援助金を酒や薬物に。壮大な自然とは裏腹に抱えるアボリジニの問題。

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こんにちは!早川るいです。

大変遅くなりましたが・・・皆さん、明けましておめでとうございます!

留学を終え、帰国しておりますが、まだ書く事が沢山ありますので、今年も読んでくださるのを宜しくお願いします。

今回の記事は、前回に続いて「ダーウィンでの旅」第2弾!

今回は、暗い爆撃や台風のお話からオーストラリアの州ではダーウィンが一番多いと言われている先住民「アボリジニ」に関して書きます。

では、始めたいと思います!

意外と知らなかった!?先住民アボリジニについて

早川さん

地図を見ますと、お分かりなるかと思いますが、白人がオーストラリアへ漂流する前は、オーストラリア全土に色々なアボリジニがいました。だいたい700部族いたと言われ、興味深い事に1つ1つの部族に独自の言語が発達しており、約250言語に分かれていると言われております。

そのため、言語や部族同士での文化の違いにより、近隣の地域との部族とは争いがあったりしたのです。しかし、そういう事はありながら、お互いの縄張りを作っているため、交渉力やお互いの配慮を持っていた人たちでもあるのは確かです。

では、ダーウィンと州都としたノーザン・テリトリーはどれくらい部族がいたのでしょうか?

残念ながら、詳しい数は確認する事は出来ませんでしたが、明らかなのは、他の州に比べ、ノーザン・テリトリーのアボリジニの部族の方がより細かく密集しており、1つ1つの部族が持っている縄張りは狭いのです。

それはなぜか?

他の州に比べ、食料に溢れているため、縄張りを拡げる必要性が無かったからです。

ノーザン・テリトリーは、メルボルンみたいな「四季が訪れる街」ではなく、乾季(5月~9月)と雨季(10月~4月)の2つに分かれた気候で成り立っているのです。乾季になると、異常な暑さと湿気により、水が涸れ、雨季になると、異常な雨の量が降り、元々干上がった所は一時的に川や池になるのです。そのため、アボリジニ達はいつ、どこで動物や水があるのかを知っており、絶好な機会を狙って、狩りをしているのです。

現在は、多くの部族が合併され、白人の支配力により、アーネムランドを拠点に生活をしていると言われております。偶然、私がダーウィン市内を夜歩き回っていた時に、自分たちで描いたアボリジナル・アートを路上で売っていたご夫婦とお話した際に、アーネムランドから歩いてきたと言っていたのを覚えています。

ちなみに、アーネムランドは、カカドゥ国立公園の隣に記されており、現在、アボリジニが住む区域でもあります。また、アボリジニが住む区域であるため、一般人が個人で進入することは禁じており、ツアーでなければ、入れません。

どのアボリジニのコミュニティにも当てはまりますが、ノーザン・テリトリーのアボリジニでも独自の法律ができております。ツアーガイドから教えてもらった事は、「コミュニティ内での禁酒について」です。コミュニティ内では、お酒を飲むことは禁じており、多くの男性は外へ出て、お酒を飲み行きます。しかし、夫婦の場合、もし夫が仕事をサボって、お酒を飲みに行ったら、妻が変わりに罰を受け、夫が戻ってきたら、その妻が夫を罰します。どういった罰し方があるのかは、分かりませんが、ガイドさんからは鞭で打つと言っていた気がします。このように、アボリジニ内のコミュニティでもこういった習慣が続いております。

以降の項目で読んでいくと分かりますが、ノーザン・テリトリーでは他の州に比べ、アボリジニの文化、生活、社会的立場などを多く知れる事ができます。

現代のアボリジニが抱えている問題

オーストラリア全土で抱えている問題なんですが、私が旅した中で、特にダーウィンはこういった問題を強く抱えております。

現在、アボリジニは政府からお金を手当として受け取っております。しかし、そこから問題なのは、そのお金がどう使われているかです。

先代のアボリジニから抱えている問題は、「お酒」です。ろくに仕事をせず、ただ単に政府から受け取ったお金を酒代として使われているのです。そのため、街を夜の時に歩き回っていますと、酒で酔って、暴力的になったり、卑猥な言葉を暴言したりするアボリジニの若者を時々見かける事があります。

