今回は「意識高い系」という言葉について考えてみたく、記事を書いております。
タイトルでは「弊害」という言葉を使いましたが、これは「意識高い系」と呼ばれる人たちが社会に害を及ぼす、みたいな意味ではありません。私が「弊害」という言葉に込めた意味は読んで頂ければ分かるかと思います。
「意識高い系」という言葉、最近やたらと聞く機会が多いと思います。みなさんはこの言葉を聞いてどのような印象を受けるでしょうか?
・やたらと自分のプロフィールを良く見せようとする ・SNSなどで「意識の高い発言」を連発する ・有名な社会人との人脈などを必要以上に自慢する ・やたらと横文字・カタカナを使いたがる ・睡眠時間の短さを自慢する ・自分はスゴイと勘違いしているけど実力が伴っていない
などなど、いろいろ特徴はあるのではないかと思います。 そして恐らく共通して言えることは、どれも少なからずネガティブなイメージを含んでいるということ。
実際に会話で「意識高い系」という言葉を使ったことがある人は、上記のような人を揶揄する場面で使ったのではないかと思います。
実際に「意識高い系」という言葉をググってみると、こんな説明が出てきました。
“意識高い系”とは、元々はネットスラングで、インターネットで自分の経歴や人脈を過剰演出し、パッと見はスゴい人のように思えるのですが、実際の経歴や活動は大したことない人々のことを差します。こういった“意識高い系”はインターネットで遠巻きに見ている分にはいいのですが、口ばっかりで無能だったり、自分の体裁のために他人を貶めたりしてしまうので、彼氏や友達になってしまうと実は厄介なタイプです。
(出典:http://news.nicovideo.jp/watch/nw654611)
確かにこれを見ると、おいおい勘違いするなよ、と叩きたくなる気持ちは分かりますよね。
ただそこで少し考えてみたいのは「意識高い系」という言葉がひとり歩きしてはいないか、ということ。
口ばっかりで体裁だけ整えているような人も確かにいるかとは思いますが、実際には本気で何かをやってやろう・変えてやろうと思っている人だってたくさんいるのではないでしょうか?
そして、そういう野心を持っている人たちが「意識高い系」という言葉を聞くとどんな気持ちになるでしょうか?
本当に何かを頑張ろうと思っているのに、何かやろうとするとすぐ「意識高い系」という言葉でつぶされる。そんなことにはなっていないでしょうか?
確かにいわゆる「意識高い系」みたいな、勘違いを教えてあげないとダメな人たちも中には居るかと思います。 でもその人たちだって、もしかしたら今は何かが空回りしてもがいているだけかもしれない。ちょっと周りが伸ばしてやれば、勘違いしてる人じゃなくて本当に頑張る人になるかもしれない。
でもみんなが「意識高い系」って言うと、本当に何かに挑戦したい人たちはどう感じるでしょうか?
本当は一歩踏み出してみたいという思いがあるのに、そういう人たちを揶揄する便利な言葉があるがために躊躇している人ってたくさんいるのではないでしょうか?
「出る杭は打たれる」という言葉が日本にはありますが、私は「出る杭を伸ばす」という言葉があってもいいのではないかと思います。
もっと、出てくる人たちを引き延ばすような風潮があってもいいのではないかと思います。
実際、「意識高い系」の対になるような、本当に頑張っている人たちを一言で表現する良い言葉ってありますでしょうか?
あったとしても、恐らく「意識高い系」の陰に隠れてしまっていますよね。
でもそれっておかしくないでしょうか?
なんで人を伸ばす言葉より、人を揶揄する言葉の方が広まっているのでしょうか?
余談ですが、私は現在アメリカに留学していて、こちらの学生と議論することがよくあります。そこで気づいたことなのですが、アメリカ人って「That’s a good idea!」とか「That’s a very good point!」っていう言葉を非常によく使うんですよね。たとえ大したことない発言に対しても、です。
言語や文化の違いというのはもちろんありますが、日本で日本人と議論していてもこれらに代わるような言葉をそこまで頻繁に耳にすることはないように思います。
何が言いたいのかと言うと、アメリカではたくさん喋って目立つことが良しとされ、そしてそれを周りも受け入れ、伸ばそうとする傾向があります。
日本で言う「意識高い系」みたいな人がいたとしても、恐らく日本のような形で揶揄されることは比較的少ないのではないかと私は思います。
それに比べて、日本では「沈黙が美」みたいな文化もあり、目立つことは必ずしも良いことではなかったりする、だから「意識高い系」という勘違いしたような人たちに対して過敏に反応する。
一応断っておきますと、私は日本が大好きですし、こういった日本の美学は素晴らしいと思っています。
ただ、もう少しだけ、みんながみんなを引き伸ばすような風潮があってもいいのではないかなーと、そんな風に思います。
なお、海外と比較した日本の教育制度について感じることなどについては別の記事(意思を持たない日本人大学生)に書いておりますので、宜しければそちらも併せてご覧ください。
話がだいぶ逸れてしまいましたが、冒頭で触れた「弊害」という言葉に私が込めた意味をご理解頂けましたでしょうか?
頑張る人を応援するような良い言葉が「意識高い系」に代わって広く日本に浸透することを私は願います。
アメリカの大学に交換留学中の理系大学院生です! 「一人でも多くの方に留学を身近に感じてもらい、挑戦への一歩を踏み出して欲しい」という思いを込めて、留学コラムを書かせて頂いております。 また個人でも留学ブログを書いておりますので、宜しければそちらもご覧ください!