「日本人の縄跳びレベルはかなり高い」シルク・ドゥ・ソレイユで縄跳びパフォーマーを経験した粕尾将一氏が語る生き方とは。

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日本でも多くの観客を魅了する世界的エンターテイメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」。
実はこのプロフェッショナル集団で活躍する日本人が多いことをご存知でしたか? 

今回は、シルク・ドゥ・ソレイユがアメリカのディズニー・ワールドに提供する「La Nouba(ラ・ヌーバ)」で縄跳びのアクトをしておられた粕尾さんに、壮絶な舞台裏から「表現する」とはどういうことなのか、シルク・ドゥ・ソレイユを離れた今後まで、たっぷりお話を伺います!

粕尾将一(かすおしょういち)さん:栃木県生まれ。高校2年生で縄跳び競技を始め、2003年にアジア大会優勝。その後数々の国際大会で優勝し2009年に競技を引退。2010年より渡米しシルク・ドゥ・ソレイユのショー「ラヌーバ」にて約2500回の公演を経験した。2016年より活動拠点を日本に移し、全国の小学校や商業施設でパフォーマンスやなわとび教室を開催している。


シルク・ドゥ・ソレイユという異世界に飛び込んだ


———縄跳びを職業にしようと思ったきっかけについて教えてください。

粕尾: 高校生の時に、日本初の縄跳びのプロチームの演技をたまたまインターネットで見て、カッコいいなと思っていたら、体育のカリキュラムがちょうど縄跳びになったんですよ。その瞬間に「これだっ!」と思い、縄跳び一本で生きていこうと考えるようになりました(笑)。大学に関しても、何かしら縄跳びにプラスになる情報を得たい、理論的な下積みを積みたいという思いから、体育大学で縄跳び以外の運動や、トレーニング理論、指導方法などを学びました。

────シルク・ドゥ・ソレイユにはどのようにして入られたんですか?

粕尾: 勝手に師匠として尊敬していた方が、ある日突然「俺、シルク・ドゥ・ソレイユ行くから!」と入団してしまったんです(笑)。彼の演技を見て、なんとなくウェブサイトから動画と履歴書を送っておきました。就職活動でもよくあるじゃないですか、特別行きたいという訳ではないけど、とりあえずエントリーしておくような感じです。そうしたら半年後くらいに、いきなりメールで「最終選考に残りました」と連絡が来ました。
結局その時はダメで、その後も何回か連絡が来てはダメということを繰り返して……4回目に今度は電話が来たんです。いきなり英語でシルク・ドゥ・ソレイユの契約が…という話をされて、そのままアメリカに行ったという流れでした。いつ選考されていたのかもわからないですし、本当に相手次第という感じです。更に大変なのが、アクトを入れ替えようっていう会社の鶴の一声で仕事がなくなってしまうことがあるんです。実際に自分が帰ってきた理由も、アメリカの公演で縄跳びがなくなってしまったからなので。

———シルク・ドゥ・ソレイユにはどのような人が集まっていましたか?

粕尾: 一言でいうと、変な人が多かったです(笑)。一番多いのは突然歌いだしたり、大声を出したりするような、いわゆるラテンのノリを持った陽気な人ですが、中には対称的に、ものすごくストイックにやっている人もいましたね。日常生活では中々いないような人が集まっていたので、喧嘩や口論も頻繁にありました。

「日本人の縄跳びレベルはかなり高い」シルク・ドゥ・ソレイユで縄跳びパフォーマーを経験した粕尾将一氏が語る生き方とは。

日本人の縄跳びレベルはかなり高い


粕尾: 一番は公演数が多い事です。週に10回、年に480回も同じショーをやっていましたからね。出勤も同じ時間、アクトも同じ時間、メイクも衣装も全て同じ状態で、ひたすら繰り返すんです。モチベーションの持続という意味でも大変でしたし、怪我の問題もありました。プロの競技選手として活躍していた人でも、怪我に悩まされていました。他には、「言葉の壁」に関してもかなり苦労がありましたけれど、当時自分がいたショーで縄跳びのアクトをやっていたのは僕ともう一人の日本人だけだったので、演技を作るという点では助かりました。シルク・ドゥ・ソレイユ全体でも、縄跳びのアクトをする4人のうち3人が日本人でしたね。

———縄跳びのアクトに日本人が多いんですね。

粕尾: そうなんですよ。日本人って小学生のうちに縄跳びを絶対にやるし、二重跳びができる人も多かったですよね? 実はそれは世界的にはかなりレベルが高いんです。さらに、日本人は、表現やパフォーマンス性、音楽への関心が他国の人に比べてとても高い。なので「いかに魅せるか」ということをかなり意識して、1でこっちを向いて、2でこうする、というようなパフォーマンス性を考えた構成を練れるんです。

———「日本への帰国」を告げられた時の心境はいかがでしたか?