しかし、それだけではありません。最近では、「アイス」という薬物(日本語訳では「覚せい剤」)に触れているアボリジニが増えています。オーストラリアでは、薬物の取り締まりについてはかなり厳しいため、入手先は不明ですが、確かなのは、アボリジニがそれに手を伸ばしている事が増えているのです。

ダーウィンへ旅行中でも、歩道に野垂れていたアボリジニがちらほらと街にいました。

通りかかる時に、お金を要求してくるので、もしそうなりましたら、状況を考えて判断してください。私自身は、これらについて知るまでは、硬貨を出していました。

こういった問題を抱えているダーウィン周辺のアボリジニなんですが、必ずしも全員がこういう人たちではありません。もちろん、一生懸命に働いている人もいたり、普通な人と同じように仕事をしている人もいます。また、国立公園での仕事で、環境の維持活動、ツアーガイド、ディジュリドゥ製作など、そういった専門職を持っている人もいます。

3日間のツアーを通して学んだアボリジニについて

早川さん

旅行中、アボリジニが住んでいたとされている地域を自分の目で見るためにツアーを通して、リッチフィールド国立公園とカカドゥ国立公園へ行ってきました。ツアーでは、1日目をリッチフィールド国立公園、2日目と3日目をカカドゥ国立公園へ行くプログラムでした。

リッチフィールド国立公園は、ダーウィンから車を約3時間かけてたどり着く場所で、国立公園の大きさは琵琶湖2個分です。

ここでは、水の豊富さ、生物による厳しい環境下での生息方法、ディジュリドゥについて知る事ができました。

まず、リッチフィールドにある滝や河川の数の多さについて説明します。

前の項目に書きましたが、乾季になりますと、異常な暑さと湿気により、ほとんどの水が干乾びます。しかし、リッチフィールドでは驚くことに約10種類ぐらいの滝や河川が国立公園内で流れているのが確かでした。私が参加したツアーは、2種類の滝と1種類の河川を見てきましたが、川や滝自体が水に溢れており、周りは緑に生い茂っておりました。

次に、生物による厳しい環境下での生息方法について説明します。

リッチフィールドでは、ある生物による変わった生息方法があります。それは、アリが作るアリ塚です。本来、アリ塚は土中の温度が低いため、土の下で暮らしておるのですが、ノーザン・テリトリーに生息しているアリは大きく2つに分かれております。一つは、木の麓にへばり付いて塚を作るアリです(ディジュリドゥで説明します)。

もう一つは、建物のように徐々にアリの糞などで建てていくアリです(ネットで検索してみてください)。このように、ノーザン・テリトリーの土中は環境による暑さにより、かなり暑いため、土中にアリ塚を作るのではなく、外に作っていくようになったのです。

また、建物のように建てた巣もありますし、墓地のように、片側だけを住みかとする塚として作っていくアリもいます。ちなみに、あまりにも高さまで作るため、大きくても2メートルもあるアリ塚も見る事ができます。

最後に、ディジュリドゥについて説明します。先ほど、木の麓にへばり付いて巣を作るアリがいると書きましたが、これはディジュリドゥを作る過程で一番大事な役割なのです。

ちなみに、ディジュリドゥとは?

ディジュリドゥは、オーストラリアならではの木管楽器で、口からの振動により、鳴らして音を出します。元々、ディジュリドゥはアボリジニの娯楽として使われた事は少なく、伝統儀式として使われていたケースが多いです。最初のディジュリドゥがいつ、どこで作られているのかは未だ不明ですが、本来の作法をたどっていきますと、ノーザン・テリトリーに生息しているアリによって作られたというのは確かであるため、ディジュリドゥはその辺りで生まれたという説が正しいと言われております。

では、アリがどこで使われるのか?

