私は「韋編三たび絶つ」という言葉が好きで、気に入った本は何度も繰り返し読みたくなります。『三国志(北方謙三)』『孫子』『国盗り物語(司馬遼太郎)』などは、もはや数える気も起こらないほど繰り返し読みました。
そんな私事はどうでもよいのですが、先日、生涯枕元に置いておきたいと思える一生ものの本を発見したので、これをみなさんにシェアしたいと思ってこの稿を起こしました。
司馬遼太郎氏の『21世紀に生きる君たちへ』という文章です。
以前から読みたいとは思っていたもののすでに重版未定になっている版もあり、これまで縁がなかったのですが、先日、司馬遼太郎記念館に行くとこれが置いてあり、見つけるやいなや飛びつくようにして手に取りました。
厚さはご覧のとおり薄いので、その場で読みきってしまいました。
内容は実に示唆に富んでいて、時世時節を越えて普遍的に真でありつづける、人間が社会を営んで生きていくうえで大切にすべき事柄が、簡潔で美しい文章にまとめられています。
読みながら、すぐさま身近な同志や大切な人が脳裏に浮かび、かれらに贈りたいと思い、余分に購入しました。
レジのおばあさんは、
「同じ本が3冊になりますが大丈夫ですか」
と、怪訝な表情でカバーに包んでくれました。
私の人生は、すでに持ち時間が少ない。
たとえば、21世紀というものを見ることができないにちがいない。
君たちは、ちがう。
21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、その輝かしい担い手でもある。もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう」
そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。
同書のこの箇所を読んで、私はハッとせざるを得ませんでした。
仮にいまこの問いを投げかけられたときに、私たちは自信をもって21世紀を肯定することができるのだろうか。
また、たとえば10年後に同じことを訊かれたとして、すでに21世紀の担い手であるはずの私たちは、堂々と胸を張っていられるのだろうか。
そう考えると、背筋の冷える思いがします。
しかし同時に、どうすれば私たちはよりよい21世紀を築けるのか、同書は非常に有用な示唆も残してくれています。
司馬氏は、いつの時代、世界のどこにあっても不変の真理であるとして、以下の2点の重要性を論じました。
① 自然を敬い、自然へのすなおな態度を取り戻すこと
②「自分に厳しく相手にやさしく」という自己を確立し、いたわりの気持ちをもって助け合うこと
①について、同書で司馬氏は以下のように述べています。
「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、みなそのようにへりくだって考えていた。
この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取り戻しつつあるように思われる。
この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分を広めてほしいのである。
そうなれば、21世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬するようになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるにちがいない。
そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。
以前私は、「滅びゆく人類に残された希望は日本古来の自然信仰」という記事を書き、自然への傲慢な態度を改め、自然を敬い共生する姿勢を取り戻すべきであることを訴えました。私のつたない文筆の才では4000字を費やさねばならないところを、司馬氏は実に短く簡潔な文章で述べきってしまっています。
司馬氏が亡くなったのは1996年。今年2016年は没後20年にあたります。まだ環境問題が大事になる以前から、自然に対する人間の驕慢さがいずれ破綻を招くであろうことを予感していました。その慧眼には驚くほかありません。また私たちへの期待として、あるべき自然への向き合い方を取り戻すよう、やさしい言葉で諭してくれています。
また自己の確立に関して、司馬氏は以下のように言います。
君たちは、いつの時代もそうであったように、自己を確立せねばならない。
―自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、とくにそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、洪水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
スティーブ・ジョブズは自分の子にはスマートフォンやタブレットを決して与えなかったといいます。自己を確立する前の小さな子どもに与えれば、技術が幼い自己をのみこんで滅ぼしてしまう、というようなことを思ってのことかもしれません。
また司馬氏は、自己を確立せよと述べつつも自己中心に陥ってはならないと忠告しています。なぜなら人間は決して孤立して生きていけるようにはつくられておらず、そのため、私たちは「社会」という助け合う仕組みをつくりました。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。
この感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、21世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。
世界平和の基も、私たち一人一人のたのもしい自己の確立にかかっているというのです。
