FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグ氏が、ハーバード大の2017年卒業生に贈ったスピーチが話題になっています。スピーチの中でザッカーバーグ氏は、「生きがいを持つ」ことについて語りました。それは「目標を持ちなさい」というようなありきたりな話ではありません。「みんなが生きがいを持つ」ことで、世界は変わると言うのです。ザッカーバーグ氏が考える、”世界を変えるための3つの方法”とは何なのでしょうか。私たちミレニアル世代に向けられたこのメッセージの中から、”3つの方法”について語った部分を抜粋しました。(スクリプトはBusiness Insiderを参照しました。)
今日僕は、みんなが生きがいを持てる世界を創るための3つの方法についてお話します。
1、大規模で意義のあるプロジェクトに一緒に挑戦すること
2、平等性とは何かを再定義し、誰もが自由に生きがいを追い求められるようにすること
3、世界規模のコミュニティを創り出すこと
です。
まず、大規模で意義のあるプロジェクトに挑みましょう。
僕たちの世代は、自動運転車や自動トラックのような自動化技術によって数千、数百万の仕事が置き換えられる時代を生きなければいけません。みんなで力を合わせれば、僕たちはそんな技術に負けない可能性を持っているのです。
どんな世代にも、その世代を特徴づける課題があります。かつて、30万人以上の人々が人類を月に送るために働きました……。NASAの門番さんも含めてです。何百万人ものボランティアが、世界中の子供たちにポリオのワクチンを接種しました。さらに、何百万人もの人々がフーバーダムを作りました。
これらのプロジェクトは、その仕事に携わった人々に生きがいを与えただけではありません。国全体に「私たちは偉大なことができるんだ」という誇りを与えたのです。
次は僕たちの番です。あなたはこう思っているでしょうね。「ダムの作り方なんて知らないし、百万人を動員する方法なんて分からない」と。
しかし、秘訣をお教えしましょう。そんなこと、誰しも始めた時は知らないのです。アイデアはいきなり完成形でやってきたりしない。それに取り組んでいるうちに明らかになってくるのです。まず始めなくてはならないのです。
僕がこの仕事を始める前から人々を繋げる方法を分かっていなければならなかったとしたら、フェイスブックを立ち上げていなかったでしょう。
映画には、これが描かれていません。奇跡的なエウレカ(発明)の瞬間があるに違いないというのは、危険な嘘です。自分にはそんな瞬間は無かったから無力なんだと思ってしまいます。良いアイデアのタネを持っている人が何かを始めるのを妨げてしまいます。
それと、他にもイノベーションについて映画が間違って描いていることを知っていますか?誰も窓ガラスに数式を書いたりしません。そんなのはどうでもいいことなんですよ。
理想主義的であることは良いことです。しかし、誤解されないようにしなくてはいけません。大きな目標に向かっている人は総じて、おかしな奴扱いされます。たとえ最後にはそれが正しかったとしても。複雑な課題に取り組んでいる人もそうです。その問題をきちんと理解してないと言って責められます。事前に全部分かっているなんてことが不可能な場合であってもです。イニシアティブを取る人もみんな、急ぎすぎだと非難されます。いつだって急展開を嫌がる人がいるからです。
僕たちの社会では、ミスを恐れるあまり、大きなことに取り組むのを避けてしまいがちです。何もせずにいたらそもそも全てがダメなままな現実を無視してしまっているのです。実際、僕たちがやること全て、近い将来問題が起きるでしょう。それでも、何かを始めるということをやめてはいけないのです。
では僕たちは何を待っているのでしょう?今こそ、僕たちの世代の課題に取り組むべき時です。地球を破壊してしまう前に、数百万人の人々を巻き込んでソーラーパネルを製造したり設置したりして、気候変動を止めるというのはどうでしょう?すべての病気を治療して、ボランティアに頼んで彼らの情報を集め、遺伝子データを共有するというのはどうでしょう?今日、僕たちが治療にかける費用には、病気になる前に診断して対処する費用の50倍以上のお金がかかっているのです。そんなの意味が無いんです。なんとかできるはずです。オンラインで投票できるようにして民主主義を現代化するというのはどうでしょう?あるいは教育を個別化してすべての人が学べるようにするのは?
