みなさん、なますて。庄山です。
1ヶ月ほど前に掲載されたコラム第1弾を多くの方にお読みいただき読者のみなさまには感謝の気持ちでいっぱいなのですが、このような気持ちとは裏腹にここインドでは、電車のドアが開くや否や東海道線東京駅始発で小田原駅まで帰るためになにがなんでも座席を取りたいお疲れ気味のサラリーマンもびっくりの椅子取りゲームが始まるくらい「おしあいへしあいもみあい」が毎日のように実施されています。
悲しいかな、この現象が電車の椅子取りゲームで終わらないのがインドです。ひとたびあなたがインドの道路に飛び出せば、一台でも多く前にいる車を追い抜いてやろうという熱き志を持った数多くのドライバーに出会えることでしょう。気持ちだけが先行しすぎて交差点に車が溜まりにっちもさっちもいかなくなっている光景を拝めることもしばしば。怒りを通り越して呆れる、をさらに通り越して諦観の境地に達し心穏やかにそれを眺めているのがインド生活歴4ヶ月半の僕なわけです。さて今回のコラムではこのような環境で働くインド人、と働く日本人が体験したインターン先でのエピソードをご紹介したいと思います。インターンを始めてから既に4ヶ月以上が経過し様々な体験をしてきましたが、とりわけ苦労したことの1つとして「口約束は約束ではない」ということが挙げられます。早速説明していきましょう。
前回のコラムでも少し書きましたが、僕はShepHertz Technologiesという会社でインターンをしています。この会社はアプリ開発者の方に向けてバックエンドのサービスを提供しています。彼らがアプリを開発する場合、フロントエンドを開発するだけでなくサーバー側の開発も行う必要があります。このバックエンド側の開発を行うには多くの時間とコストがかかるのです。
バックエンドの機能としてユーザー管理や認証システム、プッシュ通知などがありますが、これをアプリ開発者が作ろうとすると大変なので、うちの会社がそれを肩代わりして開発者にはUI(User Interface)やUX(User Experience)の開発に集中できる環境を提供しています。このようなサービスを日本のお客様に知っていただき、ご購入してもらう、というのが僕の仕事です。
インターンを始めて最初の2ヶ月(9~10月)はウェブサイトの翻訳ばかりをやっていました。うちの会社が日本市場へ積極的に乗り出していくのは昨年からでしたので、まだまだ十分に準備ができていない状況でした。僕はいわゆるITに疎く、もちろんプログラミングなんかにも触れたことなどなかったので翻訳作業ですら非常に苦しみました。しかし「IT革命」を「イット革命」と十何年か前に呼んでしまったどこかの先進国の首相よりかはリテラシーがあると自負致しております。
実はこの翻訳の仕事、最初はSales & MarketingのVP(Vice President)から「1日2ページ翻訳し続ければ1ヶ月で終わる」と言われていました。ところがどっこい「1日4ページ翻訳を2ヶ月続けて重要なページのみ翻訳完了」までしかいきませんでした。翻訳作業を開始してからどう考えても終わらないと違和感を覚えて相談に行っても、「1日2ページで1ヶ月」なんて言った覚えがないと言われる始末。そのVPが説明したときに取ったメモを見せても、そんなの知らんと言われる始末。
実はインターン先を決める際に「Job Description」というインターン時の業務内容が掲載されたものを見て会社を選ぶのですが、そこにもここまで翻訳の仕事が続くなどとは書かれていませんでした。このままではインターンが翻訳だけで終わってしまうと恐怖を感じた僕は、プライオリティの高いページを日本語訳し、VPと交渉後次の仕事へ進むことになったのです。
インドで生活をしてインド人と仕事をしてみて思うのは、今この瞬間の発言が次の瞬間には忘れ去られてしまったのではないかと思えるほどに考えがすぐに変わるということです。過去・現在・未来の線で時間を考えるのではなく、現在、というよりも今この瞬間にのみ集中している印象を受けます。
一般的に日本人は線で人生を捉える傾向が強いと思います。個人金融資産1,600兆円で企業の内部留保320兆円、死ぬときには平均3,500万円を残して死んでいき、死ぬときが最もリッチな日本人は少しばかり線で人生を考えすぎている感もありますが、それでもインド人が今この瞬間にだけ集中してしまっている感を拭えません。
その観点から上記で説明した翻訳騒動を考えてみると、彼らが「Job Description」を書いているときはインターン生のプログラムを計画的に考えるのではなく、会社の業務内容やインターンに対する漠然としたイメージを思い浮かべながら、自分の感性を信じてあるがままに書いていったのであろうと想像できます。
そしていざインターンが始まり翻訳の仕事が必要だと分かると急遽僕にそれを、これまた自分の感性を信じあるがままに説明してくれたのだと思うのです。しかし翻訳にかかる時間への下調べが雑または下調べをしていなかったことから想定をはるかに上回る量が僕の元へ下りてきました。
最初に説明されていた仕事内容そして仕事量と全く違うと僕が相談しに行くと、そもそもそんなこと言ってないと僕の疑問をするりとかわしてくるのです。「Job Description」を書き終わったとき、僕に翻訳の説明を終えたとき、彼らの頭からはなにを説明したのかが抜けているのでしょう。いや、抜けていると思うほどに見事に言ったことと今言っていることが異なるのです。
今でこそこのように冷静かつシニカルに分析していますが、当時は右も左も分からぬインドビギナーでしたので心にもやもやしたものを残しながらも翻訳の作業に取り組んでいました。このことに早く気づいていれば今後待ち構える大事件を回避できたのかもしれないのですが、残念です。この大事件そして営業やリサーチの仕事をするときに起きた「インド人を動かすことの難しさ」については次回以降のコラムで書きたいと思います。ここまでお読みいただきありがとうございました!失礼します。
【大阪大学 経済学部 経済経営学科 4回生】 小学校3年生から野球を始め、大学時代は体育会準硬式野球部で主将そして捕手としてチームを引っ張る。大手金融機関から内定をもらうも、自身のキャリアを本気で考えるために内定を辞退し、1年間休学をしてインドでのインターンシップを決意。インターン先のShepHertz Technologiesでは、日本企業への営業と日本市場のリサーチに従事。