ある大手新聞社が、学生向けに未来を語るコミュニティを設立し、様々な業界で第一線として活躍する人々と若者の「対話」を発信し始めている。
そのネットメディアで学生記者を務める古川遥さん。大学卒業後、ジャーナリストになるという夢に向け現場から学び続けている。その背景には「弱者が弱者のまま、社会に置いていかれる」という原体験が大きく影響しているという。
夢が見つからないと悩む10代・20代が多い中、夢を見つけた古川さんが過去・現在・未来について何を語るのか。インタビューで話を伺う。
—— 古川さんは現在、学生記者をされているそうですね。きっかけについて教えてください。
古川:「弱者が弱者のまま、社会に置いていかれる」と感じる出来事に巡り合ったのがきっかけです。私は過去に、家庭内暴力や教育格差といった問題が身近にある環境で過ごしてきました。私自身が当事者だったわけではありませんが、中学時代の友人が複雑な家庭で育っていました。
今でも印象に残っているエピソードとして、仲の良い友人が親と喧嘩をして家出し、私の家に飛び込んできたことがあります。
—— 社会的な“弱者”を、自分の目で見た瞬間だったんですね。
古川:そうですね。当時はただびっくりしていただけですが、高校に進学して、現在の活動につながる出来事が起こりました。新聞で子どもの貧困や病気を扱った記事を読む機会があり、社会的弱者に括られる人たちの置かれている状況が、深く理解できたんです。
そこで、将来の選択肢を決めました。「仕事で社会に貢献するなら、社会的弱者のために働きたい」——そんな想いから、国連職員として国際協力を志そうと思うようになったんです。
—— 以前は国連職員を目指されていたんですね。夢がジャーナリストに変化したきっかけは何ですか。
古川:上京してすぐに、日常にある経済格差を目の当たりにしたことが、今考えると大きな転換点でした。
私は裕福な家庭で生まれ育ったわけではなく、大学や民間の奨学金なくして進学することができませんでした。また地元には、家庭の財政状況が影響して、上京を諦める人も少なくなかった。
そんな状況がある一方、自分や友人とは違い、教育機会に恵まれた裕福な家庭に育った人たちもいます。そのうちの一人が言った「努力さえすれば、環境で生まれた差はどうにかできる。そういう人たちって、努力していないだけじゃない?」という言葉に愕然としました。
人それぞれ生育環境が違うので、考えに差がでるのは仕方がないと理解しています。しかし、親や社会的な支援で教育を受けている私にとって、彼の発言は受け入れ難いものでした。「家庭の事情で教育を受けられない人たち=努力を怠った人たち」という軽い偏見が見え隠れしていて、心の中が黒い雲に覆われた気分になったんです。
悪気があるわけではないと理解した上で、高度な教育を受けてきた、つまり社会を変革する可能性が高い人が、教育格差の問題を知らないままでいいとは到底思えません。「社会的支援を創出する立場になりえる人に、格差問題を知ってほしい」——しかし、こう思ったとき、まだ国連職員となり国際協力を志す夢に未練がありました。そこで、夢を確認するために、大学の長期休みを使って渡航することにしました。
—— 渡航したときの経験を具体的に教えてください。
古川:1年生ではフィリピン、2年生ではイスラエルとパレスチナに行きました。フィリピンに行った際、物乞いをしたり、早朝から学校に行く代わりに、海で遊ぶ少年少女を見かけたんです。貧しさが原因で、学校に行けていないのです。
でも、なぜか子どもたちは笑顔です。学校に行けないからといって、人生を悲観しているようには見えませんでした。一方で、私が日本で見た、家庭の事情が理由で教育を受けられない人たちは、こんなに晴れやかに笑っていたでしょうか。きっと彼女たちは、学校に行けないことではなく、日本の格差社会に苦しんでいたように思えました。
国外と国内の格差問題、両方の問題を解決する必要があります。しかし私の興味が大きいのは、国内の格差問題です。母国の社会的弱者に括られる人を救い出すことが、自分が本当にやりたいことだと直感しました。
