パラダイムという言葉を、皆さん一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。ビジネス書などを見ると、「パラダイムシフト」のような形でこの言葉が目に入るでしょう。
しかし、いざ「パラダイムとは何か?」と問われると、なんとなくのイメージは掴んでいても、はっきりとした定義はご存じないのではないでしょうか。
現代において、パラダイムの意味は大まかに、特定の時代や地域等における「支配的な(思考の)枠組み」として使われることが多いですが、元々この言葉は科学哲学という分野の学術用語から生まれました。
このようにパラダイムという言葉は、学術用語が意味を変えて世の中に広まったという特殊な起源をもっており、そもそもはっきりとした定義を与えるのが難しいと言えます。
そこでこのコラムでは、学術用語としての「パラダイム」からこの言葉をとらえることで、この言葉の曖昧さや有用性、危険性をきちんと捉えることを目指します。早速、元となった学術用語の「パラダイム」の意味を見ていきましょう。
水野航資(ライター)
大阪大学文学部一回生。中学時代から倫理に興味を持ち、エッセイを書いたり、哲学や倫理学の勉強会を開いたりした経験を生かして現在の大学に総合型選抜で入学。入学後は大学のサークルで哲学カフェの開催や哲学史の勉強会などを通して、コミュニケーションの限界について考えている。
パラダイムという言葉は英語の「paradigm」から来ているのですが、この言葉は元々「典型、模範」といった一般的な意味しか持っていませんでした。この言葉が科学哲学の学術用語として世に現れたのは、1962年に科学哲学者、科学史家のトマス・クーンが『科学革命の構造』(『The Structure of Scientific Revolutions』)を出版した時です。
「パラダイム」はこの本の序盤において、
(1)他の科学活動のやり方から人々を離脱させて引き寄せ、継続する支持者グループを形成するくらいに前例がなく
(2)引き寄せた人々が解くべき未解決な問題が残されるほど未完成な科学的成果
と定義されます。パラダイムとは元々は特定の研究の結果(成果)のことを指していたのです。現代でよく使われるパラダイムとはかけ離れた定義ですね。ではなぜこの「パラダイム」からどのような経緯で我々になじみのあるパラダイムの意味を持つようになったのでしょうか。そのためには『科学革命の構造』の内容をもう少し深堀りする必要があります。
『科学革命の構造』は、その名の通り科学革命がどのようにして起こるかを説明する本なのですが、この本によると科学は通常科学と科学革命の二つの段階に分けられます。
通常科学の段階では、中心となる科学的成果(すなわち「パラダイム」)は研究者コミュニティに共有され、それをもとに研究が進められます。しかし、研究が進むにつれて「パラダイム」をもとにした理論では説明がつかない事象が現れ、それが理論の軽微な修正では対応できないようなほどの量積み重なると、通常科学は科学革命へと移行します。
科学革命において、既存の「パラダイム」は放棄され、新たな「パラダイム」が探索されます。そして新たな「パラダイム」、すなわち科学の基礎となる理論が採用されるのと同時に研究の手段や目的もその理論に基づいて一新され、再び通常科学へと戻ります。
クーンはこの「パラダイム」が切り替わる過程が科学にあり、それゆえに科学は単なるデータの積み重ねではなく、理論の洗練と放棄の繰り返しによって成り立っている、と主張するのです。
従来の科学観を覆すような考えを示したクーンの『科学革命の構造』ですが、その理論の大胆さと目新しさからその後の学会に大きなブームを作り出しました。どうやら一時期のアメリカの学会では、著者クーンの名前を使って「君は“クーン病”(Kuhnian disease)にかかったか」 などという会話が交わされていたことすらあったとのことです。
その勢いはさらに広がり、科学史・科学哲学の内部にとどまらず、社会学や経済学の一分野をはじめとした多くの学問で「パラダイム」という言葉が使われるほどでした。 このように一世を風靡した「パラダイム」論ですが、次第に批判を受けるようになります。特に我々が注目するべきは、「パラダイム」という言葉がその大元である『科学革命の構造』においてすら、様々な意味でつかわれていてその意味をひとつに確定できない、という点です。
ある研究によると、この本(『科学革命の構造』)においてパラダイムという言葉は21通りの使われ方があるらしく、パラダイムという言葉がとても曖昧に使用されていたことがよくわかります。このような用語の曖昧さがあるにもかかわらず、この用語の意味の一側面だけを切り取って他の学問や社会理論などで応用 されつづけたため、パラダイムが "ある社会/時代において支配的な価値観" といった意味を帯びるようになったのです。実は、一連の批判や受容のされ方から、パラダイムという語の曖昧さや語が乱用された事実を反省し、クーンはパラダイムという語を使うことを控えるようになりました。
前のほうで、パラダイムという言葉が元の著作とその俗用の二つの原因によって意図が極めてあいまいとなったその経緯を述べてきましたが、これほどの問題点がありながら『科学革命の構造』は「実際の科学を考察した」 として大きな評価を得ている側面があります。このことからも、今なおパラダイムという言葉が使われているように、パラダイムにはこの表現でしか表せないような要素があるのでしょう。ではその要素は何でしょうか。
現代においてパラダイムの意味は大まかに、特定の個人/時代/地域などにおける「支配的な(思考の)枠組み」と要約することができるでしょう。ここで考えてみてほしいのですが、このような状況を端的に表すことができる言葉がほかにあるでしょうか。パラダイムの類義語を調べてみても、価値体系、社会意識、思考回路など、あまりパラダイムの代役ができるような言葉は見当たりません。それだけではなく、パラダイムという語は「パラダイムシフト」という表現からもわかるように、枠組みの変化についても語りやすく、さらに思考の枠組みという言葉にとどまらず、人々の価値観や状況を含めた「支配的なもの/構造」といったより包括的な表現ができることも重要でしょう。この点は欠点で述べた言葉の定義があいまいであることと表裏一体であるように思われます。
「パラダイム」という概念は学術用語として新たに意味を与えられ、学問や社会に大きな影響を与えました。ですが、学術用語の時点で21通りの使用例があり、その曖昧さが指摘されました。クーンは「パラダイム」という学術用語を撤回しましたが、専門領域である科学哲学界からの反応とは裏腹に、他の学問や社会活動をはじめとして世間で大流行し、より曖昧な定義の中でおおまかに「支配的な枠組み/思考」という意味で定着しました。最後に、この特徴を踏まえて、我々はこの言葉をどう使えばよいでしょうか。
今まで触れてきたとおり、この言葉は語源からして曖昧な定義であることがはっきりしている言葉です。当然曖昧さもこの言葉の強みになりうるのですが、物事を真剣に考える際には警戒しなければなりません。極端な話を言えば、パラダイムという言葉を使ったとき、それは本当に存在しているのかどうか、と問いかけるべきでしょう。というのも、パラダイムという言葉のとおりに支配的であるかどうか、そして支配的であるとして何に影響を与えているのか、ということを考えずにパラダイムという言葉は真に意味を持ちません。何か否定しがたいほどの価値観があったとして、それは個人や特定の集団にしか影響を及ぼしていないのではないか、ということを考慮するべきです。
実のところ、クーン自身も自然科学以外の分野に「パラダイム」は存在しないと主張していました。自然科学ですら確固たる学説と思われていたものが変化するのですから、世間の価値観を簡単にとらえられるはずもありません。パラダイムという言葉が実際のところ何をつかんでいるのか、我々はその都度判断する必要があるでしょうね。
公開日:2024-01-11