「君はいいよね、順調な人生で」ーー最近、友人から投げかけられた言葉です。帰国子女、留学、志望先の企業に就職。客観的に考えると、もしかするとそう映っても仕方のないことかもしれません。
ただ声を大にして言わせてください。「そんなわけなかろう!」。帰国子女という名前だけが一人歩きし、実は英語が喋れないコンプレックスに悩まされていました。そのため、留学を勝ち取るのも一苦労。毎日13時間の勉強に打ち込み、大学の派遣留学生及び国費留学生の権利をやっとのことで勝ち取りました。留学までの詳しい経緯は「私が今、アイダホにいる理由」をご覧ください。
そして、一生懸命勉強することに、同級生からは冷ややかな視線を浴びせられました。自分の成し遂げたい未来に進んでいるだけなのに、なぜこんなにも苦しい思いをしなければならなかったのでしょうか?
留学生活の全貌をお届けする連載『#人の留学を笑うな』第1回目は「大教室の最前列で勉強していたら、舌打ちされた話」というテーマでお届けします。
“意識高い系”という言葉をご存知ですか?前向き過ぎて空回りしている若者を嘲笑する際に「あいつは“意識高い系”だ」といった使われ方をします。
大学4年生となった今、大学生活を振り返ってみると、僕は“意識高い系”だったと思います。少なくとも、周りの人からはそう思われていたでしょう。
大学1年次から就活フェアに足を運んだり、セミナー荒らしのごとくジャンルを問わずイベントに参加したり、自己啓発書を読み漁ったり、学生団体を立ち上げたり…。
今思えば、その時の自分は「後悔しないことに夢中」だったように思えます。行動あるのみで、とにかくチャレンジすることが正義だと感じていたのです。
大学に入学してすぐにそうした行動を起こした背景には、後悔の連続だった高校生活があります。所属していたサッカー部の引退試合では、ゴールキーパーであった私の凡ミスで敗北。ブロック決勝という大舞台で、チームの皆の集大成を破壊してしまいました。
大学受験では第一志望では補欠止まり、ゴール目前にして散りました。準備不足と詰めの甘さが起因し、ここぞという場面で失態を犯してきたのです。
後悔することの辛さ、あの耐えがたい苦しさを2度と味わいたくない強い気持ちが、意識高い系の自分を創り出したのだと今は確信しています。
そうしたことで、大学進学をした4月、「後悔の種を植えない」ことをスローガンにしました。大学の代表として派遣留学生に選抜されること、第一志望の進路に進むことを決意したのもそのときです。
自分でも本当に勝ちとれるか半信半疑の目標でしたが、過去に苦渋を飲んだからこそ分かることで得たエネルギーは、想像以上に強力。今では、無事に目標に到達することができました。
ただ、同属意識がはびこるコミュニティーでは、そのエネルギーが大きな“負の摩擦”を生むこともあるのです。
目標にたどり着くために、必死で努力しました。連続的な成長を目指し、学内、学外問わず行動し続けました。大学の講義は全て最前列に着席し、「一言も聞き逃すまい!」と思って取り組みました。
しかし、そんなある種“意識高い系”の自分に投げられた言葉は、やはり悲惨なものでした。
「真面目ぶっててキモい」
「“意識高い系”うざいんだけど」
「プライド高すぎるよな、あいつ」
わざと聴こえるように発せられた陰口、SNSに書かれた言葉、直接言われた言葉等々。すれ違いざまに舌打ちをされたこともあります。頑張っていることを嘲笑され、心の底から悔しかったです。もし、あなたが大学の同級生からこのような言葉を投げかけられたら一体どう思うでしょうか?
ちなみに、私は「痛くもかゆくもありませんでした」!
と言ってみたいですが、当然そんなことはありません。ひどく傷つき、一時的に人間を怖がるようにすらなってしまいました。
ただ、今ではその言葉たちに心から感謝しています。その言葉があったからこそ、逆説的に強い意志や軸を手に入れることができたと思うからです。
私が知る限り、何かに邁進している人を批判している者、嘲笑する者の中に大成している人は誰一人いません。
……一体、なぜでしょうか?
人の足元を掬うことが生きがいの人間は、努力を否定することにより、自分が頑張らない言い訳を作っているからです。言い換えるならば、努力を肯定することから、自分の努力は始まると言っても良いかもしれません。
彼らのように人の努力を否定するのは、自らの怠惰を肯定すると同様に、至極簡単で卑怯な逃げの行為なのです。
人に厳しくする以上に、自分に対して厳しくする「自分にドSになること」って必要なんです。己の中に「もっとできるぞ、頑張れよ!」と鼓舞してくれるドSな鬼コーチを持てる人ってどんなときでも強いんです。
学生には、学外活動の一環として社会貢献をしたいと考える人がいます。世の中に価値を生み出そうと一歩を踏み出しているだけなのに、ボランティア活動などをする人を「偽善者」と表現する人がいます。横で聞いている人は、「偽善者」という言葉に悪い印象を持ち、傍観者たちの悪意ある言葉に引っ張られてしまうかもしれません。
しかし、私はむしろポジティブな印象を受けます。「偽善者」は「 優しい人になる過渡期」だと感じるからです。
同じことが意識高い系にもいえます。 最初から本当の意味で意識を高く、自分を律して行動できる人なんて誰一人いません。「頑張れる人になる過渡期」は飛び級できない必修授業のようなものなのだと私は考えています。
どんなトップアスリートだろうが、誰もが知るような経営者でさえも、「最初はみんな芝居をしている」のです。その中で試行錯誤を繰り返し、本質に徐々に近づいているはず。当時の私もきっと一所懸命、芝居をしていたんだと、今なら思えます。
でも、どうやって良いか分からなくてガムシャラに動くことしか出来なかったのです。きっと、とても不器用に笑えてしまうくらい格好悪く見えていたと思います。そのダサさが、すれ違うだけで舌打ちをされる原因だったのでしょう。
でも、誰に何と言われようと、凄い悲しい気持ちになっても、それでも自分が後悔しない道を歩むことの方が私にとっては大切だったのです。そうじゃないと、死ぬほど後悔した高校生の自分に顔向けできないから。
決して順風満帆に進んでこれたわけじゃないんです。何度も壁にぶつかって、その度に心がボロボロになるくらい悔しい思いをして、なんとか次のステージに行く扉をこじ開けてきました。私の今までの人生って、きっとそんな言葉がぴったりな、継ぎ接ぎだらけの不格好なものです。
でも、それでも自分が立てた目標は達成できました。過去の自分が頑張ってくれていたから、今の自分がいる。そう思えるのは、なんだか幸せだなって思います。「あのときに歯を食いしばって、頑張って、本当に良かった」。
舌打ちされて、たくさん悪口も言われて良かったって心底思います。今だからこそ言えるこの言葉で、連載第1回目を締めさせてください。
「人の留学を笑うな!」
アメリカの大学に交換留学生として約1年留学。 主にスポーツビジネスを専攻。 大学卒業後、大手スポーツ用品メーカーにて営業を経験。 OYO大学の一期生として2020年3月卒業。 VC陣に向けて行ったビジネスピッチでは審査員賞を受賞した。 現在は独立し、習慣化オンラインスクール「90 English」を起業。 経営者、上場企業の管理職、社会人、大学生まで幅広い層の生徒が所属し、英語の習慣化を達成している。 【サービスHP】 https://90english.studio.design