※この記事はNVC(Non Violent Communication: 非暴力コミュニケーション)について言及していますが、書かれている内容は全て僕の個人的体験によるものであることに注意してください。この記事はNVCや共感的コミュニケーションをコミュニケーションの理想として押し付けるものではなく、あくまでも一つの考え方、ものの見方の一つにすぎない、という立場をとりながら紹介するものです。
国際的に認定を受けたトレーナーだけがNVCについて正式に言及し伝えることが許可されていますが、本記事執筆時点で日本には認定トレーナーは存在しません。
さらに詳しくNVCについて知りたい場合は『日本経済新聞社: NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』を参照いただくか、もしくは日本各地で開催されている勉強会に足を運んでいただくのがいいかと思います。
認定トレーナーのみが「NVC」という名称を使用してワークショップなどを行うことを許可されています。そのため日本では代わりに「共感的コミュニケーション」として伝えられることが多いようです。
『NVC』というのはマーシャル・ローゼンバーグというアメリカの臨床心理学者が体系づけたコミュニケーションの方法で『Nonviolent Communication』の略称です。
日本語では『非暴力コミュニケーション』と訳されます。
「暴力」と聞くと、なにか物騒な、喧嘩?みたいな印象ですが、実際はそういうものではなく、もっと私たちの身近にあるものを指しています。
インドのガンジーは「非暴力非服従」を説きました。彼のいう「暴力」は肉体的な力を行使する暴力だけではありません。人の気持ちを傷つける行為もまた「暴力」として扱い、実際に人間の社会には後者のほうが圧倒的に多いことを示しました。
身体的なものだけではなく、もっと日常にありふれた暴力をなくす「人を思いやるコミュニケーション」それがNVCなのです。
「人を思いやる」なんていうととても基本的なことに聞こえますが、意外とできなくて後悔したことがあるのではないでしょうか?
友人間や恋人間、ビジネス、外交まで、あらゆるシーンに通ずるこの「思いやり」が広まって、すこしでも世界が良くなれば…という思いで、NVCのエッセンスをここで少しシェアしようと思います。興味がでたら、ぜひ本を1冊買って読んでみてください。
共感や思いやりをもってコミュニケーションに望む際に、おさえておきたいポイントが3つあります。
思いやりをもって相手に話す
思いやりをもって相手を聞く
思いやりをもって自分を聞く
1と2はなんとなく分かるような気がしますが、3は普段あまり意識することが少ないように思います。
共感的コミュニケーションでは3をもっとも重視します。
なぜなら、自分のことがまず大切にできないと、誰かを本当の意味で大切にすることはできないと考えているからです。自分をまず大切にしないままに誰かを大切にするということは、すなわち我慢したり自己犠牲によって自分以外の誰かを満たすということになります。この場合、短期的には問題が解決したり落ち着くようにみえるかもしれませんが、必ずどこかにしこりを残すことになるでしょう。それは共感的コミュニケーションの目指す理想ではありません。表面的な問題解決よりもつながりの質を重視する共感的コミュニケーションにおいては、なによりもまず自分に対して共感的であることや思いやりをもっていることを大切にしています。
しかしながら、自分のことだけを大切にすればいいというわけではありません。自分も相手も同じだけ大切にされることが理想なのです。
では、思いやりをもって共感的にコミュニケーションをとるには一体どうしたらいいのでしょうか。
共感的コミュニケーションには基本の文法として4つのプロセスが存在します。
「思いやり」「共感」といったような漠然とした概念を達成するためのポイントをシンプルに体系化したところが、この共感的コミュニケーションのすごいところだと個人的に思っています。
以下がその4つです。
1. 観察(Observation)
日々身の回りで起こる事象は自分にどんな影響を及ぼしているのかを観察する。
ここでは評価や判断を交えずに、起こっていることをありのままに受け止める。
2. 感情 (Feeling)
感情は自分が何を大事にし必要としているのか(ニーズ)を教えてくれるサインとなる。自分の必要とするものが満たされていれば心地よい感情として現れ、反対に満たされていなければ心地悪い感情として現れる。
3. ニーズ (Needs)
必要としているものが明確になると、その必要を満たすことができる。
NVCでいうニーズとは全人類共通のニーズのことであり、世界中の誰しもが必要とし得るニーズを指す。これはユニバーサルニーズとも呼ばれる。
4. リクエスト(Request)
自分の必要を満たし、理想を実現するために誰かにお願いすることもできる。
◯起きた出来事をあるがまま受け止め、感情に注意を向けることで何を必要としているのかを明確にし、それを形にする。
以上の一連の流れが共感的コミュニケーションのプロセスとなっています。
なかでも3番目の「ニーズ」が重要なポイントになります。
共感的コミュニケーションでもっとも重視していることはニーズが満たされているかどうか、つまり関係する人にとって必要なこと、大切にしたい価値観が尊重されているかどうかです。
それぞれの大切にしたいことを認識し、それらを実際に大切にしながらコミュニケーションを進めていくことで、誤解や対立ではなく、共感と協働を生み出すコミュニケーションを目指します。
