「面接会場にマルチーズを連れていきました」リクルートにアルバイト入社、営業所を全国売上1位に導いた社員の話

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従業員4万人規模とは思えないベンチャー気質な社風が知られ、組織として若手の活躍を歓迎する文化を持つ「リクルート」。社員の平均年齢は35歳で、定年退職者は今までに数人しかいないような独立志向の社員が多い会社です。退職した社員が「元リクルート」の看板を背負って様々な業界で活躍していることから、リクルートは”人材輩出企業”と呼ばれることもあります。


そんな若くベンチャー気質な社風を持ちつつも、老舗企業なのも面白いところ。創業から50年以上が経っているんです。


「今と昔のリクルートはどう違うのか?」1985年〜92年の7年間リクルートに在籍し、現在は飲食業界に特化した総合人材コンサルティング会社を経営するキイストン代表取締役社長、細見昇市さんにお話を伺いました。27歳で課長を務めていた細見さんが体験した、当時のリクルートの社風とは?

細見社長のプロフィール

大学卒業後、株式会社リクルートを経て、1992年10月22日戦略型求人広告代理業務の株式会社キイストンを設立。代表取締役として現在に至る。2008年8月8日飲食業界に特化した人材紹介会社の株式会社ミストラル取締役就任。飲食業界専門の求人情報サイト『in-職hyper(いんしょくハイパー)』にて、社長の生き様・理念がわかる“飲食の戦士たち”毎週火曜更新中。


アルバイトからスタートした、27歳の営業課長


「面接会場にマルチーズを連れていきました」リクルートにアルバイト入社、営業所を全国売上1位に導いた社員の話

ーまず、新卒でリクルートに入るまでの経緯を教えていただけますか?


先に言っておくと、僕は新卒で正社員としてリクルートに入社したわけではないんです。子会社のリクルート情報出版、今でいう「リクナビNEXT」を扱う会社に営業のアルバイトとして入社しました。


なので、一般的な新卒のリクルート社員ではなくアルバイトからの叩き上げです。そこから契約社員、正社員になり、リクルート情報出版がリクルート本体と経営統合したことから、最終的には27歳で営業課長になりました。29歳で独立して株式会社キイストンを創業したので、退職してからちょうど25年経ちましたね。


ー新卒で正社員としてではなく、アルバイトとして入社されたのはなぜですか?


将来独立して社長になりたいと小学4年の時から考えており、自分の将来を見つめる意味でインドへひとり旅に行ってたら、就職活動のタイミングを逃してしまったんです(笑)。 


4年生最後の1月から卒業するまで就職活動をして、もしかしたら入社できる企業が見つかるかもしれないというタイミングで、たまたまアルバイトの募集でリクルートの求人を見つけました。求人欄に「社員登用あり」「経営者に会える」と書いてあったので、「社長に会えるなら面白そう」という好奇心で受けてみたんです。


今でも覚えてるのが、面接の当日のこと。僕はたまたま先輩の犬を預かっていて、その日は車で面接会場まで行ったんです。面接に犬を連れて行くわけにもいかないので、犬を車内において面接受けようと思ってました。でも、冬なのに予想外に気温が高い。このまま車に置いていったら犬が死んでしまうと思って、リクルートに電話を入れて「面接に犬を連れていっていいですか?」と聞いたんです。


そうしたら、受付の人が許可をくれた(笑)。

「面接会場にマルチーズを連れていきました」リクルートにアルバイト入社、営業所を全国売上1位に導いた社員の話

ー面接に犬を連れていったんですか!?


まさに。オフィスの中ではスーツを着るのが当たり前です。そんな中、受付前のソファーで真っ赤な首輪をしたマルチーズと僕が座っている。側から見たら完全に異常な光景ですよ(笑)。


しばらくすると面接官が出て来たんですが、これもおかしい。タモリみたいなでかいサングラスをかけているんですよ、屋内なのに。そしたら開口一番、「お前はなんで面接に犬を連れて来てるんだ」とそいつに聞かれたんです。その前になんであんたはサングラスをかけているんだよ、と(笑)。


お互いに「コイツ、何を考えてんだ?」と思ってたでしょうね。その時から「とんでもないところに来てしまったぞ」と感じていました。


ーということは、リクルートに入るのに特に志望動機はなかったのでしょうか?


