外務省勤務から下着業界に転身し、自身のランジェリーブランドを立ち上げる。そんな異色の経歴を持つ栗原菜緒さんは、「夢を持つことは辛いこと」だと語ります。
一見マイナスな意味にも聞こえますが、夢を叶えるために努力をしてきたからこそ生まれる、リアルさがにじみ出ています。
栗原さんは夢の実現のためにどのように行動し、どのように乗り越えてきたのでしょうか。好きなことを仕事にする栗原さんの経験を聞き、夢を持って生きること、働くとは何かについて考えます。
ーー現在はランジェリーブランドの代表を務めていらっしゃいますが、以前は外務省で働かれていたと伺っています。キャリアチェンジの背景について、お聞かせください。
栗原:私が外交官になった理由は、世界における日本の存在感を高めるためです。大きな希望を持ち、外務省に非常勤公務員として入省しました。
しかし現実の仕事はそうでなく、国の現状を維持するための、調節役だったんです。もちろん勤務年数によるものでもあり、日本という素晴らしい国が、これからもそうあり続けるための仕事ですから、それ自体が悪いことではないと思います。しかし私はフリーダムな性格なので、現状維持のためには生きられないと思い、外務省を退職することにしたんです。
ーー退職後のキャリアは考えていらっしゃったのでしょうか。
栗原:いえ、何も決まっていませんでした。高校生のときに外交や政治に興味を持ち、大学在学中に外務省でアルバイトを始めて、卒業後もずっと働いていました。ですから、それ以外の道は全く考えていなかったんです。
夢を主軸に生きてきたようなものなので、退職を機に突然夢がなくなり、ひどく落ち込みました。自分の意思で退職したのですが、大手企業に就職している大学の同級生と、フリーターの自分を比較しては、焦っていましたね。
ーーどのような経緯で、ご自身のランジェリーブランド立ち上げることになったのでしょうか。
栗原:信頼している方から「好きなことを仕事にしたらいいよ」とアドバイスをもらい、その言葉を素直に信じたんです。
好きなことは何かを考えていると、中学生の頃からランジェリーが好きだったことを思い出しました。中でも、イタリアやフランスの、アートな世界観のあるインポートランジェリーが好きでしたね。
しかしそれらのブランドは求人募集をしていませんでした。とはいえランジェリーの世界に飛び込みたく、アートな世界観とは真逆の補正下着の販売員にキャリアチェンジしています。
実際に働いてみて、日本のものづくりの技術力が先進諸国と比較して高いことを知りました。しかし、機能性に偏っていて、デザイン性がない。「せっかく素晴らしい技術があるのにもったいないな」と感じました。
そこで、インポートランジェリーの美しさと日本の技術を掛け合わせた理想の下着を私がつくろうと決意し、自身のブランド「NAO LINGERIE(ナオランジェリー)」の設立を決めたんです。
ーーすぐにブランドを立ち上げるのではなく、コンサルティングやマーケティングのアルバイトを経験されていますよね。
栗原:ブランドを成功させる方法を考えた結果、マーケティングやブランディングについて深く知ることが重要だと思いました。そこで、まずはコンサルティングファームで修行することにしたんです。自分でも考えられないほど、ブラックに働きました。当時はかなり辛かったのですが、結果としてブランド設立に役立つ経験をしたと思います。
経営に関する知識を身につけたので、今度は不足していたデザインの知識を身につけようと、ミラノに留学もしました。ブランドを立ち上げたのは、帰国後29歳のときです。
ーー経営とデザインを学んだとはいえ、ブランドを立ち上げるのは簡単なことではないと思います。どのような苦労があったのでしょうか。
栗原:もう、全部です。うまくいったことなんて一つもありませんでした。下着業界にツテがあるわけでもなかったですし、当時は個人でランジェリーブランドを立ち上げている人がほとんどいなかったので、お手本にできるロールモデルもいませんでした。
生地を買うことすら大変で、個人だと取り扱う量が少ないために、全く取り合ってもらえませんでした。見本市に行ったり、通販サイトで探してみたりしましたが、ときめくアイテムには出会えなくて。縫製工場には、一年かけて数十社にアタックしたものの、協力を申し出てくださったのはたった一社でした。
頭を下げてものをつくり、頭を下げてお客様に売る。「ブランドを立ち上げた」というと華やかに聞こえるかもしれませんが、今でもずっと頭を下げ続ける毎日です。