さらに、4つのプロセスについて細かく見ていきます。
共感的コミュニケーションでの「観察」は、評価や判断と事実を区別して、状況をありのままに認識することを指します。
例えば恋人に対して、
「最近全然連絡くれないし冷たいよね」と言ったとき。
これは事実と評価を混同しています。 「冷たい」というのはもちろん評価・判断にあたりますが、それだけでなく「最近」や「全然」にも主観的な評価が含まれています。
観察と評価を区別するなら、
「1週間に1度は連絡するって先月言ってたけど、今月はそれより少なかったよ」
のような表現になるかもしれません。
「冷たい」と言われただけではなんのことかわからず、相手は反応的な態度をとってしまうかもしれません。一方で事実を事実として述べられた場合であれば、相手もどんな体験について伝えようとしているのかが認識しやすくなるでしょう。状況の理解が進めば、それだけ思いやりを持った反応をしやすくなります。
評価や判断のほとんどは、比較によって起こる表現です。
別の誰かとの比較であったり、自分自身あるいは世間一般の価値観との比較からくるものであったり、いずれにせよ各人が置かれている環境や文化によって評価・判断はそれぞれ異なるため、評価や判断の混じった前提から話を進めると、そもそもの前提を共有できない可能性が高まります。
加えて、「大丈夫大丈夫!」と励ましたり、「その場合は〜したほうがいい」とアドバイスすることも評価や判断の一種になるかもしれません。こうした状況の過小評価や無責任な判断からくるアドバイスは上下関係を生み出す要因になることがしばしばあります。
ただ聞いて欲しかっただけなのに、一方的に励まされたり、アドバイスされるといったような経験があるひとも少なくないのではないでしょうか。
何が良くて何が悪いか、というのは、長い目でみたら誰にも判断ができないことです。
「若い頃に失敗したからこそ今の自分がある」というのはよく聞く話ですし、常識や世の中の価値観は時代とともに変化していくものです。
評価や判断を下すことなく、ありのままに起こったことを認識し表現することは、対立や争いのない円滑なコミュニケーションにとって重要になります。
事実を事実として認識し、必要があれば共有することでコミュニケーションの土台を作るのが「観察」の役割です。
状況を観察した時に、どんな感情がそこにあるでしょうか。
自分の感情を見極め、表現することができるともっと気持ちを通わせやすくなります。
ここでの注意は「自分がどう感じているか」と「自分がどう思っているか」を区別することです。 例えば、
「あなたに愛されていないように感じる」
これは自分が思っていることで、感情ではありません。 感情の表現であれば、「かなしい」や「さみしい」となります。
自分の意見には当然批判される余地が残ります。一方、自分の感情はそれ自体が事実です。
また、自分の感情に責任をもつことも大事なポイントです。
例えばデートの約束をドタキャンされて「がっかりした」とき。
NVCでは、このがっかりした感情の原因を「約束を破った恋人」とは考えません。 人の言動は私たちの感情を「刺激」することはあるかもしれませんが、それ自体が「原因」となることはなく、人の言動を受け取った時に「必要としていること」や「大事にしていること」が感情の原因となるのです。
したがって、
「記念日なのにドタキャンされてがっかりしたよ」
という言い方ではなく、
「記念日を楽しみにしていたから、がっかりしたよ」
と伝えることになります。
共感的コミュニケーションでは自分の感情の責任を相手に押し付けるのではなく、自分が自分の感情の責任を取ります。そしてその上で自分の必要としていることを相手に伝えるので、相手はより思いやりをもった反応をしやすくなるでしょう。
ニーズとは「必要」のことです。日本語でわかりやすいように嚙み砕くと「大事なこと」「大切な価値観」とも言い替えられるかもしれません。
共感的コミュニケーションは、「私たちのあらゆる言動・行動はなんらかの必要(ニーズ)を満たしている」という前提の上に成り立っています。
どんな行動の裏にも、必ず大切にしたい価値観や大事な意図がある、と考えているのです。
ここでいうニーズとは全人類共通のニーズのことで、世界中の誰しもが必要とし得るニーズを指します。
イメージがしやすいように、以下にニーズの一例を紹介しておきます。(あくまで一例です。実際は無数に存在します。)
つながり
愛
理解
安心
信頼
誠実さ
ユーモア
平等
食べ物
住まい
意味
貢献
学び
希望
自由
あらゆる人間のあらゆる行動の背後には、大事にしたいニーズがある、というのが大事なポイントです。
心ない言葉を口にしたあの人も、いつもドタキャンするあの人も、逮捕されたあの人も、今日食べ過ぎてしまった私も、きっと大事にしたい何かがあったのです。
各々が何を大事に想い、必要としているかを表明する段階では対立は起こりえません。そのニーズを満たそうとする手段のレベルにおいてはじめて対立や争いが起こるのです。
例えば「記念日は必ず彼女と一緒に過ごす」というのは一つの手段です。この手段に固執すると、カップルの間に対立が生まれてしまうかもしれません。
しかし、その手段が満たそうとしている「愛」や「つながり」といったニーズがわかると、それらを満たすための手段が実は無数にあることに気がつきます。
対立がにあるとき、ニーズを自覚することなく手段の良し悪しで議論をすると多くの場合は妥協するか、そのやりとりや関係性自体を諦めるかになってしまいます。
そこで一歩引いて状況をよく観察し、
その手段または行動が満たそうとしているニーズはなんだろうか?