きっかけだけを見ると偶然のように思えますが、自分は人一倍、独立心が強い学生だったのは間違いありません。昔から、「俺はいつか社長になって独立する」と周りにも言っていました。


独立志向が人一倍強い理由は、生まれた土地と幼少期の経験が大きく影響しているからだと自分では思っていて。僕は京都の人口7000人程度の農林業が主産業のド田舎で、長男として生まれました。閉鎖的で、今でも地元の同級生は役場や農協に勤めてる人が多いような村です。「田舎の長男」ということは家を継ぎ、地元で暮らしていくということ。そんな中、「昭和の時代になったのに、なぜ自分のやりたいことを選べないのか」とずっと思っていました。


当時は今よりももっと学歴の格差が激しい。そんな中、三流大学に通っているのに「独立する」と言っていた。周りは「こいつはどうかしている」と思っていたでしょう。「ドリーマー細見」と露骨な嫌味を言われることもありました。それでもずっと「独立したい」という気持ちは変わりませんでした。


リクルートで社長相手に求人営業をする経験を通じて実力をつけた後に、自分でビジネスをやろうと思い、入社を決めました。

求人誌を詰め込んだカバンを両手に、1日400件の飛び込み営業


「面接会場にマルチーズを連れていきました」リクルートにアルバイト入社、営業所を全国売上1位に導いた社員の話

ー入社する前と後で、会社のイメージのギャップはありませんでしたか?


リクルートに入って一番驚いたのは、徹底的に”実力主義”なこと。当時は約90%がアルバイト採用で、残りの10%弱の新卒入社した”キャリア組”は、ほとんどが京大・阪大・関関同立の出身でした。


組織の9割を占めるアルバイトは全員3カ月単位の契約で、売上目標を達成しなければ容赦無くクビです。目標を達成し続けられるのなら契約社員になれますが、アルバイトの5〜10%くらいしか契約社員にはなれません。そこから正社員になるのも、同様の難易度です。


採用されたら、アルバイトでもいきなり現場に配属です。研修なんて形だけで、研修で教えられたのは名刺の受け取り方だけ。しかも、研修用のビデオが流されただけでした(笑)。教わった内容は、「名刺を相手のほうに向けて礼を言います」とそれだけ。


「もう全部教えたから明日から現場に出てこい。結果が出なかったらバイバイ。別の就職先見つけてこいよー」そんな無茶ぶりでした(笑)。


ーまさに「弱肉強食」の社風を持つ会社だったんですね。


入社してから数年は中途求人媒体の新規開拓営業をしてたのですが、これが想像を絶するくらい大変でした。


電話帳のような、ぶ厚い求人誌を詰め込んだ紙袋を両手に持って、大阪市内を走り回るんですよ(笑)。紙袋は合計20kg近くあったんじゃないかな。ずっと持っていると手が豆だらけになるし、靴はすぐにすり減ってボロボロになる。売れない時に先輩に相談しても、「下向いてたら暗くなるだろ?上向いて鼻歌でも歌ってろ!1日50件回ってこい!」と返される。

数をこなさないと、見えない世界がある

ー1日50件は相当ハードですよね。


それでも「入社したからには一番をとらなければダメだ」と思ってましたから、売れっ子の先輩の言うことを聞いてみようと思ったんです。ただし、売れてる人の真似をしても、自分がそれよりも高い能力を持っていたとしても差は開いたままです。


当時は営業チーム内での日報の共有があって、営業成績1位になる社員の達成率は大体130%で、150%とると確実に1位になれる。つまり、1位になるためには200%を目標にすればいい。だから、1日50件のノルマの8倍の400件を1日で回ることにしました。


