自己紹介
名前 池山 由希子
所属 立教大学文学部
私は1年間、ドイツのフランクフルトに留学していました。留学の際、現地の人との関わりのなかでよく聞かれた質問のひとつが「大学で何を勉強しているの?」、つまり学部は何か、というもの。
日本の大学では文学部のドイツ文学科に所属していますが、文学部は決してマイナーな学部ではないですよね。しかし、ドイツでは「文学を学ぶなんて変わってるね!」と言われることが多く、最初は驚きました。
私の大学のドイツ文学科では、文学だけでなくドイツに関わることならなんでも学べる、ということを説明すると、彼らの疑問は解消したようです。しかし、その次によく聞かれたのは、「文学部を卒業しても、仕事に就くことは難しいんじゃない?」ということ。これも日本ではあまり尋ねられたことがなかったので、最初のうちは、なぜみんなその質問をするのだろうか、と不思議に思っていました。
しかし、現地で生活をしているうちに「文学部を卒業してどんな仕事に就けるのか」とドイツでよく聞かれる理由がわかってきました。ドイツでは大学で学んだことと、就く仕事の間に密接な関わりがあります。人文学を専攻した学生は卒業後、一般企業での職を得ることは難しいようでした。ドイツ人の友人で、「日本学を勉強したけど仕事がありませんでした、残念です…。」と嘆いている学生もいました。
将来の仕事のために、人文学系の学部は副専攻として選び、主専攻は社会学部や経済学部など社会学系にして、就職するのに困らないようにする学生も多いです。
私が、日本では大学での所属学部と、将来的な仕事との関係性は比較的うすく、文学部でも就職には全く困らないということ、そして一部の専門性の高い職業は別として、むしろ大学で学んだことと全く関係のない職業に就く人がほとんどである、ということを説明すると、多くのドイツ人は驚いていました。そして彼らはよく言いました。「じゃあ、きみは何にでもなれるんだね!」と。
私はこの、ドイツでよく言われた「何にでもなれる」という言葉がとても好きになりました。「何にでもなれる」と言われて、自分はなんて可能性に満ち溢れていて、自由なんだろう、と感じたことを覚えています。
もちろん「何にでもなれる」からこそ、迷うことはたくさんあります。膨大な選択肢を目の前にして、自分はいったい何がしたいのか、何ができるのか、と途方にくれることも少なくありません。
帰国後の就職活動では、大学で学んだことと仕事との関りがあまりないからこそ、どんな基準で自分が評価・判断されるのかあやふやで、疲れたこともありました。そのほかにも、日本の就活システムにはいろいろと突っ込みどころが多いもの。それを乗り切るためによく思い出していたのが、ドイツでの生活の中で気付いた「何にでもなれる」ということの素晴らしさでした。
私たちは、何にでもなれます。もちろんドイツの就職システムにも、日本のシステムにもそれぞれの利点がありますが、日本でのシステムにおいては、将来の仕事のことを危惧して、学びたいことを我慢する必要もありません。学部が原因でなりたい職業をあきらめる必要性に迫られることもほとんどありません。
なりたいものになって、楽しんで、戦って、やりたいことを仕事する。日々の糧を得ることが出来る。それってとても自由で、素敵なこと。そんな前向きな気付きを与えてくれたドイツの友人、現地での生活に感謝しています。