—— イスラエルとパレスチナに行ったのは、本当にやりたいことを確信するためですか。
古川:国際協力というと、難民支援が中心です。実際に現場に触れて、国連職員として問題解決に熱を注げるのかをたしかめてみたかったんです。
結局のところ、スタディツアーに参加してみて、私たち外国人が介入して解決出来る問題ではないと感じました。というのも、イスラエルとパレスチナはさまざまな面で歴史的に深い対立があり、現地の人にしか理解できない問題があるからです。
国連職員として働くなら、文化の違いを乗り越えて解決を図る必要が出てきます。自分が障壁を乗り越えるのに、限界が来るのは想像がつきました。
そのときに、自らの経験と学びを最大限に発揮したいのは、「国内の社会的弱者を支援する」ことだと。これが本当にやりたいことだと確信したんです。
—— 紆余曲折を経て、国内の格差問題に取り組みたいと考えたのですね。2020年5月から学生記者として活動し始めたのも、やりたいことを実現するためですか。
古川:目的意識を持って参加したというより、勢いで挑戦してみたというのが適切かもしれません。一度試してみようということで、飛び込んでみました。文字という方法でなくても、何かの形で自分が発信したいことを、世の中に伝えたい。そのためには、思考力や発信力がどうしても必要になってくる。力を蓄えるのに最適なのは、学生記者をすることかなと考えました。
—— 学生記者として活動するのに、そのネットメディアを選んだ理由はありますか。
古川:直感で決めました。そもそも学生の間に記者を出来るのを知らなかったんです。たまたま学生記者募集の欄を見つけて、すぐに応募しました。頭よりも体が動いていた感じです。
—— 活動の中で直面する課題はありますか。
古川:本格的に活動に携わって2ヶ月目ですが、社会とメディアの接点をつくるのが難しいと感じています。たとえば、一般的に認知されていない社会問題を記事にして報道するしても、見てもらえないのが日常茶飯事です。いかにして記事を見てもらうか。情報を提供する立場として、これからも直面し考え続けていく課題だと考えています。
—— 今後、どのような記事を書きたいと考えていますか。
古川:主に、子どもや若者に向けての記事を書きたいと考えています。というのも、これからの社会を変革できるのは、若者であるという考えが自分の中にあるからです。彼らに社会問題を提起し、考える機会を提供していきたい。
今は記者である先輩方から学んでいる段階なので、自分の書きたい記事ばかり書けるわけではありません。しかし今後、自分のテーマを追えるようになったら、これからの未来を担う若者に、社会をよりよくする行動を促す記事を書きたいです。
—— 古川さんが今後目指すジャーナリスト像を教えてください。
古川:社会であまり認知されていない問題に気づき、発信できるジャーナリストが理想です。自分も含め人々が見落としている社会問題は、まだまだあると感じています。
問題解決に踏み出すにしても、最初は全て知ることから始まる。だからこそ、表面的な問題だけでなく潜在的な問題も把握した上で、社会に良い影響を与える記事を書きたいんです。社会的弱者の現状を伝え、最終的に問題解決の一歩に関われたらと考えています。
—— 夢が見つからないと嘆く10代・20代に向けて、メッセージをお願いします。
古川:自分の感情や直観を大事にしてください。やりたいことって意外と日常の中に潜んでいると思うんです。ですから、私は日常で感情を感じた瞬間をノートに書き留めることを習慣づけています。そうすると、自分の好き嫌いや得意不得意が、不思議と理解できるようになるんです。
私の経験上、自分の提供するものに価値をを感じていないと、本気で打ち込むのは難しいと感じています。だからこそ、提供する価値を感じるものに早く出会えるかが大事なはず。
受験や就活といった人生の方針を決めるときに、急にやりたいことを考え始めるとおそらく苦しくなると思います。ぜひ一度騙されたと思って、感情が動いた瞬間をノートに書き留める習慣をつけてみてください。