ーー厳しい世界ですね。ブランド設立後も、資金集めのために銀座のクラブで働いていたと聞きました。
栗原:伊勢丹でポップアップストアを開かせていただき、朝から働いた後は、夜8時からホステスとして働く。この生活スタイルを一年ほど続けました。その間は休みはほぼなく、友だちと遊ぶこともありませんでした。とにかくずっと働いてましたね。
ーー華やかに見える仕事の裏には、地道な努力があったのですね。なぜそこまで頑張れたのでしょうか。
栗原:過去に味わった悔しさが原動力になっていました。外務省を辞めたときに感じた焦りや、周囲と比較して自分が劣っているという感覚、学校で浮いた存在で居場所がなかった寂しさ。これまで感じてきた全ての孤独感が、私の原動力なんです。
また、子どもの頃に性的虐待を受け、女性の尊厳を深く傷つけられた過去も影響しています。だから「NAO LINGERIE」のブランドコンセプトには、女性の尊厳を守ることを掲げています。
下着は、生まれ持った命の輝きを直接包み込む、尊いものなのです。放っておけば負の経験として捨てされてしまうものを、自分の中で整理し、誰かの光にしたい。そんな思いも持っています。
ーー過去の辛い経験が、今こうして輝く原動力になっているんですね。奈緒さんにとって「NAO LINGERIE」はどのような存在ですか?
栗原:生きがいであり、子どものような存在です。「経営は生き物」という表現されますが、本当にその通りだと思っています。生み出した責任もあるし、育て続けていく覚悟もあります。
「NAO LINGERIE」は、私の居場所なんです。これからは、みなさんの居場所にもなればいいなと思っています。
ーー奈緒さんは自分の夢のために行動し、挑戦し続けていますが、なかなか一歩を踏み出せないという学生も多いと感じます。
栗原:私は“何も起こらない道”を選ぶことも、素敵な人生だと思っています。挑戦することだけが、素晴らしい選択だとは思いません。人それぞれだと思っています。
やりたいことや好きなことがなくてもいいと思うんです。夢を持つってキラキラしたイメージがあると思います。でも、実際は辛いことだらけです。だから、途中で諦める人も少なくない。夢を持って努力することを否定するわけではありません。ただ、私は自分が辛すぎたので、人にその道を簡単にはすすめられないです。
ただ、挑戦することで得られるものがあるのも事実です。失敗するリスクを伴ってでも得たいものがあるなら、挑戦すればいい。でも、迷いがあるうちはやらなくていいと思います。むりやり動くのではなく、自分の気持ちが高まる瞬間を待てばいい。もちろんそれが来ない場合もあると思いますが、かといって幸せになれない訳ではないですから。
ーー自分にとっての幸せを大切にすることが大事なんですね。
栗原:私はそう思います。ですから、挑戦する前に、自分にとっての幸せを定義する必要がある。自分をよく見せることはやろうと思えばいくらでもできます。でも、そうではなくて自分の手の届く範囲で最高の幸せを自分でつくり上げ、地に足がついた生き方をする方が、見栄を張って生きるよりよっぽど素敵だと私は思います。
ーーこれからキャリアを形成していく学生にアドバイスを送るなら、どのような声をかけますか。
栗原:「自分の仕事は必ずやり切る」という習慣をつけてください。仕事では、1から10までやることが求められます。
どういうことか説明しますね。例えば、「1週間でこの商品を10個売りましょう」というオーダーがあったとします。実は、販売するだけでは不十分です。1から10までやるということは、10個販売して、買ってくれた顧客層まで報告するということです。
最後までやりきれず、「ある程度できたな」くらいで諦めてしまう子が大半です。8個売ったらなかなか上手くいっているように感じるかもしれませんが、やりきった人にしか見えない世界には遠く及ばず、次のステップにも進めません。
任された仕事があれば、ちゃんとをやり切る。「できませんでした」で終わらせない強い気持ちを持てば、成長も早いし、自分に自信も付いてきます。
私が考える仕事は、地道で辛いものです。だから忍耐力が必要ですし、自分で自分に負荷をかけ、限界を越えていかなくてはいけません。やらないことも自分の選択ですが、やらない分、当然評価はされません。
しんどくてもやり続けないと目標は達成できないと思います。もし、自分のために頑張れないという人は、誰かのためというところに目標を置くことも一つの手だと思います。