福沢諭吉もさかんに「独立自尊」ということを説き、『學問のすゝめ』三編においては「一身独立して一国独立する」と述べ、一国家の独立は政府の独力では成し得ず、国民一人一人が勉学に励み、まず国民一人一人が独立することが必要であると言いました。
21世紀にあっても本質は何も変わりません。
自分には厳しく、相手にはやさしく、他者の痛みに思いをめぐらせ、いたわりと慈愛をもって接し、助け合う。
世界中のだれもがこのようなたのもしい自己をつくりあげることができれば、国家間のいがみ合いや、血で血を洗う紛争の連鎖など、起こる由もありません。平和とは国連がつくるものでもなく、外交官と軍人の手でつくられるものでもありません。うわべだけではない、真の意味での平和とは、私たち一人一人の確かな自己によってはじめて形を為すものなのです。
また、この『21世紀に生きる君たちへ』には、『洪庵のたいまつ』という文章も併載されています。
以下のような冒頭から始まる、これも非常に含蓄のある美しい文章です。
世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない。
ここでは、特に美しい生涯を送った人について語りたい。
緒方洪庵のことである。
この人は、江戸末期に生まれた。
医者であった。
かれは、名を求めず、利を求めなかった。
あふれるほどの実力がありながら、しかも他人のために生き続けた。そういう生涯は、はるかな山河のように、実に美しく思えるのである。
日本史における緒方洪庵の功績を教科書的に説明すれば、かれが開いた私塾「適塾」から、大村益次郎や福沢諭吉といった近代日本の立役者たちを数多く輩出したことでしょう。大村益次郎はのちに明治陸軍の創立者となり、福沢諭吉は維新・文明開化の思想的な先導者となりました。
余談ながら、慶応大学が福沢諭吉の慶應義塾を源流としているように大阪大学は洪庵の開いた適塾をその前身としており、その建物は国有財産として同大学の管理下にあります。この点、大阪大学は政府の開いた国立大学でありながら、私学のみが持ちうる校祖をもっているという、いささか特殊な事情を背負っています。
適塾は、蘭方医学を学ぶための塾でした。しかし門生たちの幅広い活躍をみれば自明であるように、適塾はかれらに単なる医術や語学力以上のものを身につけさせました。
「人間のからだというものは、諸機械がみな各自に運動していて、それで生活をしている。そのもとは一個の力より生ずる」
と、洪庵は門生に説いた。その一個の力というのを洪庵は生活力と名づけた。その生活力のモトのモトなるものは、酸質か、神識か、神経か、と洪庵はヨーロッパにおけるいくつかの最新学説をのべ、しかもかれ自身は結論をのべず、
「いまだ定説あることなし」
と、突きはなしている。こういう洪庵の平明な合理主義が、この門にむらがった青年たちにどれだけの思想的影響をあたえたか、はかりしれない。(『花神』)
大村や福沢の他にも、たとえば越前福井藩に生まれた橋本左内は、適塾で学んだのちに藩主松平春嶽の政治顧問になり、十五代将軍徳川慶喜の擁立にも関わりました。また大鳥圭介は蘭学のほかに兵学なども学び、戊辰戦争ののちに明治政府に仕え、陸軍省、外務省、工部省の要職を歴任しています。
洪庵自身も、弟子たちのそういうさまざまな方面での活動を期していたらしく、世が開明期であるために、蘭学を学んでもかならずしも医者になる必要はないというのが洪庵の方針でした。適塾という名は洪庵の号である「適々斎」からきていますが、字義のとおり、「門生をしてその適せる方におもむかしむ」という気分が塾風としてつよかったのでしょう。
余談が過ぎました。
洪庵はそのように高い能力を持ちながらも、名利を求めず、ひたすらに世のためを思って慎ましい人生を送りました。しかし、そんな彼が後世にもたらした影響の大きさは計り知れません。
司馬氏は『洪庵のたいまつ』を、以下のような文章で結んでいます。
ふり返ってみると、洪庵の一生で、最も楽しかったのは、かれが塾生たちを教育していた時代だったろう。洪庵は、自分の恩師たちから引き継いだたいまつの火を、よりいっそう大きくした人であった。
かれの偉大さは、自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである。
弟子たちのたいまつの火は、後にそれぞれの分野であかあかと輝いた。やがてはその火の群れが、日本の近代を照らす大きな明かりになったのである。後世のわたしたちは、洪庵に感謝しなければならない。
人類とは、はるかな過去から未来へと伸びてゆく一連の鎖のようなもので、我々一個の人間は、その鎖の一環になぞらえることができます。わたしたちは同時代を生きる人たちの横の繋がりと、先人たちから後世へとつながってゆく縦の繋がりという、縦横2つのつながりの中で生きています。横の鎖においては各々が自己を確立し、いたわりの心をもって助け合い、縦の鎖においては先人たちから脈々と受け継がれてきたきたたいまつの火を、絶やすこと無く、あるいはさらに煌々と美しく燃やし、後世へと引き継いでゆかねばなりません。
人類という壮大な連環の中で自分の一生に意味を与え、充実させ、人生を存分に楽しむとはどういうことなのか。
その大きなヒントを与えてくれる作品であるように思います。読者の皆さんにも、一読、いや、一度などとけちくさいことは言わず、折にふれて何度も噛みしめるように読まれることをお奨めします。
なお冒頭で私が写真を載せた版は、大阪府東大阪市にある司馬遼太郎記念館でしか入手できません。また朝日出版社から、原文と英語対訳を併載している版が出ており、こちらはAmazonや書店で容易に入手できます。
「英語教育を通してアンビシャスな人たちの夢を叶える力になりたい」という夢を実現するため、日本人に最適な語学教育のあり方を求め米国ボストンに留学。現在は日本に帰国し、語学教育事業に注力中。帰国後も執筆の機会を頂けたことに感謝しています。大阪大学4年生。