そのニーズを満たす別の手段はないだろうか?
と、「何が本当に大切か」という視点に立ち戻ることが共感的コミュニケーションの出発点になります。
より深い思いやりと共感のために、批判や評価・判断を交えることなく、本当に大事なこと、大切にしたい価値観、ニーズを認識しようと試みます。
「本当に伝えようとしている大切なことはなんだろう?」という好奇心が心から聞くことにつながり、自分にとって本当に大切なことを自覚しながら伝える姿勢が、こころから話すことにつながるのだと思っています。
もしも自分の大切なニーズを満たすために、他の誰かのサポートが必要な場合は、曖昧な言い方を避け、肯定的な言い方で相手にリクエストします。
ここで注意したいことは、「リクエスト」と「要求」の違いについてです。
リクエストとは、自分の要求を通すこととは違い、誰かに何かをお願いすることです。
誰かにリクエストをする時には、そのリクエストに対する「NO」も受け入れることが求められます。
したがって、リクエストを断られた時に憤りを感じたとしたら、それはリクエストではなく要求をしている可能性が高いでしょう。しっかりと自分の大切にしたいニーズを認識できていれば、それを満たす手段にこだわる必要はありませんので、たとえリクエストを断られたとしても、また別の方法を探す準備ができているはずです。
自分の要求を通したり、誰かをコントロールすることは共感的コミュニケーションの目的ではありません。
リクエストをより理解し、実行してもらうためには、曖昧な言い方を避けたり、肯定的な表現を使うことが有効です。
私たちは気に入らないことがあると、「もっと真剣に聞いて」と曖昧な基準を押し付けたり、「うるさくしないで」というようにやめて欲しいことを伝えたりすることがありますが、
「目をみて聞いて」「声を小さくして」と、相手が実行しやすいように、なるべく具体的な形に噛み砕いて伝えることも一つの思いやりの形だと考えています。
人間は誰かに貢献することで少なからず喜びを覚える生き物だと僕は思っています。
貢献する喜びをもとに進んで行動を起こしてもらえるよう、なるべく理解しやすい形でリクエストができることが理想です。
以上、4つのプロセスについて説明しましたが、これはあくまでも一つの考え方であることに注意してください。
必ず4つのプロセスを踏まえなければならない、ということでは決してありませんし、実際の会話の中であえて感情やニーズについて言及すると皮肉に受け取られてしまうこともありえます。
ここで確認しておきたい重要なことは、目的はあくまでも思いやりをもってコミュニケーションに望むことです。それはお互いがどんなことを大切にしているのかに好奇心を向けている姿勢に他なりません。
4つのプロセスはどんなことを大切にしているか、そしてどうやって実際に大切にできるかを認識しやすくするためのツールの1つにすぎないのです。
また、このプロセスは自分と他者との関係性だけでなく、自分自身に共感を寄せる場合にも同様にパワフルなものです。
自分がいま何を感じているのか、どんなニーズをもっていて、自分の意図と行動が一致しているのかどうか。
冒頭でも書いたように、自分自身とのコミュニケーションがまずは大切になります。
無意識に自分に下している評価・判断の渦から抜け出し、自分が本当に大切にしている事を自覚していることは、思いやりをもって自分のことを伝えたり、誰かを聞いたりするために必要な要素になります。
最後に繰り返しになりますが、ここで紹介したコミュニケーション方法は、絶対的に正しいというものではありません。
また、4つのプロセスのようなフレームワークを、前提知識のない相手との会話にそのまま持ち込むようなことは大変な失礼にあたることもあります。
ただ、より多くの人がこうしたものの見方を身につけることで、素晴らしい未来の可能性がいまよりもっと広がるのではないかと僕は思っていますし、合理性や効率を追い求め、義務や要求、評価・判断が生々しく飛び交うこの世の中で、すこしだけスペースをとって、感情やニーズといった本来そこにあるはずの人間的な部分を対話のなかに取り戻すこのコミュニケーションは、まさに今必要とされている考え方の一つであると確信しています。
この記事を読んで、すこしでも興味をもったかたがいらっしゃったら嬉しいです。
フィリピンで約1年間インターンを経験し、2015年は2年目の休学に入ってニュージーランドに滞在中。コーチング・NVC、経済学を学んでいます。