ーー丸山さんは、ケガによる3度の手術など、挫折を多く経験されていると思います。周囲から「プロは無理だ」と言われることもたくさんあったそうですが、一番の挫折は何だったのでしょうか?
周りから「無理だろ」と言われることはメンタル的にしんどいですが、「しんどいのは当たり前」だと思っています。もともとサッカーが上手いわけではないので、当然のことです。スター選手が成功まっしぐらで進んでいて、その中でつまずいた時を「挫折」と表現するんじゃないかと考えています。ですので、挫折するほど自分を高く見積もっていなかったというのもあり、本当の意味での挫折というのは無いですね。もちろんメンタル的に苦しかった時期はありました。
ーーその苦しかった時期について詳しく教えて頂けますか?
一番苦しかったのは2度目の大ケガの時です。20歳の時ですね。1度前十字靭帯と内側側副靭帯を損傷して手術していました。その後9か月間のリハビリを経て復帰したのですが、その復帰戦の前半15分で再断裂したんです。すぐに救急車に運ばれました。結果的に2年間サッカーから離れることになったので、その時期が人生で一番きつかったです。サッカーもできず、何もすることがないのでアルバイトばかりしていました。バイトをすれば一時的に心が埋まるじゃないですか。他にもケガを紛らわせるために、サッカー指導者の勉強を真剣にしていたこともありました。でもその間に、僕の同世代の宮市亮選手が注目され始めたり、宇佐美貴史選手がバイエルンミュンヘンに移籍したり、といったことを目にして、負けていられないのに頑張れないふがいなさがありました。当時20歳で、進路についても真剣に考えないといけない時期でしたし、それ故にメンタルも一番落ちていました。
ーーその当時の心境についてお聞かせ願えますか?
もともと僕は同世代のトップ選手に足下にも及ばない実力なわけですよね。対等だとは思っていませんが、一方的にライバル視はしていて、「25歳になる頃にはひっくり返してやる!」と思っていました。でもケガをしている状況で「俺はこの差をどうやって埋めればいいのか」と、大きな不安がありました。サッカーができない分、バイトや勉強をしましたが、他のことに取り組めば取り組むほど「今やっていることはサッカーに繋がってないよな」と自己嫌悪に陥ってしまいました。宮市選手や宇佐美選手が試合に出て経験を積んでいる間に「俺は何やってんだ」と。宮市選手がボルトンでゴールを決めた時、僕はバイクに乗ってピザを一生懸命運んでいました。だからサッカー以外のことに時間を割けば割くほど、厳しい現実に突き当っていました。一方、「何もしない」という状態も、前進するわけではないんですよね。サッカー以外のことで忙しくしてもしんどい、何もしなくてもしんどい、というずっと辛い状態でした。かなりの鬱状態だったので、街を歩いていても「トラックが自分に突っ込んできてくれたらその方が楽だな」とか、そんな変なことを考えてしまっていました。今思えば、人間的にも成長できましたし、その時期があってこその今だと思っているのですが、当時はそんな風に考えられなかったです。周りの人にも「いま苦しい思いをしているのが、2,3年後に生きてくる」と言われることがよくありました。でも僕はまともな精神状態ではなかったので、「あんた大ケガしたことあんのか!?膝を3回手術したことあんのか!?プロ目指したことあんのか!?」と感じていました。いま思うととんでもないヤツですよね。ありがたいアドバイスも当時は全然耳に入ってこなかったです。
ーーその辛い時期を経て、海外で入団テストを受けられていたと思うのですが、もう一度立ち上がることができたモチベーションは何だったのでしょうか?ケガでサッカーできなかった2年間で色んなことを考えていました。「俺本当にサッカー好きなのかな」とか「本当に自分がやりたいことって何なのかな」とか。「俺よりサッカーが好きな奴もいる」、「俺より本気で努力してる奴もいる」とかですね。でも考えれば考えるほど、頭の中がぐちゃぐちゃになっていることに気づきました。考え抜いた末に「俺より凄い奴はたくさんいるけど俺サッカー好きだし、haha」ぐらいのテンションでいいのかなと開き直れるようになりました。そうやって割り切れたところが強かったと思います。一番うまい選手や一番努力した選手がプロになるわけでもないですし、深く考えずに「サッカーしている時が一番楽しければ、プロを目指したらいいでしょ」と気楽に思えるようになったのが大きかったです。「自分なりに頑張ればいい」と思えたことが、もう一度ドン底から立ち上がって海外のテストを受けられた要因です。
ーーその後、スリランカでプロ契約を結ばれたと思うのですが、プロ契約に至ることができたきっかけがあったのでしょうか?