木の麓にへばり付いて巣を作ったアリは、木の皮を食い破り、中から食べていきます。それにより、木の枝の中が空洞になるため、アボリジニがそれを発見し、回収し、吹きやすいように加工され、完成されます。

私としては、ノーザン・テリトリーで販売しているディジュリドゥは「本物」のディジュリドゥであるため、ぜひダーウィンへ旅行した際は、ディジュリドゥのお店へより吹いてみてください。お土産屋で販売している置物用のディジュリドゥが出す音とは全然違うのに気付くと思います。

アボリジニは、実は国際人だった!?

早川さん

続いては、カカドゥ国立公園について説明したいと思います。

カカドゥ国立公園は、ダーウィンから車を約2時間半かけてたどり着く場所で、リッチフィールド国立公園からは車から約2時間半かけてたどり着きます。大きさは、北海道の約2個半に匹敵するほどです。土地面積があまりにも大きすぎるため、最東端から最西端まで車で行くのに半日以上はかかります。

1981年に、カカドゥ国立公園はユネスコにより、複合遺産として「世界遺産」として登録されています。ちなみに、「カカドゥ」の名前の由来はその地域に住んでいたアボリジニの方言「ガグジュ」からきています。

カカドゥ国立公園では、6つの気候、アボリジナル・アート、アボリジニとの外交関係について知る事ができました。

まず、カカドゥ国立公園で紹介される6つの気候について説明します。

カカドゥでは、乾季と雨季の2つに分かれておりますが、6つのステージによって、この国立公園内で起こっている自然が成り立っているのです。

1.グヌメレン(Gunumeleng):10月中旬~12月下旬の季節で、モンスーンの前期。気候は、暑く、雷を伴う嵐がふきます。

2.グジューグ(Gudjewg):1月~3月の季節で、モンスーンの後期。この季節だけは、カカドゥにいる生命にとって不可欠な季節です。

3.バンガレン(Banggerreng):4月の季節で、洪水が起こり、強い風がふきます。

4.イェッゲ(Yegge):5月から6月中旬の季節で、気候的に涼しいです。また、アボリジニは一部の土地を焼き払い放牧する時期でもあるのです。

5.ワールゲン(Wurrgeng):6月中旬~8月中旬の季節で、比較的寒い時期で気候も乾燥している。

6.ガールン(Gurrung):8月中旬~10月中旬の季節で、暑く乾燥しております。

1つでもこれらの季節が起こらなければ、カカドゥ内での自然が成り立たず、生命が次へと生き続ける事ができません。

ちなみに、タイトルに写している写真は、その6つの季節を石に表記されたカレンダーです。

次に、カカドゥ国立公園にある「アボリジナル・アート」について説明します

ユネスコがカカドゥを世界遺産として登録した一部は、「アボリジナル・アート」が入っております。カカドゥで見つかったアボリジナル・アートは、3000点以上あり、古くて約2万以上前の絵もあります。アボリジナル・アートは、基本的にアボリジニの先祖たちが代々伝えてきたアボリジニの神話「ドリーム・タイム」やこれまで起こった事を絵で残しております。

アボリジナル・アートは、自分たちの先祖について、子孫に代々伝えるだけでなく、教訓として教育に使われていた痕跡もあります。ちなみに、今でもアボリジニの子孫がカカドゥにある壁画で自分たちの絵を描いている伝統が続いております。

しかし、アボリジナル・アートは、誰でも描ける訳ではなく、年配の方から伝わった「ドリーム・タイム」を1つ1つ教えて頂き、全てを聞き終えた者しか描かれません。現在は、そのすべてのお話を聞いた者はあまりおらず、ごく数名の年配の方しかその資格を持っていないため、この伝統は消えかかろうとしております。