すると、面白いように売れる。初見の会社には「こんにちは!リクルートです!」とでかい声で飛び込んでみて、当然のごとく冷たくあしらわれる。2回目に行ったら、担当が出てきて怒られる。3回トライするとどうなると思います?もっと怒られるんですよ(笑)。


ただし、4回目になると話を聞いてくれるようになるし、数を重ねてるうちに担当との信頼がどんどん築けるようになる。


今若い人たちに言えることがあるとするならば、「数をこなせ」と言うこと。最初は頭も使わなくていいし、本も読まなくていい。今は自分の頭で記憶しなくても、インターネットで調べればすぐに「答えのようなもの」が出てくる。でも、実際の仕事では、「自分の頭の中に入ってるものを瞬時に引き出せる状態」でなくては知識も使い物にならない。


結果として、入社してから2年間ずっとトップ営業でした。その後社員に登用され、おかげさまで僕は、新卒で入社した社員よりも早く営業課長になれました。リクルートを辞める時は、担当していた営業所は全国で売上1位。快く独立を決めることができました。

「独立」は良いことばかりではない


「面接会場にマルチーズを連れていきました」リクルートにアルバイト入社、営業所を全国売上1位に導いた社員の話

ー営業課長という地位まで昇進したのに、リクルートに残らずに独立したのはどうしてでしょうか?


本当はアルバイトから社員になったタイミングで、独立しようと思っていたんです。もともと独立できるだけの実力をつけることが目的だから、もうスキルがついたと自覚できればリクルートにいる理由はありません。


ただ一点心残りだったのが、当時はアルバイトから社員へ昇格した例がほとんどなかったこと。大阪の営業所でも過去にひとりかふたりいた程度。だから、自分のようにアルバイトから叩き上げで社員になった後輩を増やしたいと思い、営業を続けました。


営業課長をやっていた頃は、同じような経歴の社員が4、5人はいたし、営業所に対してもも「お前たちの売り上げが1位になったら、その成績を守り続けてくれ」と明渡せる状態になっていました。新卒では25歳で独立するつもりで入社し、辞めた時はもう29歳で4年ほど遅れていたけれど、リクルートに予定よりも長くいたことに悔いはありませんでした。


そして、株式会社キイストンを妻と二人で創業しました。キイストンでは、社員は社章(バッジ)を胸元に着けています。これはリクルートでアルバイトから契約社員になるともらえる、「かもめ印のバッジ」に由来していて、こだわりをもっています。


30年前のリクルートでは、社員になるのは一種のステータスでしたし、自分がなれた時は本当に嬉しかった。泥臭く頑張っていたリクルートでの営業は、独立した今でも自分のアイデンティティとなっています。


ー最後に「独立を考えてる学生」へのメッセージをお願いします。


独立を考えている学生がいるのなら、まずはやってみてはどうでしょうか。若くて実力が無いうちは不安かもしれないけれど、実際は年齢が後ろにいけばいくほど難しくなる。


40歳くらいになって独立しようと思ったら、その頃には今よりも営業力も付いてるだろうし、ビジネスセンスもあるかもしれない。でも、今とは別の理由で踏みとどまってしまうと思う。結婚して子供もいれば教育費もかかるし、親の数も2倍になる。歳をとればとるほど、守るべきものが多くなり、「自分だけの人生」ではなくなっていくんです。だからこそ、「志」は若い時に確固にしておいた方が良い。


それともう一つ、独立は本当にツラいから覚悟しとくべき(笑)。例えばリクルートの営業なら、目標が1000万円の売上で達成率が80%達成だったとしても、次の月からマイナス200万円で始まることはない。次の月で頑張れば良いでしょう。


でも独立してからは、次の月からはマイナス200万円の負債からスタートです。しかも、次の月では挽回仕切れずにまたマイナス50万円からスタートすることさえあります。資金繰りで行き詰まり、「会社を閉じる」という選択肢がなんども頭の中をよぎりました。


日本は失敗に寛容な社会ではない。一度「敗者」のレッテルを貼られたら次はない。それでも「やりきれる覚悟」があるなら、「やってみな」と僕は思うかな。


取材・執筆:奥岡権人

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