メンタル面の変化ですね。プロサッカー選手たるもの朝は決まった時間に起きて、朝ご飯はこれを食べて、誰よりも先に練習場に行って、8時間寝て、といった風に完璧に過ごさないといけないと少し前まで考えていました。でも実際にこれができる人って「世界にどれだけいるんだ?」という話だと思うんです。でも、自分はそういう理想通りの生活ができなくて、そのギャップに苦しんでいました。そんな時、昔からお世話になっている恩師の方に、「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」と、「サッカーが好きならそれだけでいいじゃん」と言われたんですよね。最初は「いや、頑張らなきゃダメだ」「苦しくてもやらなきゃ」と思っていましたが、険しい顔をする度にそういう言葉をかけてもらって気が楽になりました。自分は完璧を求めてしまうと言いますか、例えば練習中にシュートが入っても「まだまだ甘い。上のレベルに行ったら入らない。」とか、そういう風に考えるようにしていたんですね。だからこそ毎日苦しみました。でもその恩師の方からアドバイスをもらって、「一日一個いいプレーができたらいいじゃん」と、声をかけてもらったんです。積み重ねが大事で、100%は無理でも、納得できるプレーが1つできればそれでいいと。そのあたりから自分のプレーや性格を徐々に認めてあげられるようになってきたんです。おかげでプレーの質やメンタル的な部分も良くなってきて、少しずつ変わっていきました。自分を厳しく縛りつけなくても自分らしくすれば結果が出るんだと感じられるようになりましたね。
ーーその「自分らしさ」について詳しくお聞かせください。
僕は、自分の性格を分かっていて、感情の起伏がとても大きい人間だと思っています。でも以前は完璧を追い求めすぎて、喜ぶ感情や楽しい感情は横に置いていました。練習や試合でゴールを決めても、「それはプロ行くためには当然のことだよ」とか「喜んでいる場合じゃないだろ」とか。でも僕はもともと喜怒哀楽が激しくて、嬉しかったらとびきり喜ぶようなタイプだったので、今はもうその自分の性格にしたがって、いいプレーができたら素直に喜ぼうと考えるようになりました。あとは、自分が努力が苦手な人間というのも理解していたので、その代わりに苦労しようと思うようになりました。今までの人生を振り返っても、自分は努力しているというよりは苦労しながら前進しているということに気づいたんです。毎日コツコツ同じことを繰り返し、反復で自分を磨き上げていくというよりは、厳しい環境や難しい状況に身を置いて、苦労しながら自然と自分を鍛えるといった感じです。そっちの方が自分は得意だから、それなら苦労できる環境にどんどん飛び込もうという考え方ですね。そういう自分らしさ、「コツコツ積み上げるのは苦手だけど、人一倍しんどい環境に飛び込む事はできる」という部分に誇りを持てるようになりました。自分の得意な成長スタイルを理解するのは重要なことだと思います。
ーー丸山さんの強みは何だと思われていますか?
「辞めない」ということですね。何があってもサッカーを辞めなかったからこそ、下手な自分にもチャンスが巡ってきたと思います。やっぱり同じような壁にぶつかった時、途中でサッカーを辞めていく人の方が多いです。僕の場合は、日本がダメで、ベトナムに行ってテストを受けてもダメで、タイ3部の10チームくらいからも「要らない」と言われてきましたが、それでも続けてきました。大きな怪我をしても続けてきましたし、才能がないと分かっていても続けてきました。ですので、しいて挙げるなら「辞めない」ことが強みなんじゃないかと思います。シンプルな事ですけど、これは意外と誰でもできることではないと感じています。小学校の時に一緒にサッカーをしていた仲間で今もサッカーを続けているのは僕だけなんですよね。面白くなくて辞めたり、大学に入って辞めたり、入団テストで落ちて辞めたり、辞められる場面っていくらでもあるんですが、いかにそこで粘られるか。小さい頃から僕より上手い選手はいくらでもいた中で、なんとか続けてきたからこそ、競争相手がどんどん減っていったような気がします。
今まで自分の生き方を「リスクだな」と感じたことはないです。僕はズレてる自分が好きなんですよ。学校でも目立ちたがり屋だったので、応援団長をしてみたり、委員会の代表をやってみたり、同じグループの中で違うポジションにいるのが好きなんです。だから他人と違う行動をすることが自分のやりたいことになってきますし、そうしている自分も好きです。そんな僕のことを周囲の人たちも僕らしいと感じてくれていたと思うので、それも自分らしさだと思っています。逆に言えば、僕にとっては普通に大学に行って就職することの方がリスクです。なぜなら裏を返せば、自分らしくない世界で自分らしくないやり方で勝負しようとしてるわけですから。こうやって破天荒に生きている方が僕らしいのだとすれば、毎日大学に行くことは自分らしい行動じゃないんです。だから大学生を羨むことはないですね。何か嫉妬を感じるとすれば、面白いことをしている人、同世代で言うときゃりーぱみゅぱみゅさんなどの活躍には悔しさを覚えることはあります。自分と似た存在と言うと言いすぎかもしれませんが、自分自身の道をしっかり進んでいる人を気にしてしまうことはあります。
ーーそもそもなぜプロサッカー選手を目指そうと思われたのですか?