最後に、アボリジニとの外交関係について説明します。

この項目のタイトルとして書いた「アボリジニは、実は国際人だった!?」というのは、あまりにも大げさでしたが、アボリジニ達は白人たちと会う前から外の者と外交を交わしていた記録があったというのは確かです。

ディーキンでの授業や数々の旅行を通して学んだことは、「Makassan(マッカサン)」というインドネシアの南西にある島から来た貿易商人がオーストラリア北部辺りへ渡った形跡がカカドゥ国立公園やアーネムランドのアボリジナル・アートに残っており、鉄、タバコ、衣服などを貝類品や狩りで得た食料などで交換していました。いつからこのような貿易を行っていたのかは、詳しく見つかっておりませんが、15~16世紀辺りからだと言われております。

しかし、マッカサンはアボリジニと似たような文化か共通言語を持っていたのかは分かりませんが、白人がアボリジニと遭遇した対応とは違い、お互いの仲を深めてきました。そのため、先代のアボリジニは彼らのつながりとしてアボリジナル・アートに残されており、アーネムランドやカカドゥ国立公園ではそういった絵が見つかっております。

18世紀以降は、白人がオーストラリアへ漂着しました。しかし、19世紀頃に、日本人がオーストラリアへ仕事で訪れていた事はご存知でしょうか?

19世紀頃、砂糖加工場や真珠採取などでアジア人が雇われておりました。特に、真珠採取は、開国以降、日本人のダイバー技術がかわれ、出稼ぎのために多くの日本人がオーストラリア北部へ来ていたのです。日本人のダイバー技術は、より深く、より長時間潜り、たくさんの真珠貝を海底から拾ってくることができたのです。

第2次世界大戦以降は、日本人の受け入れを禁じておりましたが、真珠採取関係の仕事だけは受け入れていたという話があります。それほど、日本人のダイバー技術が優れており、他国から信頼されていたのです。

では、当時のアボリジニがどう関わったのでしょうか?

1つは、真珠採取を日本人が来るまでやっており、日本人が来た以降は、彼らの技術を習得するために共に働いていたと言われております。

もう1つは、真珠採取を出稼ぎで来た日本人は、日本へ帰らず、オーストラリアへ留まることにして、一部の日本人がアボリジニと結婚していたと言われております。あるブログを読んでいる時に、オーストラリアへ留まることになった日本人はオーストラリア北部だけでなく、アボリジニやアイランダーが住んでいる「木曜島」に住むことにした人もおり、そこでアボリジニの方と結婚していたと書かれておりました。

これほどダイバー技術を認められた日本人なんですが、潜水病を患った方は多かったのです。

潜水病は、身体の組織や体液に溶けていた気体が、環境圧の低下により体内で気化して気泡を発生し、血管を閉塞して発生する障害ですが、ひどい場合は死に至ります。そのため、日本へ帰らず、オーストラリアで死んでいった人はたくさんおり、オーストラリアに墓を作ってもらっております。現在では、ダーウィンやオーストラリア西北部にある「ブルーム」という真珠採取に盛んな街へ訪れますと、真珠採取に携わっていた日本人の墓を見かける事ができます。

以上です!

皆さん、いかがでしたか?アボリジニを知るには、まだ沢山ありますし、私でもまだ行き着けていない場所や見ていないものもありますので、ぜひダーウィンへ足を運んで、自分たちの目で色々な事を体験してください。

次回、第9回の記事なんですが、「ビクトリア州で体験したアボリジニ文化」について書きたいと思います。留学から帰って来た身なんですが、これからもよろしくお願いします。

この記事を書いた学生ライター

Rui Hayakawa
Rui Hayakawa
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「The Long but short journey」の記事を書いている国際教養大学3年生のるいです。これから1年間、「自分の知らないオーストラリア文化を探求し、人々を知る」という広く深い目標で皆さんにDeakin大学での生活やオーストラリアでの旅について紹介していきたいと思います。

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