ーーAdTAS(広告研究会)さんでは具体的にどういった活動をされているのですか?主に2つあります。 1つ目は、他の団体さんや企業さんからデザインの案件を受注して制作するといった受注案件をこなしたり、学生向けのマーケティングコンペなどに参加したりです。いわゆる対外的な活動ですね。アウトプットの場所です。 2つ目は、サークル内での広告の勉強会。こちらはインプットの場ですね。
ーーAdTAS(広告研究会)さんを設立したきっかけを教えてください。
毎年関東で行われるAdfesという広告研究会のイベントがあるのですが、大学2年の春に一人の観覧者として見に行きました。関東では広告研究会は割と盛んなのですが、関西はそうでもなかったので、僕としてはとても新鮮でした。実際に行ってみると何百人もの人が集まるイベントで、色んな大学の人たちが広告という同じテーマを共有して、熱を持って活動しているのを見た時に羨ましいと思ったんです。これはずるいなと(笑) ただ、当時神戸大学には広告研究会がなかったので、”じゃあ自分で作りましょう”という流れになりました。 学生団体として活動していたので、外部受注も契約書を結ぶわけではなくて、フィーを頂いていたわけではなかったんです。本当に自分たちの活動の一貫として、先方が了承してくれるのであればやらせてもらうという形でした。
ーー広告に興味を持ち始めたきっかけは何だったのですか?
興味のキッカケは本で、「コミュニケーションをデザインするための本」 という電通の岸さんという方が書かれた本です。その本の中で、いつもは流して見ていたような広告が、実は細部まで設計されていて、人を動かすために全力で取り組むところにビビっときたんですよね。自分が思っていた世界と実際の世界にすごくギャップがあって、”広告の世界おもしろい”と感じたのが、最初に興味を持ったきっかけですね。他にも広告の本をたくさん読みましたが、この本はバイブルで宝物です(笑)
ーーその後、広告のどういった点に惹かれていったのですか?
AdTASで2年ほど取り組んだのですが、飽き性な自分がこんなにも広告に魅かれるとは思ってもいませんでした。広告を作るプロセスは非常に論理的で、論理で固めなければいけないところはもちろんあります。ただ、「どうすれば人は動くのか」という広告の本質的な部分はとても人間的で感性が重要になる部分です。そういった「論理一辺倒ではない」ところに自分は非常に惹かれました。
AdTASを作ったのが大学2年の春で、その時にちょうど友達と「何でもいいからコンテストに出たいな」と話していたんです。とりあえずコンテストに出て優勝したいと思っていました。その後、学生のコンペを調べていた中で、これ面白そうだと思って応募しました。
ーー目標の優勝を達成されたと思うのですが、優勝した時の感情はどのようなものでしたか?
実は意外と嬉しくはなくて、微妙だったんですよね。もともとは勝ちたくて応募したので、当初の目標は達成したんです。ただ、自分たちが政策を提言して優勝はしたものの、実際に何も変える力は無いとと思いましたね。変化を起こしたいなら、国の中に入って、官僚になるなどして上に行かないと何もできないと感じたんです。本当に威勢よく吠えているだけだなと感じました。そういった当たり前の事を原体験として実感したんです。そういう意味では、ショックの方が大きかったですね。
ーー優勝特典が素晴らしかったとお聞きしましたが、どのようなものだったのですか?
