言わずと知れた世界最高峰の大学の1つ、ハーバード大学。アメリカ・ボストン郊外に位置する私立大学です。
そんなハーバード大学の偏差値はどれくらいなのか。また、日本の最高峰の東京大学(偏差値日本一)よりもどこが優れているのでしょうか。
(出典:http://toshiboston.blog89.fc2.com/blog-entry-307.html)
偏差値といえば、70でも“超難関”と言われますよね。比較のために、早稲田大学で最も難しい政治経済学部で偏差値は73。日本で偏差値80の大学は、東京大学の理科Ⅲ類のみです。
……ちょと待ってください?
ということは、東大理Ⅲはハーバード大学と同じレベルということになりませんか?
しかし、ここに「偏差値」の落とし穴があります。この落とし穴にはハーバード大学の入学試験の方法が大きく影響しますので、まずは入試の審査項目を確認しましょう。
ハーバード大学の入試審査項目はこちらです。
・卒業した学校の勉強の難易度
・SATスコア
・TOEFLスコア
・エッセイ
・スポーツの実績やボランティア活動などの課外活動実績
・推薦状
GPAとは全ての教科の平均です。SATとは、簡単に言うとアメリカ版センター試験で、アメリカの大学に進学を希望する高校生のためのテストです。数学、読解、文法・エッセイを評価するSAT Reasoningと、科学や社会などの各教科専門のテストであるSAT Subjectがあります。
その他にも、エッセイや課外活動の実績も項目にありますね。これはすなわち、ハーバード大学が単純な勉強の出来や頭の良さだけでなく、人間性も評価の対象にしているということを表しています。
この審査方法はまだ日本ではあまり浸透しておらず、仕事とプライベート双方を大切にする海外の文化に根付いているものかもしれませんね。さて、ではこのハーバード大学の審査項目が「偏差値」にどのように影響するのでしょうか?
さきほど、ハーバード大学の入学試験では頭の良さだけでなく人間性も評価されることを確認しました。これは、勉強が得意な生徒がいれば苦手な生徒もおり、後者を尊重する方式でもありますよね。逆に、勉強ばかりである意味「頭でっかち」になってしまっている学生をふるい落とす方式ともいえます。
ではなぜこれが、大学のレベルを測る「偏差値」に影響するのか。
そもそも偏差値とは、能力を数値化して比較し、ランクにしたものです。たとえば「数学がどれだけできるか?」を全員共通のテストによって点数にすることで、「数学力」という能力を「テストの点数」という数値にし、それを比較して偏差値(ランク)を出しているわけです。
そうです!ハーバード大学の場合、数値化できるのは学校の成績やSATスコアなどの一部のみで、エッセイや課外活動実績など数値化できない人間性も評価の対象になります。このために、ハーバード大学の難易度は「偏差値」という方法だけでは判断できないのです。
これがタイトルの通り、「ハーバード大学の偏差値が測れない」理由です。冒頭の「偏差値80」というのは、恐らく、SATのスコアのみを換算した数字だと思われます。何度も繰り返す通り、ハーバード大学だけでなく、多くの海外の大学では「偏差値」では測ることができない項目も審査対象ですので、課外活動の実績が高く評価されれば、SATのスコアが少し低めでも入学できるかもしれません。
ちなみに……合格率は、5.9%です。
( さらに、世界で最も合格率が低いと言われているアメリカにある革新的な大学『ミネルバ大学』についてはこちら )
(出典:http://the10bestreview.com/top-10-universities-usa/)
ハーバード大学は2013年度の入学志願者数が3万4302人で、そのうち2032人が合格し、合格率は過去最低の5.9%だったことを明らかにしました。
東大の合格率が24.8% (2011年)であることを参考にしても、ハーバード大学の倍率が非常に低い数値だという事がお分かり頂けるのではないでしょうか。
ハーバード大学の偏差値で測れる部分は東京大学の理科Ⅲ類と同じレベルだと言いました。しかし、世界の大学ランキングで、ハーバード大学は長年上位の常連校なのにも関わらず、東京大学はなんと43位です。
この違いはどこから来るのでしょうか?
ハーバード大学で教鞭をとられている柳沢幸雄氏はこのように言います。
私がハーバード大学と東大でそれぞれ10年以上にわたり教鞭をとってきた経験から言うと、両大学の学生の間には能力や学力の面でそれほど差はありません。むしろ、18歳で大学に入学する時点では、東大生のほうが優れていると言ってもいいでしょう。
能力の点で差が無いにもかわらず、東大生はどこか自信が無さそうで、ハーバードの学生はいつでも自信満々です。授業をしていても、ハーバードの学生は躊躇なく手を挙げて発言します。
実を言うと、アメリカから帰国して初めて東大で教壇に立った時、私はショックを受けました。学生たちに覇気がなく、その目は死んでいるようだったからです。私があれこれ質問をぶつけても、隣の人を見るばかりで自分から口を開こうとしない。思わず「私は君に話しかけてるんだぞ!」と言ってしまったほどです。
東大生は無口だと言いましたが、大学入学時点でとても優秀でも、そのあと学生時代の貯金をどんどん食いつぶして、40代で伸び悩むのが日本人。私はこの原因が「発言不足」にあると思っています。一方、内容が正しかろうが間違っていようがとにかく発言しまくるアメリカ人には、そういう「落ち込みの時期」がないように感じます。
発言は、いわば真剣勝負の「他流試合」です。自分の持ちうる知識を総動員して発言し、反論されたり論破されたりしても、また発言を繰り返す。ところが、発言という他流試合を放棄して、不戦のまますごしていくとどうなるでしょう?
戦わないので「負け」はありません。そこで、大半の人が「不戦勝だ」と自分に都合よく解釈してしまうのです。不戦勝のまま生きてきた人は、他者とぶつかった経験がないから成長しません。自分に何が足らないのかわからないのです。ーーなぜ、ハーバードの学生は東大生より自信があるのか
いくら頭が良くても自分の事を表現する能力や、相手を説得する力、プレゼンする力がないとアメリカでは評価されない。つまりは、世界で評価されないということです。
だからこそ、ハーバード大学の入学試験では、「自分」をどのように説明するのか、説明できるどんな経験を積んで来たかも含めて評価されるんですね。
日本人が世界で戦っていくためには世界レベルのアメリカでも評価されるスキルを身につける必要があるのではないでしょうか。