愛媛県松山市生まれ。愛媛大学に進学後、地元の商店街の活性化に携わる。その後、休学し上京。トーマツベンチャーサポートにて9ヶ月間インターンの後、地元の愛媛県で、子ども向けIT×ものづくり教育事業を運営する株式会社テックプログレスを起業。中国・四国最大規模の教室まで成長させる。2016年2月には、クラウドワークスから投資を受け、現在は広島校の開校準備中。
「事業がスケールしない」挫折を経て、東京を目指す
ーーまずはじめに、武田さんが起業を志したきっかけを教えてください。
武田:僕が高2の時に両親が離婚したんですけど、兄が大学進学、僕が高校進学、妹は中学進学でお金のかかるタイミングだったんです。その時に「仕事は生きるためにするもの」という空気を感じていて、「やりがいを持って仕事をすること」に憧れを持っていたんです。そこで、高校まではハイパーレスキュー隊に漠然と憧れを抱いてたんですが、もっと大きなインパクトを世の中に与えられる起業家という選択肢を意識するようになりました。
当時、ムハマド・ユヌスさんがノーベル賞をとったことにも影響を受けていて、グラミン銀行のモデルはもちろん革新的なんですけれど、起業家はビジネスを通して世界中の社会課題を解決できる、もしくは人にすごく影響を与えられる可能性を秘めてるなと感じたんです。なので自分の中では、起業と社会貢献が結びついていましたね。
ーーその後は愛媛大学に進学されたんですよね。大学で東京に出て起業することは考えなかったのですか?
武田さん:考えませんでした。大学を選ぶ時に重要なポイントとして、新天地で夢に向けて何かチャンジを始めることを考えたときに、土地勘や人脈などの観点でスタートの段階で多くの時間が必要になるので、それは無駄だなと思っていたんです。なので、誰に話にいけばいいのか、どこに行けば何を提供してもらえるのかをよく理解している地元の大学に進学しました。4年間のうちに絶対に会社を始めようと思っていたので、時間を節約する意識でしたね。
ーーやはり地元だと、行動を起こしやすかったですか?
武田さん:春休みの段階で興味ある研究室に顔を出すことができたのは、ひとつ大きかったかもしれません。僕は法文学部という法学部と文学部が融合した学部に進学したんですが、ムハマド・ユヌスの影響もあって開発経済に興味があったんです。でも、その後色々あって先生が大学からいなくなってしまって、結局はその研究室には入れなかったんですけれどね(笑)。
ーーその後はどういった行動を?
武田さん:地元の商店街の活性化に取り組んでいる人をテレビで偶然見たんです。ザ・シャッター街のような商店街で、そこの活性化を手伝おうと思って、その人に会いに行きました。最初はお祭りの手伝いや公園の掃除にはじまり、そこで小さなビジネスをはじめました。
ーーどういったビジネスですか?
武田さん:閉まっている商店の在庫を格安で買って、それを再販するスモールビジネスです。半年くらい商店街に関わって、テナントが閉まってる要因がわかってきたんです。2つあって、1つは住宅とテナントが一緒だから、おじいちゃん・おばあちゃんが、下でガヤガヤされるのが嫌だから貸したくないというパターン、もう1つは店主が亡くなって、在庫はあるのに、処分するのに時間もお金もかかるので放置されているパターン。この後者をどうにかできないかというところに着眼し、ビジネスをはじめました。在庫がなくなれば、新しいテナントも入れるので一石二鳥です。
その頃に、こういった地域活性化にかこつけたアイデアをビジネスコンテストに出そうと思って、プランを練ったんです。放置されている在庫の中でも特に多かった陶器を、インテリア雑貨としてアレンジする商品をつくってそれを販売するアイデアです。四国大会では優勝できたんですが、東京に行った時に全然相手にされなかったんですよ。自分は社会的なインパクトを与えられる事業をやりたいと思って起業家を志していたのに、「スケールしないのに、やる意味があるのか」と言われてしまったんです。そこで今やっていることを一旦やめようと思って、徐々に商店街に関わらなくなっていきました。
ーーでは、地域を活性化したいという気持ちはずっと変わらなかったんですよね。
武田さん:そうですね。愛媛が自分の中では必ず軸にありました。その後は、東京大会で言われたことが悔しくて、1回東京でインターンをしたいなと思っていたんです。その頃にSamurai Incubateの榊原さんが「全国47都道府県ベンチャーサミットやります。各地のリーダー探してます」とFacebookにポストしているのを見て、リーダーを任せてもらったんです。結果として、愛媛で100人以上集められるイベントを開催でき、とても充実していましたね。
ーーその後は東京に?
武田さん:インターン先も決まってないけど、とりあえず東京に行こと思って、東京に出ました。トーマツベンチャーサポートの方に色々とインターン先を紹介してもらったんですが、しっくり来る会社を見つけることができなくて、結局トーマツベンチャーサポートでインターンをさせてもらうことになりました。
ーーどういった業務に携わっていたんですか?
(モーニングピッチで100名を超える大企業、VCを前にプレゼン)
武田さん:当時は社員の方が数人しかいなくて、最初の3ヶ月はイベントの手伝いをやったり、資料を作ったりして、とにかくこぼれ球を拾うような形でがむしゃらに働きました。その後はコンサル資料作成がメインです。あとはベンチャーサポートのイベントがいくつかまだ未開催だったので、47都道府県のうち7~8県くらい現地に行ってサポートしました。
ーートーマツベンチャーサポートでインターンをして良かった、と思うことは?