これらの課題は、手を伸ばせば解決できる段階にあります。すべての人に役割を与えて、全部実現させてしまいましょう。大きなことをやりましょう。ただ進歩を実現するためだけでなく、生きがいを創り出すために。
というわけで、大規模で意義のあるプロジェクトの話が、あらゆる人が人生に生きがいを持てる世界を創るために一つ目にすべきことでした。
二つ目は、平等性を再定義して、誰もが自由に生きがいを追い求められるようにすることです。
僕たちの両親の世代の多くの人は、生涯安定した仕事に就いていました。しかし、今はすべての人が起業家的です。何かスタートアップをやっている人にしろ、すでに役職を得ている人にしてもね。それはすごいことです。僕らの起業家文化が、これだけの進歩を作り出したのです。
起業家文化は、たくさんの新しいアイデアを簡単に試せるようになっている時に栄えます。フェイスブックは僕が最初に作ったものではありません。僕はゲームも作ったし、チャットシステムも作ったし、勉強ツールも、音楽プレイヤーも作りました。これは僕だけに限った話ではありません。J.Kローリングはハリーポッターを出版できるまでに12回も断られました。ビヨンセですら『Halo』を作るまでに何百曲と作ったんです。大きな成功は失敗する自由によって生まれます。
しかし今日、僕たちの社会は誰かを傷つけるくらいの富の不平等を抱えています。もし誰かがアイデアを実行に移す自由がなかったら、それは僕たち全員にとっての損失なのです。今の僕たちの社会は、成功に褒美を与えてばかりである一方、みんなが十分にチャレンジしやすいようにできていません。
こんな現実から目をそらさないでください。僕がこの大学を去って10年以内に何十億ドルと稼げた一方で、何百万もの学生が学資ローンの支払いにも困っていて、ビジネスを始めることすらできていていないという現実から。そんな社会システムは、どこかが間違っているのです。
聞いてください。僕はたくさんの起業家を知っていますが、その仕事では十分稼げないからやめたという人は一人も知りません。しかし、それが失敗した時に致命的なことにならないようにする緩衝材がないために、夢を追うこと自体を諦めてしまう人はたくさん見てきました。
良いアイデアを持っていたり一生懸命働いたりすれば成功できるというわけではないことは、みんな知っています。運が良かったから成功できることもあります。もし僕がコードを書くかわりに家族を支えなくてはならなかったら、そしてもしフェイスブックがうまくいかなくっても自分はなんとかなると分かっていなかったら、今日僕はここに立っていないでしょう。正直な話、僕たちは自分たちがどれだけ幸運か分かっているはずです。
すべての世代が、平等という言葉の定義を拡大してきました。前の世代は、投票権と公民権を獲得するために戦いました。彼らはニューディール政策と偉大な社会政策を得ました。今、僕たちの世代が新しい社会契約を結ぶべき時なのです。
これからは、GDPのような経済指標だけでなく、どれだけ多くの人間が意味のある役割を得られているかといった指標で、社会の進歩を測っていくべきです。誰もが新しい挑戦ができる余地が与えられるような、ユニバーサルベーシック・インカムのようなアイデアを模索するべきです。何度でも仕事を変えていくような時代だから、1つの会社に限られていない形の、多くの人にとって手の届く育児とヘルスケアの仕組みが必要です。誰もがミスをします。だからこそ僕たちには、一度のミスで身動きできなくなったり汚名を着せられたりしないような社会が必要です。テクノロジーは変化し続けていますから、生涯学習にももっと力を入れなくてはなりません。
そして、そう、あらゆる人が生きがいを追える自由を与えることはタダではできません。僕のような人間がそのコストを支払わなくてはならない。そしてあなたがたの多くも、そうすることになるでしょうし、すべきでしょう。
だからプリシラ(ザッカーバーグ氏の妻)と僕は、チャン・ザッカーバーグ・イニシアチブを始めて、自分たちの富を機会均等の推進のために使っています。これが僕たちの世代の価値観です。僕らはこれをやるべきかどうか、一度も疑問に思ったことはありません。問題はいつやるかだけでした。
ミレニアル世代は、史上最もチャリティに前向きな世代の1つです。1年の間に、4人中3人のミレニアル世代が何らかの寄付をし、10人中7人が何らかのチャリティ基金を呼びかけています。
しかしこれはお金に限った話ではありません。あなたには時間もあるのです。週に1時間か2時間あれば、誰かに手を差し伸べ、その人がポテンシャルを発揮できる手助けができることを保証します。
そんなに時間をかけられないと思う人もいるかもしれません。プリシラはハーバードを卒業した後、教師になりました。そして彼女と教育関係の仕事を始める前に僕は、一度誰かに教える経験をするべきだと言われたのです。僕は文句を言いました「うーん、ちょっと忙しいんだよね。この会社を経営しているし」と。しかし彼女はどうしてもと言い張り、僕は地元の少年少女クラブで、起業についての中学生向けクラスを教えました。
