私が今、アイダホにいる理由

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初めまして!法政大学4年生の高田勝太と申します。
現在、私はアメリカ、アイダホ州の州都に位置するボイシー州立大学(Boise State University:以下BSU)に交換留学生として通っています。アイダホというと、みなさんが思い浮かべるのがアイダホポテトでしょう。そんなポテトに満ちた約一年間の留学生活をみなさんにお届けしていこうと思います。
よろしくお願いいたします!!

ちなみに私が通うBSUのキャンパスはこんな感じ!!いやー、まさにアメリカの大学!って感じですよね。初日は興奮しっぱなしでした。

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初回の投稿ということで、私が留学を決意した理由に関して書いていこうと思います。

○○生まれ、神奈川育ち


実は私、帰国子女なのです。そう言うと、決まり文句のように「だから、英語話せるんだね!」と言われますが、それは誤解です!なぜなら海外生活の中ではほとんどの時間を日本語の環境で過ごしていたからです。そんな似非帰国子女の私が留学をする決意をしたのには、私のこのバックグラウンドと家族が大きく関係しています。

何を隠そう、私の出身地はアラブ首長国連邦のドバイです。そして、4歳までの日々をドバイ、香港、シンガポールで過ごしました。父親の仕事の都合により、長年の海外経験を積んでいた5歳上の姉と母は英語をマスターしていましたが、私は全く分からない。心のどこかで家族に対する劣等感と憧れを抱いておりました。

そして、「英語が話せるって、凄いかっこいいじゃん!!」そんな子供らしい単純な思考が幸いにも(?笑)大学1年生になった時にも残っていました。漠然と留学に行きたいと考えていた頃、父親とご飯に出かける機会がありました。そこでこんなアドバイスをもらいました。
「法に触れなければ、どんなことをしてもいい。責任を取れるのなら、人に迷惑をかけてしまっても構わない。その代わりに英語だけはマスターしておけ。」
過激すぎるだろ!と心の中でツッコミを入れつつ、整理した結果、私の解釈としては『それくらい英語って大切なんだ』ということに落ち着きました。ビジネスの面でも国境の境目がどんどん無くなってきている。そんな時代の流れと父のアドバイスが噛み合い、後に妙に深く納得したのを覚えています。

ドバイ生まれであるというアイデンティティーと、家族との比較で生まれた英語へのコンプレックス、父親の荒々しいアドバイスなどの要素が組み合わさって、留学に行きたいという思いがこの頃から芽生えていました。

俺、本当に留学に行くのか?


法政大学には派遣留学制度というものがあります。返還不要の奨学金が100万円支給され、海外の大学の学費も法政大学が負担。さらに大学5年生時の学費も免除というVIP待遇が受けられます。これだけのサポート体制なだけあり、GPA,語学力(TOEFL,IELTSのスコア)、面接、小論文(2言語)の総和で合否がきまるシビアな選考過程です。そして、学生が約2万7千人いる中で選抜されるのは約60名とのことでした。

大学一年生の時にその情報を知った私は、派遣留学の権利を勝ち取るのは絶対に無理と決めつけていました。楽な方に流されやすい自分では”遊学”になってしまうと、ワーキングホリデーも諦めて迎えた3年生の夏休み。「目標を持たずに、なんとなく送る生活で納得できるのか?」と自問自答する時期を迎え、至った答えはもちろんNo。自分を厳しい環境に置くため、派遣留学に行く。そのためならどんな犠牲だって払おうと心に決めました。
目指すはBSU。スポーツビジネスを学ぶ私には、アメリカンフットボールの強豪で地元からも熱烈な応援を受けているBSUは、正に理想の大学だったのです。

しかしその時には選抜日程まで残り二ヶ月。課題として重くのしかかったのは、英語の能力でした。独学では間に合わないと判断し、全てをかなぐり捨てて一ヶ月間のセブ留学を決意します。確かにお金も時間もかかります。しかし、ここで労力を惜しんでしまっては過去と将来の自分への冒涜になってしまう、そう確信していました。ゼミ合宿は欠席し、バイト先にも頭を下げました。たくさんの人に迷惑をかけましたが、私は全く後悔はしていません。何か大きなものを得るときには何かを失う覚悟が必要だと私は強く信じているからです。