粕尾: 聞いた直後はショックでしたけど、日本に帰れる安堵感もありました。毎日1600人の前にスポットライトを浴びて立つことの緊張感は尋常ではなかったです。それを5年以上も続けたので、残念な気持ちや悔しい気持ちの中に、ほっとしたという気持ちもありました。同じことを繰り返すのは大変ですが、同時に自分自身を見つめ続けられる貴重な時間だったと思います。

「日本人の縄跳びレベルはかなり高い」シルク・ドゥ・ソレイユで縄跳びパフォーマーを経験した粕尾将一氏が語る生き方とは。

「表現する」とはどういうこと?

———粕尾さんはご自身のブログで「表現する」ことについても書かれていますね。最近では「表現者」という言葉もあります。表現とパフォーマンス、そして身体表現の違いはどこにありますか。

粕尾: 自分の中では「表現」の大きなくくりの中に「パフォーマンス」が含まれていると思っています。「表現」というのは大きなアートのようなイメージで、絵画や音楽を極めている人たちの発信するものは全て「表現」です。例えば絵を見たときに一瞬で引き込まれたり、音楽に聴き入ってしまって涙を流すようなことってあるじゃないですか。それは「表現」の力ですね。その中に「パフォーマンス」という身体表現を使った芸術があるんだと思います。更に技術に特化したのが競技ですね。

———なるほど。もう一つ、アーティストと職人についても書かれています。粕尾さんはどちらを目指されていますか?

粕尾: アーティストのほうですね。職人として一つを極め続けることよりは、自分を表現することを主として、名前をちゃんと出して表現していきたいという思いが強いです。もちろんものすごく高度な技術を発表していくことも大事ですけど、そこに「粕尾将一」という名前を乗せて発信する事に意味があるのかなと思うんですね。

ちなみにシルク・ドゥ・ソレイユにいた時は職人的な部分に寄っていました。というか、シルク・ドゥ・ソレイユに所属している状態では名前を前面に出せないので、そうならざるを得ない部分があります。もちろんその中でできることもありましたが、やっぱり限界を感じる部分も多かったです。

———最後に、何かに挑戦しようとする若い人たちメッセージがあればお願いします。

粕尾: 自分が縄跳びを本格的に始めた時、縄跳びは小学生がやる遊び程度にしか思われていませんでした。だから周りの人の共感をあまり得られず、協力者がいないという大きな壁がありました。そういう壁を乗り越える意志の強さが必要なことをやったほうが良いと思っています。
 他人に何か言われた程度で揺らいでしまうようなら、おそらく続かないですね。「やめとけ」と言われても「いや、違うんです。僕は絶対に何を言われてもこれをやるんです」と言えるだけの覚悟がないと、プロにはなれない。それは縄跳びでも同じことで、「僕は縄跳びで一生食べていきたいんです」と言われたら、まず「やめとけ」と言います(笑)。僕自身も学校で言われました。それを突っぱねるくらいのガッツがないと、厳しいと思います。

逆にそういうものを見つけるまでは色々なことに挑戦したらいいと思いますよ。自分の興味がある事に手を付けては辞めて、また新しいことを始めるということを繰り返すのも若い人の特権なのかなと思います。ただ、やるなら必ず本気で挑戦したほうが良いです。一度全力で傾いてみて、それでも違うと思ったら辞める。中途半端にやって中途半端に辞めるのは時間の無駄なので、やるなら本気でやりましょう。自分も縄跳び始めたばかりの時は、一日7~8時間やっていました。まずはそれくらいやってみて、それでもやりたいと思うようなことを探す方がいいです。何をやるにしても、本気になることは大事ですね。

この記事を書いた学生ライター

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