僕はそこで彼らに、製品開発やマーケティングについて教えて、彼らは僕に、自分の人種が社会から目の敵にされることや、家族の一員が刑務所にいることがどういう感じなのかを教えてくれました。僕も自分の学校時代のことを話しました。そして彼らも、いつか大学に行ってみたいという希望について語ってくれました。それから5年たちますが、僕は彼らと毎月食事をしています。彼らのうちの一人は、僕とプリシラに初めてのベイビーシャワーパーティーを開いてくれました。そして来年、彼らは大学へ行くことになっています。一人残らず全員がです。彼らの家族では初めてのことです。
僕たちはみんな、誰かに手を差し伸べる時間を作ることができます。すべての人に、自分の生きがいを追える自由を与えましょう。そうするのが正しいことだからというわけではありません。より多くの人がそれぞれの夢を偉大な何かにできたら、それは僕たちみんなにとって良いことだからです。
さて、生きがいは仕事からのみ来るものではありません。3つめは、コミュニティを作ることで、みんなに生きがいを与えることができるという方法です。そして僕たちの世代が「みんな」と言ったら、それは「世界中のみんな」を指すのです。
ちょっと手を挙げてください。外国から来た人、いますか?じゃあ、彼らと友達になっている人はどれだけいますか?ほら、僕たちは繋がって育ってきたんです。
世界中のミレニアル世代に、何が自分たちのアイデンティティを定義するか聞いた調査があります。最も多い回答は、国籍でも宗教でも民族でもありませんでした。それは、「世界市民」だというのです。これはすごいことです。
すべての世代が、「私たち」という概念を押し広げてきました。僕たちにとって、ついにそれは、国境を越えて世界中に広がっているのです。
人類の歴史は、小さい集団からより大きな集団へ、部族から都市へ、そして国へと、多くの人間が集まってできたことを僕たちは知っています。自分たちだけではできなかったことを成し遂げるためです。
そしてその最も大きな機会が今、まさにグローバルなのです。僕たちは貧困や病気を終わらせることができる世代でもあるのです。
グローバルな課題には、グローバルな対応が必要です。気候変動問題や世界的な感染症の拡散問題について、一国だけで対処できる国はありません。都市単位や国単位でなく、グローバルコミュニティレベルとして、一つになることが必要な課題なのです。
しかし、僕たちは不安定な時代に生きています。世界中にグローバル化から取り残された人たちがいます。もし、国内での暮らしを良く思わないのであれば、世界のどこかにいる人たちのことまで考えるのは難しいです。そういう時には内向きの圧力がかかります。
これが僕たちの時代の課題です。自由と開放的であること、そして権威主義や孤立主義、ナショナリズムに対抗するグローバルコミュニティの力です。知の流れ、貿易、そして移民と、それらを押し戻そうとする力。これは国同士の争いではありません。考え方の争いなのです。どんな国にもグローバルな繋がりに賛同する人がいるし、またそれに反対する良い人たちもいます。
これは国連に決められるような問題ではありません。もっとローカルなレベルで起きていることです。もし十分な数の人間が自分自身の人生に生きがいと安定を感じて生きられているとしたら、他の人を思いやることができます。最善の方法は、今すぐに、ローカルなコミュニティを立て直すことなのです。
人間は人生の意味をコミュニティから得ています。それが家だろうと、スポーツチームや、教会、音楽グループだろうと、それらは自分がより大きな何かの一員であることを、そして一人じゃないのだということを教えてくれます。僕たちが自分の限界を広げる強さをくれるのです。
だからこそ、数十年であらゆるグループのメンバーシップが4分の1にまで減少したことが衝撃的なことなのです。
世界は、そういったグループ以外のところで生きがいを見出さなくてはいけない人たちであふれています。
しかし、人間はもう一度コミュニティを立て直したり、新しいものを作り出すことができると僕は知っています。多くの人はすでにそうしているからです。
僕はアグネス・イゴイェに出会いました。今日の卒業生です。アグネス、どこにいる?アグネスは、ウガンダの紛争地帯を案内しながら子供時代を過ごしました。そして今彼女は、コミュニティの安全を保つために、数千もの法施行のトレーニングをしています。
また、ケイア・オークリーとニハ・ジェインにも会いました。二人も今日の卒業生です。ほら、立って。ケイアとニハは、病気に苦しんでいる人たちと、そのコミュニティ内部で彼らを助けたいと思っている人とを繋ぐ非営利団体を立ち上げました。
ケネディスクールを今日卒業したデイビット・ラズ・アズナールにも会いました。デイビット、立って!彼は元市議会議員で、メキシコシティで婚姻の平等を実現しました。ラテンアメリカでは初の快挙で、これはサンフランシスコよりも早かったのです。
そしてこれは僕の物語でもあります。寮暮らしのとある学生が、まずある1つのコミュニティを繋ぎ、ある日それが世界中に広がっていくことを夢見ていたのです。
変化はローカルに始まります。グローバルな変化も最初は小さく、僕らのような人々から始まるのです。僕たちの世代がもっと多くの人と繋がれるかどうか、大きなことを実現できるかどうかは、このことにかかっています。コミュニティを創り出し、一人残らず誰もが生きがいを感じられる世界を創り出すことができるかどうかにね。