社会人になります。もしかしたら数か月後の私が、この考え方を批判しているかもしれません。「大人になるほど、そんな馬鹿正直な姿勢は通用しなくなるの」、と。しかし今は、心の底からこのモットーを大切にしているし、願わくばずっと、このようにまっすぐに生きていたいです。

この記事を書いた学生ライター

Yukiko Ikeyama
Yukiko Ikeyama
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立教大学4年.1年間のドイツのフランクフルトに留学。のらりくらりと強く生きていたいです。

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