昨年の夏、私は人生で何回目かの引っ越しをしました。新居はこれまでと同じブライトン市内ですが、今度は同棲するという点で、これまでにない新鮮な感覚もありました。新たな暮らしにも慣れてきたところで今回は、私たちが経験した怒涛の物件探しを振り返ります。ついでに、ブライトン/イギリスでお引越しする際のティップスも紹介していきたいと思います。
私たちが物件を探す上で一番の条件に設定したのは、「家賃が1,000ポンド以下(日本円で約19万)」ということでした。8月末に退居することになっていたので、まずは6月頃からこの家賃基準で家を探し始めました。
Rightmove や SpareRoom などの賃貸情報サイト(日本でいうホームメイトやSUUMO)で、物件を絞り込むためにエリアや家賃などの条件設定をしていきます。しかし1,000ポンド以下では、どれだけ探してもワンルーム物件やシェアハウスしか出てこないのです。正直、背筋が凍りました。家賃19万円と言ったら、港区のちょっとおしゃれな1LDKにも手が届きそうです。それがブライトンでは不動産物件の最低レベルとは、たまったものじゃありません。
結局私たちが探している1LDKや2DKは、家賃1,200ポンド以上(日本円で約22万円)が相場だと分かりました。私たちはここからパソコンの画面に穴を開ける勢いで賃貸情報サイトを何時間も閲覧し、できる限り低家賃の物件を探すことになるのです。
「ひとつ確認しておきたいのですが、あなたの年収は家賃の36倍ありますか?」これは、ある物件を見つけて不動産屋に電話し内見したい旨を伝えたところ、相手が訊いてきたことです。一度耳を疑いました。家賃の36倍を計算してみるとこちらの管理職レベルのお給料になります。そんな年収は私たちにある訳ありませんでした。休学して仕事を始めてから自分も多少は経済的に自立したと感じてはいましたが、これはどんなに頑張っても今の私には届かない収入額です。その内見は辞退させられました。他にも、定収入のない事を前提とされる学生という職業が減点となり、門前払いされることが多々ありました。
年収や職業を理由に不動産屋が内見や賃貸契約を断ってしまうのは、イギリスに限らず一般的に行われていることかもしれません。しかしそれは、お金のある人だけが家を借りられる/買えるようにするための仕組みが当たり前に機能している、という社会の異常な状態とも思えるのです。選択肢の無い人たちが路上で寝ようがネットカフェに泊まろうが、社会が人々に関心を持たなくてもいいとされているのは大変恐ろしいことです。
家探しの厳しさを更に思い知らされることとなった印象的なエピソードがあります。退居まで一ヶ月を切ったあるとき、家賃も立地も、広さも好条件な家が見つかり、内見に行くことになりました。ちなみにこの物件は、不動産屋を介さずに大家さんと直接連絡を取ることのできるOpenrentというサイトで見つけました。他にもGumtreeやフェイスブックのグループなどでは大家と密に連絡を取ることができるので安心だし、良心的な大家に巡り会える確率も大なので、このようなプラットフォームを使うことを私はおすすめします。
さてその物件に到着すると、外にはペンキや木材が置いてあるのが見え、開けっ放しの玄関から顔を出した大家のRさんに迎え入れられました。案内されると、私たちは早速この家を気に入りました。よく見るとリビングの天井に花模様が彫刻されていたり、部屋の隅に置いてある木棚はアンティークっぽくて深みのある感じだったりして、まだリノベーション中とは言え全体的に落ち着いた上品さがありながら、ディテールにはちゃんと個性が宿っているという魅力が、この家にはありました。おまけに大家のRさんとそのご主人はとても感じのいい人たちで、二人も私たちに好印象を持ってくれたようでした。「これでやっと、家が決まるかもしれない!」私たちはこれまでにない手応えを感じ、帰り道に寄ったカフェでは、家具はどこに置くか、テレビをどこに設置するかなど、興奮気味に随分と先走りした話をしたものです。