私が今、アイダホにいる理由

1日13時間の勉強に耐え、正直に言うと激痩せするほど辛かったです。先生にダメだしされまくり、この写真のような状態になったこともありました。「いやいや、そんなに落ち込むか!?」と今では思いますが、この時は相当追い込まれていたんだろうなと懐かしく思います。
セブ島での生活は、日本でぬるま湯に浸かっていた自分を一気に熱湯の中にぶち込むようなそんな経験となり、そんな刺激たっぷりの生活を乗り切ったという自信がアメリカに来た今でも、私の財産として残っています。帰国後に受けたIELTSでは一ヶ月の死闘の甲斐あって基準点を超えることができた時の喜びといったら、もう...言葉が見つからないほどでした。その後の選考でも周囲の人に支えられ、第一志望であったBSUに合格しました。BSUでなかったら絶対に嫌だ、と強く思っていたので合格通知を受け取った時は手が震えましたね。それくらい嬉しかったのを覚えています。

派遣留学に行く、セブ島に行くという決断ができたのは、高校生のときにたくさん後悔して得た「迷ったらGO!」というモットーのお陰です。チャンスの神様は前髪しかないというのをよく耳にしますが、その前髪を掴まずに指を咥えて見過ごすのは絶対にしたくありません。詳しくは改めて記事を書こうと思います。

新生活スタート


8月からついに留学生活がスタートしました。

BSUのアジア人の比率は約1,5%です。その中でも日本人は特に少なく、本当に数えられるほどしかおりません。ほとんどが白人という、移民国家アメリカとしては珍しい人種構成であると思います。そのため、授業中はもちろん、4人で共に住んでいる寮でもアメリカ人に囲まれます。そこで問題になるのがやはり英語力。一対一で話す分には良いのですが、ネイティヴに囲まれると会話の速さについていけません。若者独特の省略言葉やスラングが入ってくるので、机上の勉強だけでは対応仕切れないんですよね。そんなことを考えずに渡米した私は、到着して2日間で英語に対する自信を喪失しました。「今まで勉強してきた英語はなんだったんだろう」と、延々と考えて落ち込んだり、会話の輪の中にいても自分がどこか蚊帳の外にいるようなそんな名状しがたい孤独感に苛まれる時が幾度となくありました。
それもこれも留学経験者の方々は乗り越えていった関門だと思います。「最初の2,3ヶ月は忍耐の時期」と先輩から聞いたこともあり、今ではすっかり割り切って考えられるようになりました。バディーシステムを用いて出会った一人の友人にこんな言葉をもらったのも割り切れるようになった理由の一つになっています。
「勝太はアメリカに来たばかりだ。悩む時期もあるかもしれないけれど、それさえも楽しんだ方がいいよ。だって、悩んでも楽しんでも時間の流れは変わらないだろ?」
その通りだと思いました。どうせ時間を使うのであれば楽しんだ方がいいに決まっている。そんなことを忘れていた私は、一体何を考えていたんだろうと目が覚めた瞬間でした。それからは、課題の多さや学生の学びに対する積極性などに対して驚きの連続ですが、楽しむ姿勢を忘れずに食らいついていこうと考えられるようになりました。

たくさんの犠牲を払って今、私はアメリカにいます。せっかく得たビッグチャンス、死んでも逃しません。残された時間を無駄にせず、『世界を少しでも変えられるということを証明する留学』にしていきます。

最後に私のお気に入りの風景をみなさんにお届けして文章を終えたいと思います。

私が今、アイダホにいる理由

めっちゃのどか〜〜〜!!!(笑)
それではみなさん、また次回、お会いしましょう!

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この記事を書いた学生ライター

Shouta Takada
Shouta Takada
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アメリカの大学に交換留学生として約1年留学。 主にスポーツビジネスを専攻。 大学卒業後、大手スポーツ用品メーカーにて営業を経験。 OYO大学の一期生として2020年3月卒業。 VC陣に向けて行ったビジネスピッチでは審査員賞を受賞した。 現在は独立し、習慣化オンラインスクール「90 English」を起業。 経営者、上場企業の管理職、社会人、大学生まで幅広い層の生徒が所属し、英語の習慣化を達成している。 【サービスHP】 https://90english.studio.design

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