元来お調子者だった私ですが、13歳になる頃には“自己嫌悪100%ジュース”と化して生きていました。自己肯定感なんて空っぽで、自己否定の底なし沼にズブズブ浸かって過ごす生活です。
原因は、ある同級生から「気持ち悪い」と言われ続けたこと。ある日突然、同級生の男の子が、通りすがりに「気持ち悪い」と言ってくるようになったのです。
直接に理由を聞いても彼は無視するばかりで、一方通行な「気持ち悪い」だけが繰り返されました。私が転校するまでの1年間半、毎日、何十回、何百回と。
いったい彼が、どういう意図で、私の何について気持ち悪がっていたのかは今でも分かりません。しかし、毎日浴びせられる「気持ち悪い」は、確実に、私の自己認識を歪めてゆきました。
……自分の顔が異質に見えるようになったのです。
朝から晩まで鏡の前を離れられない。何時間も化粧をして、落として、また化粧をする日々。自分の顔がこの世の物と思えず、外出できませんでした。かつて彼の言葉のはずだった「気持ち悪い」は、いつしか私が自分自身にかける言葉になっていました。
15歳、病院の医師から、「身体醜形障害(醜形恐怖症)」を告げられます。
顔の否定は自分全体への否定にも拡大していました。治療期間中、周囲の方が「もっと自分を認めてあげて」と慰めてくれたことがありますが、それを実行できるほどの力はありませんでした。
外の日差しも、車のライトも、テレビの笑い声も、ひたすらに私が生きていることを責めている。
私はどうして死んでいないんだっけ。
そんな病的な思考を繰り返し、でも一人ではどうしようもない。永遠にも感じられる苦しさだけを感じていました。
しかし、18歳のとき転機が訪れます。後に恋人となる人との出会いでした。
何とか通い始めた予備校で、お互い名前も知らなかったのに、「よっす!あのさ、LINE持ってる?」と急に話しかけてきてくれたのです。
今でこそ彼とはかけがえない関係を築けていますが、最初は衝突の連続でした。
過去のトラウマから、私は不審者ばりに彼を避けたり、会話のときは教科書で顔を隠したり、彼の言動を全否定したりと、誤解を生む行動ばかりです。
ですが不思議なことに、彼は私との関係について諦めることなく、何度も何度も、話しかけ続けてくれました。
自分のトラウマのこと、逆に彼の過去のこと、今抱える問題のこと、互いに対する誤解のこと。……彼とは様々な話をしましたが、明るい話題よりも、各々の内面をえぐり出していくような会話が多かったと思います。
傷つけられたり、傷つけたりしたことも数え切れません。しかし、受け入れられたり、受け入れたりする機会もあって、少しずつ信頼が築かれていきました。
あるとき、顔の気持ち悪さを吐露する私へ、彼がこう言ったことがあります。
「整形したいなら、すれば良いじゃん。」
人生で初めて、顔へのコンプレックスが肯定された瞬間でした。
全身の力がぶわっと緩んで、今までの苦しさ全てが蘇り、報われた気がしたのを覚えています。当時、私の周りには「気持ち悪くなんてないよ」と優しい言葉で、コンプレックスを否定する人ばかりでした。
整形なんて以ての外で、それはまるで、出口のない部屋で一生過ごせと言われたよう。彼の言葉こそが壁をぶち破って、鬱屈を開け放ったように思えたのです。
実際、整形出来るか出来ないかは重要でなかったように思います。整形してもいい、その選択肢の提示が受容であり、私の心を溶かしました。この人は私がどうあろうと、変わらず私のそばにいてくれる。あたたかな感情が私に満ちて、顔への執着は次第に薄らいでゆきました。
自己肯定の難しさと格闘して約10年。
今では「明るくなったね」、「自信がちゃんとある」、「ポジティブになったね」。そう、声をかけてもらえることも増えました。10代の頃には考えられなかったことです。
最初は信じていませんでしたが、何人かの人が言ってくれるので、自分でも「そうなのかもしれない」と思えてきました。体感として、以前よりずっと物事が楽に、ラフに行えている気がします。
失敗で落ち込むことはありますが、改善できることを知っています。そして幾度も立ち直ってきました。いま、根拠なく、自分へ「大丈夫だ」と言い聞かせられることがあるのです。
行動的になり、自分の失敗も受け入れて、前向きで居られる。10代の頃より、私の自己肯定感はぐっと高まっているのかもしれません。
10代と20代の間には、さまざまなイベントがあると思います。高校卒業、大学進学、新たな友人や仲間との出会い、サークル活動、アルバイト…。
私はこれらのイベントの中で、自分のこれまでを振り返ったときに「恋人との関係」が、自身の自己肯定感に影響を与えたのではないか?と感じました。
恋人は、身内ではないけれど、完全な他人でもありません。家族間とも友人間とも違う空気感があります。だからこそ、さらけ出せることがあり、その過程で受容されたり認められたりする経験は、二人以外の人生でも大きな糧になるのではないでしょうか。
しかし、この考えに確証はなく、「なんとなく」の範疇です。
そこで、本連載では仮説「恋愛は、自己肯定感を高めるツールになるのではないか?」を、研究者や専門家に取材することで検証したいと思いました。そして、恋愛や自分の経験を深掘りし、自己肯定感の正体をあらわにして、生きやすい社会のためのヒントを探していきます。