東京大学在学中に劇団「ひょっとこ乱舞」を立ち上げた、広田淳一氏。その後東大を中退し、2011年に劇団名を「アマヤドリ」に改名。そんな広田氏に、演劇が刹那的なものであるがゆえの魅力、演劇そのものの面白さ、今の日本について感じていることを語ってもらった。
ーーまず、広田さんが演劇を始められたきっかけを教えてください。
広田:小さいころから嘘というか、なんだか迷信みたいなものがすごく苦手で、世間とか、常識とか、そういった目に見えないものに縛られたくなかったんです。サンタもいないと教えられてきました(笑)。それで、自分の人生を何か意味があるものに使いたいと思っていて、永遠に価値のあるものを探していましたが、いつか人類はみんな死んでしまうんだから何かを残すことを考えても結局は無駄だな、ということを20歳くらいの時に思ったんです。だからこそ、特に演劇なんてそうですけど、刹那的なもの、その瞬間で何かが起きるということに懸けてもいいんだなと感じたんじゃないですかね。
ーー「嘘が苦手」というのは、今の劇作品にも影響を与えていますか?
広田:まあ、僕自身の生活を考えると嘘ばっかりついているような気もするんですが(笑)でも、演劇はフィクションだからと言ってなんだか偽物であっちゃいけないと思うんです。自分としては作り物をこしらえているという意識はないんです。稽古場で行われることは、逆説的ですけど、演技の上で真実を求めるということで、「嘘じゃない演技をしてよ」ということを俳優たちにも求めている。結局それを積み重ねた結果として、嘘なんだけれども、その場にいる限りにおいては現実にしてしまうのが演劇の力でもあり怖さですね。
ーーなるほど。現代における演劇をどのように見られていますか?
広田:まあ、とても個人的な見方ではありますけど、僕にとって演劇をすることは資本主義的なるものへの抵抗だったんじゃないですかね。例えば、特許はワンアイディアを複製することですごい勢いで広まっていくわけじゃないですか。対して演劇は複製できません。その場で頑張らないと見てもらえませんから。だから手間がかかって、いくらやっても儲からない。
でもネットが普及したことで、逆にその場での事件性が今、すごく大事になったんじゃないですかね。以前は、テレビで見られるんだとか、映画で見られるんだってことが凄かったけれども、今は現場に行かないと意味ないよねという話になってきた。演劇の人間にとっては、その場で起きていることが一番迫力があるということは当たり前のことです。3000年前からそうしていましたから。だから演劇は駆逐されないわけですよ。だって生で見ること以上に高精細なものはないわけですから。駆逐されるとしたら、もう少し先ですね。
ーー先と言いますと。
広田:アンドロイド演劇というものが最近あるんですが、平田オリザさんというちょっとファンキーなおじさんがやっているんですけどね、たとえばそういったものが普及して、あるいは様々なテクノロジーなんかが生の演劇を越える体験を提供できるようになったら、その時はわからないですね。
ーー広田さんは東大中退ですよね。なぜ大学を辞めるという決断をしたのですか?
広田:決断というよりは劇団が忙しくなってなんとなく辞めただけですけどね。って、それもいい訳だな……。学問って、受験に受かる・受からないじゃなくて、その後に何をするかが大事なわけですよね? 自分が何を本当に学びたいか、なんてことが僕は30歳くらいにならないと分からなかった。つまり辞めることの意味もあの頃はわかってなかったんだよね、今にして思えば。ちゃんと学んでいれば、もっといろいろと得られたものがあったんだろうなと思うんだけれども。
ーー後悔はしていないですか?
広田:していないと言えばしてないんだろうね。わからないよね、こういうふうにしか生きれなかったから。そりゃもちろん成功したいとは思いますけど、成功することを目的にして生きてはいけないとも思います。やったって駄目なこともあるし、努力すればその分必ず見返りがあるというものでもない。だから他者との競争に勝つことを目的にするのではなく、「俺は、俺です」ということに価値が出てくるような生き方をしていないといけないと思います。評価される・されないももちろん大事だけれども、そうじゃないところでやってもいいのが、アートをやる人に許されている部分ですしね。
ーーアマヤドリという劇団を創設してよかった点はなんですか?
広田:いい質問ですね。演劇はなんだかんだ言って、集団でつくるものです。音楽だとパソコンでできちゃうってこともありますが、演劇は本当に人がいないとできないので、集団をつくることが演劇にとってかなり本質的なことなんです。しかもかなり深い関係の集団です。というのは、演出家と劇団員の関係って、表面的な魅力にはお互いすでに飽きちゃっているんですよね。むしろ面白いものをつくるためにはそこからのほうが大事だと思っています。お互いのカードは全部見せたって所から、「さあ何をつくろうか」ということが未知の領域であって勝負です。お互いのカードを見せ合って、「素晴らしいカードですね」と言っても、気分はいいかもしれないけれども何も進んでないですよね。「全部知っているけれども、なにか?」というところから作らないと、作ったことにならないのではないかと思っています。
ーー逆に後悔した点はありますか?
