こんにちは。新しくCo-mediaのライターになりましたOhtani Keisukeです。日本の高校卒業後、アメリカの中西部の短期大学に進学し、会計学を勉強しています。
これからはアメリカ留学、特に日本人の少ない中西部の経験について投稿していきます。今回は初めての記事ということで自己紹介を含めた私の留学までの経緯を説明させていただきます。
海外進学をしていると聞くと、小さいときから英語に慣れ親しんで流暢に英語が話せるのではないかと思うかもしれません。でも私はその真逆でした。
中学に入るまで英語教育に触れたことは一切なく、地元の公立校に進学してからは英語が一番の苦手教科となりました。テストで成績をとることはできましたが、英会話のクラスではまともにコミュニケーションをとることもできませんでした。
そんな私に海外進学のきっかけを与えてくれたのは高校での出会いです。私のクラスにはフィリピン人の学生がいました。彼は母親が再婚したことをきっかけに6年前から日本に滞在し、夜間中学で勉強してから、少し遅れて高校に進学してきていました。日本に来た当初は日本語を全く話すことができなかったそうですが、2年間の夜間中学での勉強を経て、今は日本語、英語、タガログ語の3カ国語を話すことができます。
そして彼は他にも私の考え方に大きな影響を与えてくれました。
一つはフィリピンの貧困について、もう一つはアメリカの教育についてです。
彼は日本に来る数年前まではフィリピンに住んでいたので、フィリピンの政治や生活について実際に体験しています。日本とフィリピンを比較してどのように違いがあるのか、そして教育が与える貧困について彼の実体験に基づいて私に教えてくれました。
貧しい家庭の子供たちは教育を受けることができません。その子供たちが大人になったときは教育を受けていないことから仕事に就くことができず、同じように貧困に陥ります。そして彼らの子供たちも同じ負のサイクルにはまることになります。
日本においても教育が貧困に与える影響があると感じていた私は強く心を動かされ、将来は途上国で教育のために仕事をしようと心に決めました。
海外進学を考え始めたのはふとしたことから海外進学の斡旋会社が主催する説明会に訪れたことがきっかけです。小さいころから留学はお金がかかるから絶対にできないと親に言い聞かされてきたのでそれまでどんな留学情報も聞く前にシャットアウトしてきましたが、説明会では実現可能な留学の形について知りました。
説明会が終わってからも自分で情報を集め、海外への進学は自分の夢である「途上国への支援」の近道であるということがわかりました。
さらにアメリカの大学は「努力した生徒を認める」という制度がしっかりと整っています。多くの日本の大学とは違い、アメリカでは高いGPA(全教科の成績の平均)をキープすることがとても重視されます。
大学から数十万単位で奨学金が出ることも頻繁にありますし、特に上位の成績を維持すると全額支給のスカラーシップがもらえたりもします。
他にも車の保険が安くなったり、大学内で仕事に就くことができたりという、大きなメリットが得られます。
日本の大学で学業をほったらかしにしてバイトに専念する生活を送ることより、英語が出来ないながらも自分がどこまでできるか試してみたいと思ったのです。
そうして私は海外進学することを決意しました。
夏休みになり部活動を引退してからは皆一気に受験モードに入りますが、海外進学することを決めていた私は、オープンキャンパスではなくいくつもの留学斡旋会社の説明会に参加して情報を集めていきました。
情報収集と並行して、ところかまわず英語を勉強できる場所に参加しました。夏で野球部を引退した後に英会話部に入ったり、観光名所でフリーガイドの団体に参加したりしました。
コミュニティカレッジは受験というものがなく、英語要件を満たして出願さえすれば入学できるので受験勉強はしていませんが、海外進学に関する情報は少ないので情報を集めること自体に苦労しました。
斡旋会社を頼って出願しようとしても、どこも信じられないような高額を要求してきます。ただでさえ高いアメリカの学費があってこれ以上支払いを増やすわけにもいかず、アメリカに来るまでの準備は全て自分で進めました。
留学は絶対に皆さんのためになります。留学した先で辛いことは当然ありますが、それがあなたを強く、大きく変えていくことになります。留学を考えている皆さんには、ぜひ勇気を持って一歩を踏み出して欲しいと思っているので、皆さんの背中を押すことができるような記事を書いていきたいと考えています。
次回の記事ではコミュニティカレッジの進学について書いていきます。
よろしくお願いします。