僕はやりたいことがたくさんあります。高校2年の時に自分のやりたいことをリストアップしてみたんです。例えば学校の先生、俳優、警察官、レーサーといった風に、キリがないのですが少しでも興味があれば書き出していきました。書いたなかで優先順位をつけると、プロサッカー選手は今じゃないとなれないと思ったんです。学校の先生は30歳になってからでも教員免許を取ればなれる可能性があるわけじゃないですか。俳優やレーサーも、もし本気でなりたいなら30歳を超えてからでも頑張ればなれるんじゃないかと思ったんです。でもプロサッカー選手は若くなければなれないという結論に至りました。
ーープロサッカー選手という職業の魅力はどんなところにありますか?
「人間力を高められること」がサッカー選手という職業の魅力だと思います。「自分がどういう人間か」を理解して、サッカーだけでなく自分自身をトータルで高めていく作業が、サッカー選手の仕事です。なぜならサッカー選手は1日2時間くらいしか練習しないんです。あとの22時間は自由に使えますよね。時間がたくさんありますし、自分を高めたいと向上心を持っているのがプロなので、自然と22時間の中で自分と向き合い人間的に成長するんです。だからサッカー選手は同年代よりも良い意味で老けていると思います。
ーーサッカー選手は世の中にどんな価値を与えていると思いますか?
僕は才能があるわけでもないですし、運動神経とか正直ないです。そんな僕でも「プロとしてサッカーができる」という事実が誰かの胸に響いて、「俺も頑張ろう」「私も頑張ろう」と思ってくれる人がいればすごく嬉しいことだと思っています。ですからこれからも自分が結果を出して一人でも多くの人に勇気を与えられるように前進したいですね。サッカー選手は、誰かが勇気を持つきっかけを与えられる存在だと思います。
それは2018年のロシアワールドカップに日本代表として出場することです。そのためにまずはチャンピオンズリーグに出場することですね。かなり厳しいのは誰よりも理解しているつもりですが、本気です。
ーー目標に近づくためのアプローチは具体的にどう考えられていますか?
まずは自分のプレーを磨くことに集中することですね。以前は同年代の選手を意識していましたが、今は同学年の武藤嘉紀選手や柴崎岳選手が日本代表で試合に出ようとも何も感じないです。そんなことより自分のことがとにかく重要だと思っていて、自分がしっかり結果を出す選手になれば他の選手は関係ないですから。今はとにかく自分を高めることに集中するだけです。 そしてチャンピオンズリーグに出るためには、リアルにその舞台を思い描いて、しっかり具体的なイメージを詰めることですよね。どんなスタジアムなのか、お客さんがどれくらいいるのか、ロッカールームはこういう雰囲気で、などを本気で想像し、そこに向かって計画するのが大事だと思っています。あとはその舞台に立つために、どこでプレーするのがいいのかを逆算することが大事だと思っています。正直今ヨーロッパでプレーしていないと逆算が立たないです。妄想と計画は違うので。ですので、どこかのチームに決まった段階で、もう一度しっかりプランを詰めようとは思っています。今はまず、ヨーロッパのどこかで契約して、そこからチャンピオンズリーグに向けて、しっかりプランを立てられるかどうかが鍵だと思っています。プランに基づいて、毎日目標に向けて自分が決めたタスクをこなしていく作業は、どこの国にいても変わらないです。相当しんどいですけど、目標を口に出して周りに公言し、それを日々実行することで前進できると思っています。