広田:創設しなければよかったとは思っていないけど、嫌なことはいっぱいありましたよ。でも、そんなにないのかもしれない。喧嘩別れみたいになってしまった人もたくさんいますが、今思えばお互い子供だったなと思うこともいっぱいありますし、当時は見えてないですからしょうがないと思います。でも、そんなに嫌なことは本当にないなあ。あったはずなんだけどね、たくさん。
大成功している訳でもないですけど、そんなに悔いもないのかもしれない。その都度言いたいことは言ってきましたね。こういう仕事の特権だと思いますが、間違っていると思ってるんだけど言えないなんてことをしたくないと思って生きてきたから。表面上仲良くするみたいなことはせずに、決裂した人とは決裂していますが、それも含めて満足しているのかもしれない。もうちょっと大人になれたらなって思うことはいっぱいありますけどね(笑)
──今の若い人にどのような印象をお持ちですか?
広田:若い人は「優しい」ですよね。でもそれはなんとなくそうなっているんじゃなくてちゃんと原因があると思うんです。テクノロジーが変化してきて、現代ではその気になりさえすれば出会いのチャンスは無限にあるわけです。だからこそ、いくらでも付き合いを切れる。そして、いつ相手に関係を切られるかわからないという緊張感を、みんなわかっているわけですよ。だから切られないように気を使いながら生きていかざるを得ない。
戦後の「お国のためじゃなくて、あなたの生きたいように生きなさい」という価値観と、それなりに満たされた環境の中でふわふわしちゃってる部分があるんじゃないですかね。自分がいかに輝くかなんて大した問題じゃないんですよ。自分がいかに愛されているかなんてもっとどうでもいい。でも、そんなことが目的になってしまわざるを得ない部分があるんです。自己実現することを要請されているというかね。それでバランスを欠いているところが日本人には多々あると思っています。
自分という個人を大切にしよう、って価値観から世界を見ていると自爆テロなんて意味わからないじゃないですか。だって、命が一番大事なんだから。だけど、彼らとしては死んじゃったら元も子もないなんてことは百も承知でやっている。それより大切なことがあるんでしょう。でも、皮肉なことに自爆テロは欧米ではカミカゼと呼ばれたりもするわけでしょう。もちろん日本人からすると違和感もあると思うんだけれど、西洋からはそう見える部分がある。アメリカ人からしたら、自分の命を捨てて攻撃してくるこれは日本軍がやったカミカゼだって、トラウマが蘇っている部分もあるんでしょうね。でも、カミカゼの国が一番カミカゼがわからなくなっちゃっている。今、世界で起きていることがなんなのか、日本人にはとてもわかりづらい世界になっていると思うんです。とても大きなズレを感じる。
本当に目的があって動いている人にとっては、自分が好かれるかどうかなんて関係ないんです。そういうことを本気でもう一回自分たちの生き方として理解し直さないと、今起きていることを我々が本当に理解することはできないと思います。たとえばテロリストたちの主張する内容そのものは全く理解できなかったとしても、スタンスそのものに対して理解する可能性が開ける。自分の命が大事で、なんで死んじゃうの? としか思えないとすると、主張の内容に踏み込む前の段階でもはや理解が終わっちゃっていますから。
ーーでは、若い人に対してアドバイスはありますか?
広田:まあ、僕もまだギリギリ若手という自覚を込めつつですが(笑) 若い人は頑張って環境を変えなければいけないと思うんです。若いなりに自分の世界があるけれども、自分が思っているよりも世界は大きい。若い頃って、根拠のない自信があるじゃないですか、とても大きな不安と一緒に。でもそれはそのうち賞味期限が切れるものだから。期限が切れないうちに根拠なく、己惚れまくって環境を変えていきたいよね。
あと、失礼であることは若い人の特権だと思うんだけれども、その失礼さにどこかで気づいていてほしい。いろんな世界を覗いていろんな先輩から学ぶのもいい。だけど、それぞれの業界に身を置いている人は、本当のことを言うと、その業界に骨をうずめたい人間だけを指導したいわけです。その時間をちょっと盗むわけだから、盗んでいいんだけど、心を込めて盗んでほしいかな。
ーーでは広田さんご自身は今度どのようなことに挑戦していきたいですか?
広田:劇作以外にも書くことはしたいなと思っています。自分の書いておきたいことがある程度見えてきましたから、例えば小説とか、言葉だけで完結する表現をやってみたいなとも思いますね。あとはもちろん、演劇を作る。ここ何年かで劇団の形というものが改めてまた整ってきた部分もあるからいよいよちゃんとした集団創作というか、充実した作品を作っていきたいな、という思いがあります。価値ある集団を作って、外側に向けて発信していく。いろんな人といろんな意味で刺激しあっていけるような場を自分たちで作っていきたいと思っています。いろんな業界でちゃんと風通しを良くしていかなきゃいけないんだろうなってことを思っている人は多いと思うんで、あれこれ繋いでいってみたいですね。