こんにちは。英国 University of East Angliaで国際開発学を学ぶ Igari Yokoです。
今回は、ジェンダーについてお話したいと思います。最初に、私自身がなぜジェンダーという領域に興味を持ったかに触れた後、日本のジェンダー問題についてお話していきます。
両親にとって、少し遅く出来た唯一の子どもだった私は、何不自由なく大切に育てられました。むしろ、甘やかされていた位で、興味がある事には何にでも挑戦する事が出来ました。しかし、小学生頃になると、その状況が徐々に変わり、自分がやりたい事に対して、周囲が難色を示すようになっていきました。
最初に「女だから出来ない」壁にぶつかったのは小学生の時でした。運動会で、皆を鼓舞する姿に憧れて、応援団の団長に立候補しました。しかし、男子児童の反対に合い、結局、団長にはなれず、副団長に収まりました。次第に周囲からだけでなく、自分に何事も挑戦する様に言ってくれていた親にも「女の子なのにそんな事をやって」と思われ始めました。母親が快く思っていなかったのは、中学校から高校にかけて行っていた、ドラムの演奏です。足を開いて、激しく両手を動かすドラムの演奏は「女の子らしくない」「みっともない」等とよく言われていました。
なぜ、自分のやりたい事に周囲が口を出し、意見を言ってくるのか。なぜ、常に女の子である事を意識しなければならないのか。“自分らしくいたいだけなのに—”。とても生きにくさを感じていました。生きづらさの原因にハッキリと気づいたのは、短期大学の最終年で恩師に出会って、授業を受けた事がきっかけでした。自分を縛っていた目に見えない物—。それは、「女の子らしさ」を強要するジェンダーに固定的な概念を持つ社会でした。私は、社会が求める「理想の女の子」では無かったのです。
ジェンダーとは、「社会的、文化的に形成された性別」の事で、身体的な男女の違いではなく、社会の中の男女の差を意味します。
日本は「社会的性差」と「生物学的性差」と一緒に考えており、男性らしさ女性らしさは既に生まれた時に決まっていると考えている傾向が強く、日本社会のジェンダー問題への無関心、鈍感さ、そして日本の社会の強固な男性主導社会などの為、「男女の差は生まれつき決まっている」という概念の制約からなかなか解放されません。
「男らしさ」「女らしさ」という概念に縛られた社会が、私に違和感を覚えさせました。ジェンダーの存在を知り、心のもやもやの原因が解明され、自分が感じていた違和感は間違いではないと確信しました。それと同時に、同じような気持ちを持つ人は日本にも、他の国にも多くいるのではないかと思いました。実際に、ジェンダーは世界中のどこでも垣間見える、世界が抱える大きな問題の一つです。例えそれが、途上国であっても先進国であっても—。
ジェンダーは一見すると女性だけの問題と誤解されがちですが、男性自身の問題でもあります。2014年のエマ・ワトソンによる有名な演説での「Men— Gender equality is your issue, too」の一節は有名です。
分りやすい例で言えば、男性の高い自殺率が挙げられます。世界に共通して、女性よりも男性の自殺者が目立ちます。日本も例外ではなく、内閣府によると平成27年の自殺者は24,025人で内69%が男性です。「立派な男は働いて、家族を養うべき」という考えがプレッシャーになり多くの人を苦しめていると言えるかも知れません。
ジェンダーは、複雑で根絶する事は容易では無いと考えられています。その理由としては、ジェンダーは社会規範と大きく関わる事、社会に深く根付いている事、普遍化してしまい問題自体に気づき難い事などが挙げる事が出来ます。又、文化や歴史によって何が男女にとって良い形なのかが異なり、ジェンダーを一口に語る事はなかなか出来ないのです。
ヨーロッパやアメリカと比べると、日本は男女の社会的差が多い国とされ、ジェンダー問題ではとても遅れを取っています。毎年、世界経済フォーラム(World Economic Forum)から発表されるThe Global Gender Gap Reportでは、2015年の日本の順位は、中国 (91位)よりも低い、145か国中101位でした。
これは、日本は女性の労働参加率が低く、男性との賃金格差も大きいためです。確かに、日本女性はパートタイムで働く女性が多く、金銭面で男性に依存していると言えるかも知れません。しかし、これは必ずしも女性が男性よりも不利・弱い立場で、不幸である事を意味しません。もちろん、働きたくても社会のルールが理由で働けない女性もいると思いますが、結婚して家庭に入る事に憧れを持ち、望んでいる、又は現状に満足している女性も多くいるからです。その考え自体が偏っている、又は間違っていると言う事も出来ますが、上記でも述べたように、事はそう簡単ではないと思います。男女共働きの家庭を理想とする考えは西洋的で、ジェンダー指数は人々の幸福度を指すとは限りません。
とは言え、日本は「男らしさ」「女らしさ」にこだわりすぎて、なかなかその人の個性を尊重できない傾向があるのではないでしょうか。日本では当たり前ですが、女子トイレはピンク、または赤色で、男子トイレは青色で表記する方法も固定概念に基づいた差別であると言えます。イギリスでは、大抵の場合、両方黒で、場合によっては両方赤というトイレもあります。日本のトイレの色分けをアジア以外の生徒に話すととても驚かれます。トイレという一つの事例だけでも、日本人が「男らしさ」「女らしさ」に固定概念を持っているかが窺えます。
私が通うイギリスの大学(UEA)には男女の垣根無く誰でも使えるトイレがある
今や、ジェンダーは遠く離れた問題ではなくとても身近な存在です。又、性的マイノリティーと言われる人々(LGBT)を考える上でも非常に大切です。これから日本でのジェンダー問題はどうなっていくのでしょうか。未だにテレビや雑誌では男の理想を叶えるための女子力とやらを高めるPRが目立ちます。しかし一方で、最近では、ジェンダーレス男子と言われる、男女の壁を超えてファッションを楽しむ若者や渋谷区の同性パートナーシップ条例が話題です。ゆっくりとですが、性によって人を判断するのではなく、一人一人の個性・多様性を認め自分らしく生きられる社会になってきているのかもしれませんね。
今回は私が一番関心のある、ジェンダーについてお話しました。私が考える理想の社会は、男女の差別も性的マイノリティーに対する偏見も無く、誰もが自分らしく生きる事が出来る社会です。もし、あなたが自分らしくいづらいと感じていたら、もしかすると、それはジェンダーが関係しているかも知れません。私達は、社会よって形成された、または固定化されたジェンダーが適切であるかどうかに注意を払い、当たり前に語られる“らしさ”に疑問を持たなければならないと感じます。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
英国 University of East Angliaで人類学を軸に国際開発学を学んでいます。短期大学で幼児教育を学び、職務経験を経て、2014年に渡英。現在、大学の日本人留学生大使としても活動中。facebook 日本人学生による留学体験記