グーグルキーワードプランナーによると、グーグルのキーワード検索において「就活 失敗」と入力される回数は1日平均約120回です。一方で、同様に「就活 成功」と入力される回数は1日平均約8回です。
このデータから、日本の学生は就活に失敗したくないという思いが、就活に成功したいという思いよりも強いことがわかります。
なぜ就活に成功したいと思う人が少ないのか、考察してみました。
日本においては、リベラルな空気が気軽に味わえません。
小学校では輪を乱す児童は「悪」とみなされ徹底的に矯正されます。
子供のなぜ?どうして?という問いかけには、「そういう決まりなのだ」と言って返してしまうのです。
教師たちもまた、協調行動を強要されて育ってきたのですから当然の連鎖でしょう。
中学校、高等学校では皆部活に入り、カチカチに構成された教科書通りの授業を共有します。生徒会などに属している意欲的な生徒は意識が高いと見なされ、一般生徒から煙たがられます。
大学では皆サークルに入って、バイトをします。「皆遊んでるし大丈夫だろう。」そんな思いで日々を過ごし、3年生の冬になると一斉に就職活動を始めます。
気がづけば日本の学生の意思決定は、差に大小はあれど「周りがやっているから自分もやる」「皆がやらないなら自分もやらない」といった具合に、周りがやっているかどうかという要因を基準にして成り立つようになってしまっています。
試しに日本の大学の教室に訪れてみてください。
大教室では真ん中から後ろの辺りから席が埋まり始めます。
人気授業でも同様です。真ん中後ろから、真ん中周辺、一番後ろ、そして余った前の方の席がようやく埋まるのです。
誰もが様子を見つつ、行動する文化。
一番上と一番下には横に人がいないから不安になってしまう。だから前後の様子を伺いつつ真ん中あたりに落ち着きたい。
いつの間にかそうやって行動する習慣ができているのです。
日本の学生にとっては、就職活動においても皆と違うことは許されないから、皆と違うことをするということはすなわち失敗なのです。
新卒採用の道から逸れたら失敗
大手企業から内定がとれなければ失敗
面接で人と違うことを喋ったら失敗
彼らにとっては、失敗をしなければそれはすなわち成功なのです。
だから、失敗さえしなければ良い。
実際のところ皆と同じことをやれば失敗はしないかもしれないですが、その先に成功はありません。成功するためには、他人と違うことをしないといけないからです。
だからといって他人と違うことをしようとすると、周りに反対されます。わざわざリスクをとるなんて馬鹿らしいと一蹴されるのです。
それゆえあまり目立たない、より多くの人に賛同を得やすいという基準をもとに"成功"するため方法を模索します。
"成功"するためにはこうすれば良い
"成功"するためにはあの人と同じようにすれば良い
本人は"成功"するための方法を探そうとしているはずなのに、実際には失敗しないための方法を探っているのです。
成功すること=失敗しないことという概念が長い時間をかけて刷り込まれたために、失敗しないための行動をとらなければいけないと思い、「就活 失敗」で検索をかけるのです。
「就活 成功」で検索する人が少ないのは、日本が失敗しないことを模索する人間を育てる教育をしているということなのかもしれません。
ちょっとでもわからないことがあったら、無料で手軽にグーグルを使って調べることができる時代になりました。日々新しいメディアが生産され、人は皆が集まる情報を見ようとします。
メディア側は人が集まるにはどうしたら良いか?ということを日々考え、情報を流します。
そして多くの人に支持されている情報は、まるでそれが普遍的な情報であるかのように人々の心に留まります。
「就活 成功」よりも「就活 失敗」に関する情報を与えた方がそれだけ人の目につきやすく、メディアとしての価値が高まりやすいのですが、就活生はそれを見てうんうんと頷くだけではダメです。
皆が見るような情報は、それを見た就活生皆が実行するので価値がなくなっていきます。
新しい情報を武装していかなければ、学生は皆同じ情報を共有し合うロボット就活生になってしまうでしょう。それでは就活最前線で生き残ることは難しいです。
もっともっと、新しい情報を取りにいけるようにしていかなければなりません。現状ではOB訪問のような、決して公にされないようなアナログで生きた情報を入手していくことが有効だと私は考えます。
慶應義塾大学商学部。圧倒的モラトリアムを満喫するために4年間日吉キャンパスへ通う(通常2年間,3年生から三田キャンパス)。 豊富な大学生活を活かして社会貢献できないか模索中。