スティーブジョブズは学生時代、一体何を考え、何をしていたのか。

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今回は世界を代表する起業家であり、芸術家であり、その名を知らない人はいないであろうスティーブ・ジョブズ氏の学生時代についてお伝えしたいと思う。

皆さんが知らない意外な事実も含まれているのではないだろうか。彼が学生時代に何を考え、一体どういう行動をとっていたか、その真実に迫った。


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リード大学入学

17歳でジョブズはリード大学に入学した。当時リード大学には自由を重んじる校風があり、ヒッピー的なライフスタイルで知られていた。 大学時代のジョブズもユダヤ・キリスト・イスラム・アニミズム・太陽神・思想・坐禅・食事・ヒッピー文化に心酔し、裸足で校内を歩き、一時は風呂に入らない時期もあったという。また、かなりの音楽ファンであり、ビートルズやグレイトフル・デッドなどの曲に聴き入っていた。

ちなみに、スタンフォード大学などのアイビーリーグではないのかと思われた方もいるかもしれないが、ジョブズは進学することは受け入れたが、学費面で在住者が優遇される州立大学や奨学金が出るスタンフォード大に行くことは拒否した。 ジョブズいわく、「スタンフォードに行くのは自分のしたいことがわかっている学生だ。そんなものはアートではない。」とのことで、もっとアートなこと、面白いことがしたかったと語っている。

 

大学中退

young-steve-jobs1そんな大学生活をスタートさせたジョブズだったが、18歳の頃、大学に半年間通ったが、興味のない必修科目を履修することを嫌がり、「両親が一生をかけて貯めた学費を意味のない教育に使うのに罪悪感を抱いた」ために中退した。 しかし中退後もリード大学のキャンパスを放浪し、コーラの空き瓶拾いや心理学科の電子装置の修理で日銭を稼ぎながら、哲学やカリグラフィー(西洋書道)など、興味のあるクラスだけを聴講するもぐりの学生として過ごし、合計18ヶ月をリード大学に費やした。 ちなみにリード大学はカリグラフィーで世界トップレベルの水準だった。

 

憧れのインドへ

abb8883419歳になり、導師を求めてインドまで旅をしたいと考えたジョブズは、旅費を捻出するため働くことを決める。 1974年2月にジョブズは実家に戻り、その日のうちにアタリを訪問、「雇ってくれるまで帰らない」と宣言してアタリの社長を引っ張り出した。社長に気に入られたジョブズは、40人目の社員として採用され、時給5ドルのテクニシャン(下級エンジニア)として働くこととなった。

入社後のジョブズは長髪で風呂に入らず、ビルケンシュトックサンダル(または裸足)でうろつく不潔な姿に加え、誰彼かまわず尊大な態度で接したため、同僚の大半から「失礼な奴」と認識された。

ジョブズはその後退社し、友人と共にインドにたどり着いたが、すぐに赤痢にかかって苦しむことになった上、放浪の末に想像とあまりにもかけ離れたインドの実態に失望した。

 

禅に目覚め、アタリに復職

url出典:http://xiaolongchakan.com/archives/4055781.html

結局その年の秋にはロスアルトスに帰り、鈴木俊隆を導師としてサンフランシスコで禅を学び、瞑想やスタンフォード大学の授業聴講などをし、自分探しを行った後、1975年初頭にアタリに復職する。

彼自身が「そんな若者に誰も投資したくないよ」と述懐するほど、当時の身なりはひどいものだったという。会社のPRをしたり投資家に会ったりするために周囲からは「良いスーツを買え」「髪を切れ」と言われ、少しずつ外見が整えられていった。

 

Apple 創業

studyJobs_01 ー「PC '76 Computer Show」に出展し、ブースでポーズを取る21歳のスティーブ・ジョブズ

そして21歳の頃、ジョブズがカリフォルニアに戻ってくるとジョブズとウォズニアックは地元のコンピュータマニアの集まりであったホームブリュー・コンピュータ・クラブ(「自家醸造」コンピュータ・クラブ)に参加するようになった。 その後、スティーブ・ウォズニアックと共にホームコンピュータ「AppleⅠ」を販売開始。 ジョブズ氏がアップル社を設立したのは1976年、21歳の時。仕事場は、自宅のガレージだった。 Appleという名前はその当時ジョブズはリンゴダイエット(当時の流行らしい)をしていたためとの説が最も言い伝えられた話である。 Apple Iの最初の取引で、約8000ドルの利益を手にした。Apple Iを大量に作って売ろうと考えたジョブズは、アタリ時代のボスであったブッシュネルに相談する。ブッシュネルは、ベンチャーキャピタルを紹介するが、ジョブズの話に興味を持てず、マイク・マークラを紹介した。マークラは、フェアチャイルドとインテルのストックオプションで財を成し、若くして隠遁生活を送っていたが、ジョブズの話に興味を持ち1976年11月にアップルに加わった。マークラは個人資産の92,000ドルを投資し、さらにバンク・オブ・アメリカから信用貸付枠を勝ち取った。1977年1月3日、ジョブズ、ウォズニアック、マイク・マークラの3人でアップルコンピュータを法人化した。

 

ジョブズと日本

b0007805_0391284ー 娘エリンと京都の金閣寺にて

ちなみに、ジョブズといえば黒のハイネックが特徴的だが、その理由の一つは日本が関係しているという。 理由の一つは、もう(投資家向けに)服装を気にする必要がない地位に上りつめたことはもちろんなのだが、もう一つは、日本の影響と言えるのだ。ジョブズは日本の工場に制服があるのを見て、アップルにも制服を導入しようとしたが、社内の猛反対にあった。そこで、自分だけの制服にしようと決めたという。

ソニー創業者の盛田昭夫氏に「(日本の工場では)なぜ、制服を着ているのか」とジョブズは尋ねていたらしい。彼(ジョブズ氏)は整理整頓されたものが好きで、初期にあったアップルの自社工場も「とにかくきれいにしろ」と言ったらしい。ちなみに着ているハイネックは、日本人デザイナーの三宅一生さんのブランドの製品だった。彼ははもともと日本的なものが好きだったことと、三宅さんを気に入っていたことから、購入したらしい。

わずか56歳という若さでこの世を去ったジョブズ氏。 スティーブ・ジョブズの実の妹であるモナ・シンプソンさんによると、ジョブズ最後の言葉は、「Oh wow. Oh wow. Oh wow.」だったそうだ。家族に取り囲まれながら、その肩越しを見上げて、この言葉がささやかれたそうです。steve-jobs

世の中に多大な功績を残しただけではなく、彼の精神は今も多くの人の心の中で生き続けている事は間違いない。 最後にジョブズ氏の学生生活を象徴するような、生前の言葉で締めくくりたいと思う。

I’m convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You’ve got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers.

私は、本当に好きな物事しか続けられないと確信している。何が好きなのかを探しなさい。あなたの仕事にも、恋人にも。 ーーSteave jobs

この記事を書いた学生ライター

Keiji Takahashi
Keiji Takahashi
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大学一年次よりスタートアップに興味を持ちアプリ開発/ベンチャーでのインターンシップを経験。 現在、学生の視野を広げるco-mediaとインターンシップから築く新しい就職の形InfrAを運営する株式会社Traimmuの代表。 サッカー観戦とジム通いが趣味。

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