コンテスト審査員で来られていた官僚の方々とのセッションが特典でした。元文科省・副大臣など、色んなお偉いさんが来られていました。僕は固定概念として「官僚=堅い」といったネガティブな印象を抱いていたんです。ただ、実際に話してみると国への課題意識を持っている方が多くて、解決へ向けて全力で取り組んでいる方がたくさんいる事ということをそのセッションで初めて知れたんです。すごく貴重な経験でしたね。 例えば、元文科省の方は「若者がもっと自由に留学できるシステムを作りたい」と思って文科省入られた方でした。自分が偉くならないとそのシステムを作れないから、頑張って副大臣になろうと決めていたらしいです。でも冷静に考えてみると副大臣になった時に自分のやりたい事を実現できたことって、かなりすごいですよね。省庁のトップクラスに登りつめるのってかなりの年数がかかると思うんですよね。それでも自分の目標を失わずに前進し続けたということだと思います。課題に対する熱量がないと、絶対無理だっただろうと感じました。そこで自分の中で官僚に対するイメージが変わりましたね。
広告に関しては、自分の興味の本質が「人の事を考える」ことだと気づいたのですが、それを企業選びの軸にはしなかったです。それってどの仕事での必要なことなので。(笑) AdTASでの活動で、クライアントのために受注をして作業をしていたのですが、僕はそこに魅力を感じなかったんです。そうではなくて、自分が直接関わっている人たちと接しているほうが自分が全力になれるんだと気づきました。外部案件の受注をプロジェクトリーダーとして行うよりも、自分が作った団体をどういう方向に導いていくかを考えるほうが向いていると思いましたね。そういった観点から事業会社を探していました。
未来国会コンテストから気づいたことは2つありました。 1つ目はどれだけ理想を語ったとしても、所詮学生で、政策に関して提言できないという無力感から、自分が何かをやりたいと思った時に、それを始められる環境や地位や能力はつけないといけないと思いました。 2つ目は、自分の性格に関わることでもあるのですが、明確に自分の成したいことがないので、官僚的な組織に入って10年20年勤めるのは向いていないなと思っていました。そういった観点で大企業は選択肢から消えましたね。
ーーその後、どういった事業会社に興味を持たれたのですか?
純粋にITに関心があったということもあり、ITを中心に企業を探しました。 変化のスピードが早い企業に行きたかったですし、ベンチャー企業に入ることも考えていました。 そこで色々な仕事をして、取り組みたい事業が見つかっても、活用できる能力を身に付けておきたいと思っていました。
ーーなぜDeNAさんを入社先に決められたのですか?
DeNAのインターンに参加したのですが、そのインターンが強烈な入社動機になった訳ではなく、その後の面接で複数の社員の方と話した時に、ここにしようと決めました。最後は勢いだったと思います。それまで、年俸や昇級、評価制度、人事、今後の事業展開なども考慮していたんですが、最後はフィーリングでした。論理的に、自分の判断軸で選んでも1社には絞れないと思うんです。 どれだけの情報を集められたら自分は納得するんだろうと思ったときに、その作業は終わらないなと思ったんです。企業を判断するときに、社員さんと会おうとするじゃないですか。例えばDeNAは1000人くらい社員がいるんですよね。正確に情報を集めようとすると約1000人と会うことになるじゃないですか。それはできないですよね。(笑) つまり、最後の最後は腹をくくれるかが重要だと思ったんです。この会社に入ると決めたときに覚悟を持って働けるかという部分です。 あるとき友人に「今業績下がっているけど大丈夫?」と聞かれたんです。そういうことを言われると気になるものだと思うのですが、不思議と考えが揺らいだりしませんでした。むしろ、「大丈夫じゃないけど、で?」くらいの感じです。他人に何かを言われても気にならないことに気がつきました。それがDeNAに決めた要因ですね。
30歳までに結婚して、50歳で仕事を辞めるということだけは決まっています。それ以外は決まっていないですね。最近興味があるのは宇宙開発領域やハードウェアですが、その中で具体的にどんなことをしたいかまではイメージがつきません。時間とともに変化するものでもあると思っています。 ただ、自分が人生をかけてコミットしたいものが見つかったときに、必要なスキルがなければ何も始まらないので、いま自分が一番興味のある事業立案やマーケティングに強くはなっておきたいです。チャンスが来たときにチャンスを掴めるように準備しておきたいです。
ーー最後に学生読者に向けてメッセージをお願いします。
本当に何かに没頭する、我を忘れるほどに夢中になる経験をして欲しいです。それはどんな活動でもいいと思います。恋愛でもいいですし、本当に何でもいいと思います。 その時、自分の直感に従って全力で取り組めば、それが何であれ得られるものは実はジャンルに問わず一緒なのかなと思います。例えば恋だと、相手のことを考える力が得られるわけじゃないですか。それってAdTASの中でも得られることなので、ジャンルによって得られるものは本質的には変わらないと感じています。体育会で部活に没頭するのもいいと思いますし、とにかく何かに没頭してそこに真摯に向き合えば、得られることが絶対にあります。そういう意味で、何かに夢中になる経験をしてみるのは重要だなと学生生活を振り返って思います。
大学一年次よりスタートアップに興味を持ちアプリ開発/ベンチャーでのインターンシップを経験。 現在、学生の視野を広げるco-mediaとインターンシップから築く新しい就職の形InfrAを運営する株式会社Traimmuの代表。 サッカー観戦とジム通いが趣味。