先日、イギリスから日本に弾丸一時帰国。10ヶ月ほったらかしだった髪を思い切ってショートカットにしました。
美容師さんとのおしゃべりは、大抵「学生さんですか?」なんて、他愛無い会話から始まることが多いですよね。その日も例に漏れずそう聞かれた私は「はい、実は今イギリスに留学中なんですよ~。向こうではなかなか美容院に行けないので、今日はバッサリお願いしますー!」と答えたのですが、それに対する美容師さんリアクションはどうも私の心に引っかかるものでした。
「“海外”って色々テキトーやからね。日本人独特の繊細な感覚もないし、“海外”の美容院なんて行ったらほんまどんなおもろい髪型にされるか分らんで」
……胸に手をあてて、正直に答えてください。みなさんも以下同じような考え方をしたことがありませんか?
……きっとあると思います。そして、実は私もあります。今日は国際派をきどって説教じみたお話をしたいわけではありません。日本で20年間育った私が正規留学2年目にして思うのは、「私はもう帰国子女にはなれない」ということです。多様な価値観に触れる機会があろうとも、良くも悪くも、いわゆる”日本人らしい”価値観は私の根底に刷り込まれており、日本を特別視する感覚もそのうちの一つだと思います。
しかし!これらの日本を特別視する考え方には、刻々と進むグローバル社会を生きていく上で、絶対的に「損する」エッセンスが詰まっています!なぜなら、自国の判断基準で他国の人を判断してしまって、みんな違ってみんないいことに気づけないのは非常にもったいないことだからです!そこで本日は、自戒の念も込めて、こうして筆をとった次第です。
もし、上記の考え方に一つでもあてはまるかもと思った方は、ぜひとも最後までお付き合いください。
クラスメイトの中で一番の仲良し、オビちゃん。傍から見たらなかなかのデコボココンビですが、笑いのツボが一緒すぎて二人でしょっちゅう大爆笑しています
「そんな“海外”とか行ってて危なくないん?」
「やっぱ“海外”の人って時間とかルーズやんな、電車1分以上遅れずに来るのなんて日本くらいやで」
どちらも施術中に美容師さんが発した言葉。そして、日本の友人や家族にも今までよく言われた言葉です。
しかし、“海外”といっても世界には190余りの国がありますので、日本を基準にして”海外”をひとくくりに語るのは往々にして無理が生じます。たとえば、留学していればなんとなくお隣の中国人、韓国人と文化的な親和性を発見する場面は数多くありますし、かと思えば海を越えた向こうのイギリス人と日本人は「すみません」と謝ることが大好きなところはよく似ています。日本を飛び出してみれば、日本にいたときには気づかない共通点が見つかることも少なくありません。
さらに、国家単位で文化の違いを議論するのも必ずしも正確ではありません。たとえば1つの国に72の民族が共存しているザンビアは、地域によって言語が違います。同じ国に住む人であっても、共通語の英語がなければ意思疎通すら難しいこともあるのです。そこでは“国家”という単位で物事を語ることすら、ちゃんちゃらおかしいことだと気づかされます。
そしてもちろん、究極的には人によります。恥ずかしながら、時間に厳しいはずの日本人の私ですが、授業や待ち合わせにきっかり3~5分遅刻する癖があります。対して、「アフリカンタイム」と揶揄されがちなナイジェリアの出身の親しい友達は、いつも10分前からクラスルームで待機していました。二人の待ち合わせに遅れるのも、9割私です。
このように、当たり前ですが“海外”にも信じられないほどの多様性があります。
外務省いわく渡航危険度レベル3の街、パレスチナのヘブロン。白い石造りの町並みと青い空のコントラストが美しい、世界で一番好きな街のうちの一つです。
そんな会話をしながらも、時間が経過すると雰囲気も和やかに。髪もすっかりショートになり、細かいカーラーでパーマをかけるときに、話題はふとしたはずみから私の海外旅行の話になりました。
「いやいや、でも、よくアフリカなんて行くよね~。やっぱりそういうとこって危険でしょ?こないだテレビで、南米ではマフィア同士の抗争があって、その辺に死体転がってるって言うてたで」
と、美容師さん。これも、家族や友人にしょっちゅう聞かれる質問です。
そこで思い出したのが、ブラジル人留学生の友人が私にしてくれた話。彼が日本に来るとき、友人たちから「え、日本危なくないの?大丈夫?」と言われたというのです。
「いやいや(笑)。まあブラジルよりは安全でしょ(笑)」
と、当時の私は首を傾げたのですが、続く友人の言葉には傾げた首を思わず縦に振ってうなずくことしかできませんでした。
「日本では原発事故もあるし自然災害もある、地震なんかいつ起きるか分からない。ひどい時には数千人規模で人が死ぬ」
ブラジルにも、都市部には治安の悪い地域が(東京も同様に)あります。ですが、治安が悪いとわかっている地域に危ないとわかっている時間帯に行かなければ特に何の危険もないわけです。
一方で、地震はいつどこで起きるかもわかりません。しかも、日本ではマグニチュード6以上の地震が毎年のように起きています。