武田さん:一番は、「やり切る力」がついたことです。学生だと自分で締め切りを決めてゆるっとコミットすることはあると思うんですけれど、インターンだと「来週のこの日までに100ページの資料作らなければいけない」というふうに期限が決まっている。逃げられない環境で、やり切る力をつけることができました。
ーーインターン中に思い出深いことはありますか?
武田さん:今、統括本部長の斎藤祐馬さんがトーマツベンチャーサポートを作った人なんですね。その斎藤さんの家と、僕が住んでいたシェアハウスが同じ方向だったんですよ。なので、日比谷線でいつも一緒に帰るときに、「愛媛でどういうことやるの? なんで東京に来たの?」ということをずっと聞かれるんです。それが10ヵ月。僕は陰で「日比谷線メンタリング」と呼んでいたんですけれど(笑)、朝昼夜は仕事して、日比谷線メンタリングがあった時は、帰ってからお風呂で「愛媛でどういう事業をこれから作って行くか」をめちゃくちゃ考えるんです。これは思い出深いですし、これが今の自分を作っているため感謝しています。
ーー日比谷線メンタリングを通じて、どのようなことを愛媛でやろうと思ったんですか?
武田さん:100社1万人の雇用を愛媛から生み出すことを、人生のライフワークにしようと決めたんです。僕は愛媛でインパクトを残したいと思っていて、みんなが愛媛に帰ってきたり、移住したりするためにはまず仕事が必要ですよね。なので、1万人の雇用が生まれるような会社を100社作るために、ベンチャーキャピタルをつくって創業期の会社に支援できるようになることが、僕の人生のミッションだと。
ーーなるほど。地元に帰ってからはどのようなアクションを?
武田さん:まずはルシオル合同会社という会社をつくって、年間100回を超えるくらい愛媛で毎週イベントやっていました。今も個人的な活動として「エスクラウド」という名前で、起業家が切磋琢磨しながら、一緒に成長していけるような場づくりをしています。毎週月曜日の19時から2時間、コワーキングスペースに起業家が集まって、近況報告や自分がぶつかっている壁を毎回プレゼンする。それを聞いて支援者がアドバイスするんです。その支援者というのは、フリーランスの人や、もしくは中小企業の社長さん、誰でも支援者と呼んでいて、そこに集まることで起業家を応援できるようなフラットな場所を作る活動を始めたんです。
でも、それだけは起業家は増えないなと思ったんです。やはり自分が大きな会社をつくったり、売却の経験がないと、信用を得られない。なのでまずは起業してロールモデルをつくろうと思って、小中学生向けのIT教育を推進する事業をやろうと思ったんです。小中学生向けのプログラミングや、ロボット、または3Dプリンターを使ったものづくり、「IT×ものづくり」教室のテックプログレスをはじめました。
ーーなぜ子ども向けのIT教育に辿り着いたのですか?
武田:そもそもテックプログレスは、早期のIT技術の習得を主の目的としてはいません。
小学生は平均約1時間30分、インターネットを使ってゲームをしたり、動画を見ていたりするんですね。その1時間半は子どもが持っている自由時間の半分なんですよ。半分がゲームや動画に使われてるんですよね。もちろん親はこの集中力を他のことに向けてほしいと思っている。こういった今の子ども達の夢中や大好きを「学び」に変えてやれる教育を実施したいと考えました。
その中で個性を伸ばしてあげたり、自分で考えて、答えを出して、学んでいけたりするような力を育む教育を、みんなが好きなデジタルを使ってやりましょうと。
ーー小中学生のIT教育を支援することにより、将来の起業家予備軍を育てていけるんですね。
武田:教育をやろうと思った理由はそこにもありますね。自分で問題意識を持っていたり、課題を考えるクセがついていたりしないと、起業はできないですよね。そういう人を育てる教育は、なかなか学校教育のなかではしっかり提供されていないポイントだと思っています。
ーー愛媛なりのローカライズというのは?
武田:プログラミングスクールと言わないことです。そこに尽きる。「ゲームが好きなことを、将来に活かそう」と「プログラミングを学びましょう」だと、反応率が全く変わったんです。東京では後者の言い回しですが、私たちの場合は違いました。
ーー昨年くらいから「地方創生」というキーワードが登場していますが、その流れについてはどのように思っていますか?
武田:僕らは後押ししてもらっている感じです。地方創生文脈に置くことで、地方から我々のようなビジネスが生まれてることにすごい好感を持っていただけるんですね。ITxものづくり教室は、東京から全国に広がっていくものだとイメージされると思うんですけれど「愛媛から、地方から始まっているのが良いよね」と言ってもらえる。
ーーその後、IT×ものづくり教室を発展させて、やはり最後はVCを目指すんですか?
武田:2~3年で事業売却を目指しています。それくらいの頃には、プレイヤーはたくさん出てくると思うんですよ。出てくる中で、僕らでやるよりはどこかの会社に入ってさらに大きくスケールできたらそのほうが良いですよね。まずはこの3年間はテックプログレスにコミットして、そこから退けるタイミングで退いて、僕としてはVCを始めたいなと。そこからいよいよ100社に投資する戦いが始まる。
ーー目指すところは、エコシステムの形成なんですね。
武田:そうです。僕も地元の起業家の先輩に出資してもらっていて、もし成功できたら、僕はその成功したお金を持って、次の人にバトンタッチしたい。
ーー最後に学生向けのメッセージをいただければ。
武田: 東京と地方では全然違うんですけれど、チャレンジすることに躊躇しているイメージがあります。とりあえずやってみればいいんです。でも、やらない人が多いんです。愛媛の学生で相談してくれる人も沢山いるんですけれど、皆「こういうことができたらいいな」というのも実は自分の中に持っているんです。でも、やらない。なので、失敗しても死なないので、やればいいと思いますね。