サセックス大学に在学中の和田菜摘です。前回の記事では、イギリスに留学しているのにも関わらず、インドネシアでインターンをしている理由についてお話しさせていただきました。
今回は、どうやってインターンを探したか、そこから何を学び、何を得たかについて書いていきたいと思います。
インターンシップを探すことは、今の時代誰でも簡単にできることですよね。ネットさえあれば!(笑)とりあえずインターネットで「海外 インターンシップ」と検索すれば、たくさん情報が出てきます。私は特に以下の方法を使いました!
また「知り合いづてに聞いてみる」というのも、実は魅力的な方法です。私は現在のインターンを人づてで紹介してもらいました。というのも、東南アジアで活躍する日本人は、その多くがつながっているんだそう。情報交換をする機会が多いので、「インターン生を募集してる」なんて情報も入ってきやすかったりするそうです。殊東南アジアに関しては、信頼できる人にインターンを紹介してもらうというのもオススメです。
選択肢が多くある中、インターン先選びで私がもっとも重要視していたのは、「その仕事を通して、なりたい自分になれるか?」というところです。
私は好奇心が旺盛で、即行動派の人間なので、ロングタームでの目標設定は苦手。ですからまずは、「インターン後にどんな自分になりたいか?」ということをしっかり設定。その上で、果たしてそうなれるような職場なのか、プラスそこで、何ができるかと労働条件などを照らし合わせて決めました。
私は、このインターンの目的を「自分の得意分野、興味のある分野で就学経験を積み、それが向いているかどうか見極める」というところに設定しました。そこで、自分が得意な営業とマーケティングに絞り、その仕事を一任させてもらえるインターンをチョイス。そこで+αとして、そこで自分は何を得られることができ、何ができるようになったか?という結果を出す。それが最優先事項でした。
インドネシアでの初めてのインターンは、教育関連の会社。ここでは、「自分で何かを考えて行動する」ということを身につけることができました。簡単なことに思えるかもしれませんが、一つ一つの作業に価値を見出し、自分なりの方法で取り組むということは難しいことです。
はじめは、振られた仕事をする、そしてその仕事を知るという、いつも受け身の状態でした。仕事内容も掘り下げることができず、自発的に何かをするということをせず、自分であらゆる仕事を単なる作業、雑用にしていました。自分で新しいことを見出すことをしなかったのです。
そんなとき、知り合いの方に「こんなアプローチ方法あるけど、やってみた?」とアドバイスを受けました。自分は仕事を一つの視点からでしか見られていないのだと気が付いた瞬間です。それがきっかけで、今では、同じ仕事でもほかの人とは違う視点から物事を判断する癖がついています。与えられた仕事を自分なりの解釈でこなすことで、仕事とは受け身の作業ではなく、新しいことにチャレンジするステップだと考えられるようになりました。
現在はマーケティング関連の会社でインターネットサービスを売る営業をメインにしています。初めてするテレアポや実際にお客様を訪ねて営業をするという仕事、最初は慣れないことで戸惑いましたが、自分なりのテレアポ方法を考えたり、テレアポより直アポが効果的だと思ったら、直アポで伺ったり、営業方法でもお客様一人一人に合わせて方法を変えたり、考えることが増えました。前職の経験から知りえたことです。
ここ、インドネシアでは学生インターンでも自分なりの方法で仕事をさせてくれます。例え学生だとしても、一人の大人として、ただのインターンでも、一人の社員として接してくれます。そして上司は、私が挑戦、活躍できる場所を積極的に提供してくれますし、サポートもしてくれる。
ただ、もちろん悪い点もあります。そもそも価値観が違うため、仕事のことや常識に関してなどで日本人の考え方と合わないことがあるということです。例えば、日本人は集団で規則を重んじることに重きをおきますよね。インドネシア人は、一概には言えませんが、そういう感覚は薄いと思います。朝礼をするからこの時間が出勤時刻としても、時間を守らない人もいます。そもそも勤務時間をそこまで拘束する必要があるの?と思っている人もいます。また、日本で一般的な「ホウ・レン・ソウ」の概念も薄いと思います。なので、ミスコミュニケーションも多いです。
ASEAN新興国は、私個人的な意見では、年齢関係なしに、多くのこと、スケールが大きいことに挑戦できる環境であると思います。私の場合は、営業回りを一人で任せてもらっています。
ただ、日本とは違う文化圏で働くということ大変なことも多くあるのはもちろんです。そのような違いも肯定し、受容できれば楽しめると思います。先ほど述べたようなデメリットは、コミュニケーションを増やして、価値観や感覚など言葉足らずで理解できない部分を埋めようとする努力でどうにかできる部分でもあります。