この話を美容師さんにしたところ「そんな、自然災害やったらまぁしゃーないやんか」と日本人の心の声を代表するように言いましたが、この「自然災害ならしょうがないか!」っていうのは、自然信仰の伝統が無意識下に根付いており、かつ地震災害に慣れている日本人の感覚に過ぎないのだと思います。
外務省が発表する「渡航危険度レベル3」のパレスチナに住む友人も含めて、みんな冗談抜きに自分の国は結構安全だと思っています。それは自分の国で起こりうる危険に、その国の人は慣れており、回避する術も心得ているからです。一概に誰の目からみても日本が絶対的に他国より安全なわけではないのです。
極め付けは、「いやーでもやっぱテレビでも日本は世界からすごいって思われてるいう話はよく聞くしなぁ!」と美容師さん。
そう、最近どうしようもない気持ち悪さを覚えるのが「世界が賞賛した日本の強み!」「やっぱりすごいよ日本人」など、日本礼賛の限りを尽くしたいわゆる“愛国ポルノ”記事や書籍、テレビ番組の急増です。
私の母親は「美聡がいつか出演するかもしれへんから予習してるねん」と言いながら、「こんなところに日本人!」なんて番組をよく観ています。番組の内容は大抵「安全な日本を離れて、不便で危険な異国で頑張っている日本人」という筋書きになっており、「いやー“海外”は大変だな~」という暗黙の前提が根底に存在しています。
「日本人 すごい」の検索ワードでGoogle検索してみれば、検索上位には「日本人ってやっぱりすごい!外国人男性が投稿した写真が話題!」「【日本人は優しい】外国人が感じる日本のすごいところ9選」など、見ているこっちが恥ずかしくなるようなタイトルが並びます。
内容は大抵「経済大国」「高い技術力」「おもてなし精神」「礼儀正しい」なんて話ですが、イギリスでしょっちゅう「で、チャイナではどうなの?」と友人に間違われ続け圧倒的な日本の存在感のなさを痛感している私には、なんだか世界で日本の存在感が低下するのに比例して、日本人が一生懸命自分で自分を褒めているようにしか見えません。
そして「日本人 すごい」の検索ページ下部には続けて「海外の反応」「外国人からみた日本のすごいところ」「世界から見た日本人 凄い」なんていう関連ワードが浮上し、自分たちで礼賛するには飽き足らず外国人から「すごい」と言われたい、そんな欲求も見え隠れします。
まあ、日本人が日本語でやってるだけだし、誰にも迷惑かけてないからいっか……と思わなくもありません。とはいえ、これらの大変内向きな志向は、結果的に大変“損する”考え方だと思うのです。
ルワンダの小学校の給食風景。あれ、なんか見たことある人いる?
外国、特に一般的に「途上国」と呼ばれる国に行って帰ってきた人がたまに言う、「日本に生まれた自分は恵まれていると思った」という言葉。
正直に言って、私は「貧困や未開発を自分の目で見て、それをだしに自分の幸せを確認するのか......」と疑問を抱きます。そんなことをするためだけにわざわざ飛行機に乗って、海越えて…。なんてもったいない時間とお金の使い方なのだろうと思います。
また、「接客がテキトー」「サービスが遅い」「やっぱり日本が一番!」なんて感想は、海外旅行に行った人から、行き先を問わずよく聞きます。すべての国に日本とは違う“その国の良さ”があるはずなのに、外国に行ってまで自分の色眼鏡をはずすことができず、自分の基準で「この人たちは可哀そう」「この国は遅れている」「日本に生まれた私は恵まれている」だなんて。そんな結論にしか至れない視界の狭さのほうがよっぽど可哀そうです。
先日、フラットメイト(寮の友達)とたむろしていた際、同じく留学生の友人が「お腹が減った」と言うので、私が勉強時間を割いて作り置きしていた二日分のおかずを(しょうがないな…)と差し出すと、彼は「よし、じゃあ今からみんなでこれを食べよう!」とおもむろに一言。
私が彼にシェアしたなけなしの食事を、なぜか彼がみんなにシェアするという暴挙に出たのでした。
日本人同士だったら「いいよそんなの!」と遠慮して断るか、自分が必要な分だけ食べて「ありがとう!本当にごめんね」と返すところですよね。でも、そんな自国の基準を適用して彼の行動を「図々しい奴やな、お前誰やねん」と感じるとすれば、それははっきり言って損な考え方だと思います。
実際、彼の提案でフラットメイト全員で私の明日のおかずをシェアしましたが、「これおいしいね~勉強してお腹すいてたんだよね~」なんて話をしながら、みんなで食べた鶏のてりやきはいつもの数倍美味しい。最初は「仕方なくあげた料理を勝手にシェアするなんて!」とも思いましたが、自分の作った料理をみんなが喜んで食べている嬉しさは、自分の基準を捨てなければ見つけられなかったものです。(シェアする楽しさに味をしめた私は以降、フラットメイトに積極的に手料理を振る舞い、フラットのママと呼ばれるに至ります)
個性豊かなフラットメイトのみんな。
日本人の、遠慮しあって気遣いをする文化ももちろんステキだけれど、相手のモノ、自分のモノと分け隔てることなく互いにシェアしあう文化もステキ。そう、みんな違ってみんな良い!
