初めまして、僕は2年前に愛知の田舎から上京して、現在は都内の大学で商学部に在籍しこの春から3年生となります、田島明岳(あきたけ)と申します。
僕は趣味が海外旅行で長期休暇の度にバイトで貯めたお金を使うか、もしくは情けない話ですが、親に頭を下げてお金を出してもらうかして海外に出かけています。
主に僕が向かう先は発展途上国です。なぜなら安いからです(笑)。
そして純粋に生きているうちに多くの異文化、異人種に触れてみたいという好奇心があるからです。(最初はそのようなありきたりな動機だったのですが、旅を続けていく内に思わぬ方向に転がって行きましたが…..)ー ベトナムの街
僕はバックパックをする際は必ずただの観光で終わらせないようにしっかりと目的を定めます。
会いたい人、積みたい経験などをしっかりとクリアにし、そう思ったなら自分でコンタクトを取り行動するように心がけています。
はっきり言ってバックパックなんて誰でもできることですし、放浪することは知らない世界を経験するという意味では間違いなくいいことですが、それにさらに付加価値をつけるにはそこで何をしたいかをしっかりと位置づけし、あとは行動する勇気を振り絞るかどうかが重要になってきます。
バックパック中も誰と出会い、どの景色に感動し、どの悲惨な現実に心を苦しめられるかわかりません。 旅の中で自分の心が素直に興味や関心を抱いたことに従うことも必要です。可能性は自分で広げるものです。
僕たち日本人が美徳としている謙虚でいることなんて、海外では武器となるどころか重荷になります。 自分で行動できる強さをしっかり持ちましょう。もちろん安全面は確保しつつですが。(僕は何回か死にかけました。笑)
僕が行った国は、韓国・ベトナム・カンボジア・ラオス・タイ・ミャンマー・カタール・インド・ネパールです。これらの国々を周り心底思ったことは、地球は狭く、人は人であり、自然のエネルギーの壮大さは計り知れないということです。
飛行機で数時間飛んだだけで、顔のつくりや身長、言語がここまで変わるのかということにものすごく面白さを感じ、インドからネパールへ飛んだ時は飛行機で一時間飛んだだけで、インド系の顔にチベット系の血が混じることで若干中国人や日本人に近い顔になることに「おもしれぇえええええ!」と大興奮したのを覚えています。
人類が飛行機という大発明をしてくれたおかげで、世界は一つであり地球は一つの大きなシェアハウスなんだということを僕に感じさせてくれます。
僕たちはそれを見えない国境という線で区切り、ルームシェアをしています。
地球は狭いといっても70億ある人口を一つにまとめ上げるのは至難の業です。ですので、部屋を区切ることは大いに結構。
ただし、すべての人間、生き物たちが共有できるシェアルームをたくさん作る必要があります。
でなければシェアハウスの地球はただの壁だらけの廃墟と化してしまうでしょう。国境という目に見えない壁が、心に見える壁になってしまうのです。ー ラオスの子供たち
僕たちは人間です。地球上のすべての生き物の中で唯一、心というものを持ち合わせています。心が脳とどう違うのかは僕にもわかりません。
しかし、僕は人は心があるから涙したり笑ったりできるなどと言いたがるロマンチストなので、そこには言及いたしません。人間はどこの地域に行っても人間です。世の中にはいい人間や悪い人間が当然います。平気で人のものを盗み、お金をだまし取り、自分にメリットがなければ人のために働かない。そのような人間を僕は途上国で山ほど見てきました。
しかし彼らは貧困ゆえに今日明日を生きることしか頭にないのです。 置かれている環境がそもそも僕ら先進国の人間と大違いなんです。逆に僕たち先進国の人間は今日明日を生きるために必死になることを最後にしたのはいつでしょうか?
もしかしたらそんなことを意識したことはないかもしれません。
これは彼らと接するうちに、彼らが心の錆びた僕に教えてくれたことでした。 そんな彼らでも当然いい人間はたくさんいます。インドでは首都デリーの地下鉄で僕が電車から降りようとする前に、降りる人は関係なしに大群のようにホームから乗り上げてくるインド人たちに押され電車から出れなくなりました。
時間は空港までの終電10分前。
このまま降りれなくなったら帰国できないと思い英語で「どいてくれ」と叫んでいた僕はいつの間にか日本語で「どけっつっとんやろ!おいコラ!!」とつい封印していた田舎のヤンキー口調が爆発してしまいました。(インド人の方々すいません。帰国できるかどうかで必死だったんです。笑)
しかし、そんな僕を見かねてか、数人の電車の外にいたナイスガイなインド人が僕の手を引っ張ってくれて、電車内にいたインド人兵士の人も僕の背中をねじ込むように押してくれたおかげでなんとか脱出することができました。
また、細い道にたむろしている野良犬の群れを見てびびって通れない僕の友達に、インド人は手を差し伸べ、手を引いて犬を避け道を通してくれました。
そして宿では世界中から集まったバックパッカーたちがそれぞれの経験した話をし交流を深めます。体調が崩れたとき何度彼らに持参の薬をもらったか。僕はバックパックをして本当に人と人との出会いには、必ず意味があることなんだなと学びました。ー 道で出会ったインド人と
最後に壮大な自然について。
僕はこれまでさまざまな世界の自然を見てきました。自然には、人と街と共存する自然と、人間から離れて堂々とそびえたつ自然の2種類があると僕は考えます。確実にあなたの心を大きく動かすのは後者です。
僕はネパールでヒマラヤ山脈の山間から見える朝日を見に行ったことがありました。 少し太陽が顔を出したところで一気にあたりが眩しくなり、目の前にはオレンジの光の筋がサッと草花を照らす。10分前には暗かった空は次第に青みがかり、白い雲は悠々と空を漂い、山々は綺麗な雪化粧をしてこちらを見ている。
太陽は徐々に高くのぼり、地球は確かに回っているということをちっぽけな僕たち人間に感じさせてくれる。自然のさまざまな景色が一瞬で重なり目の前で繰り広げられていることに僕は感動が止まりませんでした。
そして「この景色は偶然でできたものというよりは、誰かが意図して作り上げたものではないか」、そのようにも感じました。僕は生の壮大な自然に触れて、世の中には偶然で済まされることがたくさんあるが、それらはもしかしたら意味のあることなのかもしれない、そう考えるようになりました。ー ヒマラヤの朝日
以上が、初めのコラムで僕が日本の特には学生の方々にシェアしたいことです。
次回以降はどのような経験をしてきたのかをより詳しくお伝えしていこうと思います。自分でいうのは大変おこがましいですが、僕はいい意味では度胸がある、悪い意味では先行きを考えないバカです(笑)。
”死ぬまでの間にどれだけの世界を見れるのか”がモットーの都内在住の大学生。途上国を自ら周り、先進国にいては気づかないその実態を調査する。夏からはアメリカ留学をし、途上国開発における分野で世界に貢献するのが将来の夢。