最近興味があって勉強しているものの1つに『NVC(Non-Violent Communication)』というものがあります。
と言うと、多くの方から「なにそれ?」と返されるので、今回はそのNVCについて紹介したいと思います。(出典:http://www.pakutaso.com/20140828216post-4417.html)
『NVC』というのはマーシャル・ローゼンバーグというアメリカの臨床心理学者が体系づけたコミュニケーションの方法で『Nonviolent Communication』の略称です。(出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4532318106)
日本語では『非暴力コミュニケーション』と訳されます。
「暴力」と聞くと、なにか物騒な、喧嘩?みたいな印象ですが、実際はそういうものではなくて、もっと私たちの身近にあるものを指しています。
インドのガンジーが「非暴力非服従」を説いたのは有名ですよね。彼のいう「暴力」は肉体的な力を行使するタイプの暴力だけではありません。人の気持ちを傷つける行為もまた「暴力」として扱い、実際に人間の社会には後者のほうが圧倒的に多いことを示しました。
身体的なものだけではなく、もっと日常にありふれた暴力をなくす、 「人を思いやるコミュニケーション」 それがNVCなのです。
「人を思いやる」なんてとても基本的なことに聞こえますが、意外とできなくて後悔したことがあるのではないでしょうか? 友人間や恋人間、ビジネス、外交まで、あらゆるシーンに通ずるこの「思いやり」が広まって、すこしでも世界が良くなれば…という思いで、NVCのエッセンスをここで少しシェアしようと思います。興味がでたら、ぜひ本を1冊買って読んでみてください。難しくないのでサクッと読めますよ。
マーシャル教授は著書のなかでNVCについてこう述べています。
NVCは私たちに本来そなわっている力、ー人を思いやる気持ちを引き出すことで、自分自身と、そして自分以外の人々との交流を容易にする。自分自身を表現する方法、そして耳を傾ける方法を見直すプロセスとも言える。具体的には、次の4つのことに意識を集中させる。観察すること、感情に気づくこと、必要としていることを明確にすること、自分の人生を豊かにするために要求することに。
1.『観察すること』
相手に何か伝えようとするとき、まずは状況を観察します。 ここで注意しなくてはならないことは、『評価』を観察にまじえないことです。 例えば恋人に対して、
「最近全然連絡くれないよね」
これは状況の観察と評価を混同しています。 「最近」や「全然」には主観的な評価が含まれています。 観察と評価を混同してしまうと、批判として受け取られ、反発される可能性が高まります。
観察と評価を区別するなら、
「1週間に1度は連絡するって先月言ってたけど、今月はそれより少なかったよ」
となるでしょう。 え?長い? そうです。言葉足らずなコミュニケーションは争いの種になりやすいのです。
2.『感情に気づくこと』
自分の感情を見極め、表現することでもっと容易に気持ちを通わせることができます。ここでの注意は「自分がどう感じているか」と「自分がどう思っているか」を区別することです。 例えば、
「あなたに愛されていないように感じる」
これはどちらでしょうか。 これは自分が思っていることで、感情ではありません。 感情の表現であれば、「かなしい」や「さみしい」となります。
自分の意見には当然批判される余地が残ります。一方、自分の感情はそれ自体が事実です。
3.『感情に責任をもつこと』
例えばデートの約束をドタキャンされて「がっかりした」とき。
NVCでは、このがっかりした感情の原因を「約束を破った恋人」とは考えません。 人の言動は私たちの感情を「刺激」することはあるかもしれませんが、それ自体が「原因」となることはなく、人の言動を受け取った時に「自分が必要としていること」や「期待していること」が感情の原因となるのです。
つまり、
「記念日なのにドタキャンされてがっかりしたよ」
という言い方ではなく、
「記念日を楽しみにしていたから、がっかりしたよ」
と伝えることになります。
NVCでは自分の感情の責任を相手に押し付けるのではなく、自分が自分の感情の責任を取ります。そしてその上で自分の必要としていることを相手に伝えるので、相手はより思いやりをもった反応をしやすくなります。
4.『人に対する要求』
曖昧な言い方を避け、肯定的な言い方で相手に要求します。 意識して生活していると、「要求」の形になっていない要求が日常に溢れていることに気づきます。
例えば、実家でよく耳にするのが、
「ごはんできたよ〜!」
です。 これは本当は、
「ごはんができたから、はやくリビングにきて食べて(配膳手伝って)」
という要求です。 要求の形になっていないので、
「ごはんできたよ〜」 「は〜い」 (・・・・・・) 「ご飯できたっていってるでしょーが!!」
という不毛な争いが度々起きます。 自分の要求をわかりやすい形で相手に伝えることで、 相手が行動しやすくなり、その結果自分の満足に近づくのです。
以上がNVCの4つの構成要素でした。 ここでは簡単にまとめてしまっていますが、上で紹介したマーシャル教授の著書ではもっともっと詳しく説明されています。
まだまだ日本では一般的ではないように思えるこのNVCですがどんどん広まればいいのになあと僕は思っています。
ただ、察することが美徳とされる日本語では、NVCのように自分の感情を素直に伝えることのハードルはなかなか高いんじゃないかと個人的には考えています。 また、主語をはっきりさせないので、責任の所在があいまいになったり、助詞や語尾のアレンジなんかでもかなりニュアンスが変わったり。 でもそこが日本語のいいところでもありますよね。
それと、無宗教国家の日本では特に、こうゆう目に見えないものが胡散臭いものとして捉えられやすいと思っているのですが、瞑想やコーチングなんかが受け入れられてきたりと、目に見えないものに価値を置く時代がこれからもっと来るのではないかと勝手に睨んでいます。
NVC、面白いと思うんですがどうでしょうか? 少しでも興味をもってくださった方がいれば、嬉しいです!
フィリピンで約1年間インターンを経験し、2015年は2年目の休学に入ってニュージーランドに滞在中。コーチング・NVC、経済学を学んでいます。