しかし後日Rさんから、ブライトンで仕事をしているカップルが住むことになった、と連絡が入りました。そのカップルが家賃を200ポンド値上げすると提案したことが決め手となったらしいのです。まるで賃貸物件を競売にかけるような仕組みがあるとは思いもしませんでしたし、仮にそれを知っていても値上げできる経済的余裕など私たちにはありません。それに彼らのような社会人には、この物件以外にもたくさん選択肢があるはずでした。内見に受け入れてもらえるのもやっとの私たちにとって、この機会を逃したのは計り知れない痛手だったのです。
新学期の9月に近づくにつれてまともな物件の母数が少なくなり、私は仕事を休んでまで家探しに取り組んでいました。またこの頃から、胡散臭い大家に出会う確率が一気に上昇しました。異国の地で家が見つからずに不安な思いをしている留学生の立場を利用して、悪徳大家がお金を巻き取ろうとしたり理不尽なことを強要してきたりするのです。
私の知り合いで中国出身のHくんは、切羽詰まって家の写真を確認した後すぐに賃貸契約しました。でも蓋を開けたら、実はそこら中カビだらけのとんでもない物件だということが分かったのです。Hくんが撮ったその家の写真には、人が人としての生活を営むには非常に困難な住環境が記録されていました。カビを吸い込んで、肺やその他内臓機能に異常をきたす可能性も十分にあります。しかももっと酷いことに、Hくんには保証人がいなかったため、契約時に6ヶ月分の家賃を払ってしまったそうなのです。このような話を私はよく聞きます。留学生がイギリスの文化や法律に馴染みのないのをいいことに、大家が学生のお金を騙し取ったり、場合によっては健康被害を及ぼしたりするなんて、決して許されてはなりません。
保証人はイギリス国内に物件を所有していなければならないので、友人の家族や大学のスーパーバイザーに思い切って聞いてみるのも手です。また内見に行けない場合は、契約する前に写真だけでなく必ず動画を送ってもらったり、ビデオ通話で家を見せてもらったりしてください。
退居まで三週間弱残したギリギリのところで、ついに家が決まりました。内見をした10人以上の候補者の中から、大家のAさんが私たちを選んでくれたのです。印象に残っているのは、内見の途中にAさんがこう言ったときのことでした。「僕はこの家を一番必要としている人に住んで欲しいんだ」ふと、壁に掛けられた前の住人と思われる写真が目に入りました。母親が赤ちゃんを抱き上げる姿が写っています。それを見てAさんが「前は東欧出身のシングルマザーと小さな男の子が住んでいたんだよ」と続けて言いました。この時、私は当事者以外の誰かに初めて自分たちの経験を認識してもらった気がしたのです。収入、職業や家族構成など、様々な理由で住居の権利・住まいの社会保障から排除される人たちのことを、見て見ぬ振りをしないでいる人もいるのだ、と。
他のテナント候補者には、私たちよりも好条件な人がいたはずです。それでもAさんは、特権層だけが得をして、それ以外の大多数が切り捨てられる今の社会構造を、問題視せずにはいられなかったのだと思います。Aさんが私たちや移民の親子に「住んで欲しい」と言ったのは、私たちへの同情よりも、Aさん自身の信念と社会へのささやかな抵抗の表れだったのではないかと今では考えています。
このような経験を通して、一つ実感することがありました。それは、弱者が平気で見捨てられる社会で生きる今、私たちが手を取り合い、新たな社会のかたちを創造する意思を持つのが大切なのだということ。そして、そんな未来づくりに私も携わりたいと、そう強く思うのです。
園生りこ(ライター)
University of Sussex 在学。徒然と、心叫ぶままに書いていきたいです。私だから思うこと・皆さんにお伝えしたいことを勇気を出して言葉にする、それが大事だと思って頑張ります。