考え方は違えど、それぞれに違った良さがあることに気づいて、自国の文化に基づいて形作られた色眼鏡を外すことがきれば、「日本に生まれた自分は恵まれている」なんて発想に至ることなんてなくなり、今まで知らなかった色んな喜びに気づくことができるのかもしれません。
イギリス最大の院生カレッジに留学中の私が、様々な国から来た留学生たちと暮らしていて思うのは、「どんな国からきている留学生もみんな一様に自分の国が大好き」ということ。
インド出身の友人は休みになる度に「カレーが恋しい」といってインドに帰りますし、パレスチナ出身の友人もテレビで報道されないガザのビーチがどんなに美しいかを恋しそうに語ってくれます。かくいう私も日本のことが大好きです。
いつだって海の向こうのもっちり白米と温泉のことが恋しくて恋しくてたまりません。
大学寮のバーで定期開催されるライブの様子。
イギリスの大学寮にはたいていバーがついています。私の大学寮のバーは、ダラム大学の中でも多様性に富んだ文化があります。そして世界各国の旗で華やかに彩られた天井の下、世界中から集まった留学生が杯を交わしながら語り合うのは、やはりお互いの母国についての話。
「実は従妹が東京に行ったことがあるの。『日本は大都会もあるのに自然も美しくって、食べ物も美味しくって交通も便利で、もうすべてがアメイジングでビューティフルだ』って、言ってた!」
「えー嬉しいわ~ありがとう!せやねん、私の故郷とかも海も山も町もあってショッピングもアウトドアもなんでも楽しめるし!実は私もあなたの母国・パキスタンいったことあるねん!みんなホスピタリティありすぎて、毎日人の家泊めてもらっておいしいご飯ご馳走してもらえて、もうめっちゃいいところやった!!」
「えっパキスタンいったことあるの?」
「そう!そうなの!パキスタンではそんなの普通だよ、お客さんきたらめっちゃもてなすし、美聡の友達の友達の友達でも大歓迎よ…」
「みんな違ってみんな良い」の哲学を象徴する自分の寮のバーの雰囲気が、私はとても好きです。そしてそれは今後この大学寮を巣立っても、いつか立派なPeacebuilderとして仕事していく際に、絶対に大事にしたい哲学のうちの一つとなっています。
20年間日本で育ち、日本を良くも悪くも特別視する感覚を持った私と、留学経験を経て日本を相対化する視点を持った私。今、二人の私が矛盾なく自分の中に存在しています。もちろん自分としては常に後者の私でいたいと願ってはいますが、20年間私の中に居座り続けたのは前者の私なので、常に意識を配っていないと、なかなかこれが難しい。こうやって記事を書いている今も、もちろん筆を握り始めたのは後者の私ですが、執筆中、自分の文章の端々に前者の私の影を見つけては、つくづく嫌気がさしてきたこともしばしばありました。
また、たくさんの国から来た留学生たちと暮らす中で、ふとした拍子に「この人マナー悪いな~」「イヤな奴やわ」なんて思うことがあり、はっとしてまた自分の価値判断基準で他人の人格を判断していたのではないかと、気づくこともありました。自分にとっては「非常識だな」と感じたコースメイトの言動に対して、他国の留学生たちはけろっとしていることもあれば、その逆もあります。自分も何かの価値観に縛られている、ということに常に自覚的でなければ、自分の価値観の基づいて他人を「非常識」「イヤな奴」と判断してしまい、その後その人の良いところは見えなくなってしまうかもしれません。非常にもったいない話です。
きっと一か所にとどまらず世界中でお仕事する人生ですから、日本好きなところは好きなままで、でも決して日本の価値観だけに縛られることなく、他の国に行ったときは異なる物事の見方を吸収して、その国のまた違った良さを心から好きになれる。そんな感覚を身に着けられたら、イヤな奴は減ってイイ奴は増える、気分を害する機会は減ってどこでも楽しく生きていけるようになる、考え方の幅が広がって人としての深みが増す。イイことだらけ!何より、今自分の目の前に広がる世界が、他の人の目にはちょっと違った色に映っているんだとしたら、見てみたくないですか?私はというと、見たくて見たくて仕方ありません!
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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イギリスのダラム大学で平和構築の修士課程修了後、パレスチナで活動するNGOでインターンをしています。”フツーな私が国連職員になるために。ギャップイヤー編”連載中。 [email protected]<⁄a>