日本のものづくりと聞いて、歴史にからめて考えたときにまず思い出されるのが日本刀です。
南北朝時代におおいに栄えた日明貿易では、日本の刀剣が輸出品として非常に喜ばれたといい、また江戸期にパリで刊行された「日本西教史」という書物には「日本刀は精錬をきわめ、その鋭利なことはヨーロッパの剣を真二つにしても刃に傷も残さない」とあります。
ひとつ、日本の刀剣について、その造形美や武器としての機能の他に、興味深い特徴があります。刀に冠せられる名前です。
源頼光が酒呑童子の首を獲ったという「童子切安綱」や、新撰組副長・土方歳三の佩刀として名高い「和泉守兼定」、長篠の戦功を讃え家康が部将の奥平信昌に贈ったといわれる「大般若長光」など、こうした大業物はその刀匠の名をもって呼ばれることが多くあります。
古来、日本人は名刀やその刀匠の名に、古の聖人君子の名を聞くような爽快感と神秘性を見出してきました。また、日本刀の代名詞とも言われる鎌倉時代の刀工・正宗は、その生涯や人物像が半ば伝説化され、後世の芝居や講談の中でしばしば登場します。
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%80)
このように、職人のつくったものを職人の名で呼び、その名に古聖人の色合いすら重ねるような文化は、隣国の中国や韓国が歴史的に職人を必要以上に卑しめてきたことにくらべれば、極めて職人に好意的な文化といえます。
「職人」という日本語にカラリとした心地よい響きを感じるのは、そうした事情が日本文化に根ざしているからでしょう。
私事ながら、私が英語研修を請け負っている企業のひとつに高品質歯ブラシを製造されている中小企業があるのですが、社名に「職人」を冠し、自らを「職人」と呼び、「職人」であることに誇りを持って非常に気持ちの良い仕事をなさります。職人を愛する日本の文化を体現されているような気がして、実に清々しい気分になります。
上のような職人を尊ぶ気風が生まれた背景を、司馬氏は儒教の国である中国や朝鮮と比較しながら、以下のように述べています。
ともかくも儒教では身を労することはいやしく、小人にあたる。四民(士農工商)のうちの農工は身を労するがためにいやしい。これに対し心を労するのが君子で、つまりは儒教が理想を託している精神階級のことである。士がこれにあたる。
ただし江戸時代の身分制における”士”は本来は兵であって、儒教でいう士にはあたりにくく、むろん日本の武士たちはときに心を労しはするものの、身も労する。身を大いに労さねば武士ではありえない。
(『この国のかたち』)
また、織豊政権による兵農分離の以前、つまり鎌倉・室町の武士たちは、兵であると同時に農民でもありました。その詳しい説明は後の回に譲るとして、兵農を兼ね身を労するという日常の暮らしの中で、同じように身を労する職人に愛と敬意を感じてきたのでしょう。
一方、京の公家たちは身を労しませんが、彼らのあいだにも、職人のしごとを愛する気風が多分に共有されていたようで、たとえば職人たちを古の歌仙になぞらえ、絵にした「職人尽絵」などが数多く残っています。
(出典:http://www.taruya.com/blog/2012/05/post_775.html)
また日本人は、職人を愛するのみならず、自らも大いに職人であろうとしてきました。
先の刀の例でゆくと、承久の乱を起こした後鳥羽上皇は愛刀家としても知られ、日本刀の鑑定に詳しく、自ら焼刃(刃に焼を入れて刃紋をつける作業をいう)を行うこともあったといいます。
豊前小倉藩の祖となった細川藤孝(幽斎)・忠興父子は、室町時代以来続く名門の出身で、その位階も教養の高さも抜きん出ていました。そういう彼らでも、職人としての一面を併せ持っていました。
父の幽斎は一流の料理人でもあり、また子の忠興は造形的な才に恵まれ、特に兜の設計をよくしたため、他の大名に頼まれて自らつくることもあったといいます。
一方中国などでは、先の引用のなかで述べられているように、職人はいやしいと考えられており、そのため上層階級のひとびとは自身が身を労することも嫌ったように思います。
清の末期、英国の領事がある日、館員とテニスに興じたとき、領事が客として招いていた清国の地方長官にラケットを渡して、
「閣下もなさいませんか」
とすすめると、
「いや、使用人にさせましょう」
と言ったといいます。
君子たる者が、もしみずからラケットを握って小人のように身を労したりすれば、ひとびとの尊崇を失ってしまうという考えからでしょう。
また後漢末期の武将・劉備は、身を起こすまでは貧しい境遇で筵を織って日々の生計を立てていましたが、しばしば他の敵対諸侯から「筵織り」と揶揄されているところを見ると、やはり職人仕事自体がいやしいと考えられていたのでしょう。
関ヶ原の敗戦後に紀州九度山での蟄居を命じられた真田昌幸・信繁父子が、真田紐と呼ばれる工芸品を自ら作って生活の足しにしたというような逸話が、美談として語られる日本とは大きな違いです。
英国も階級社会という色合いが強く、貴族やそれに準ずる階級の者は身体を鍛えるために、狩猟などのスポーツをしました。この点、日本の大名や旗本といった江戸時代の貴族が剣術や槍術を習ったのとよく似ています。
ただ英国の場合、貴族は職人の真似だけはしなかったといいます。
いまなおその階層の子弟は、大学にゆくについても工学部はえらばず、理学部か、ギリシア・ラテンなどの古典学をおさめるといわれている。
「工学部なら、機械油だらけになって、ブルーカラーとかわらなくなる」
と、私にいった英国青年がいるが、冗談にしては真顔すぎたようである。
(『この国のかたち』)
このように、「身を労する」ことに対する意識の違いが、「職人」というひとびとの捉え方の違いとなり、日本独自の職人を敬愛する文化が育まれるに至りました。ものづくり大国の基盤は、そうした環境で職人たちが誇りを持って腕を競い合う中でつくりあげられたといえるのではないでしょうか。
昨今の日本の経済状況を鑑みるに、日本の製造業が「良い物を”安く”」という路線に向かってしまったことが、経済停滞の一因であるとする見方がありますが、私もこれに同意で、さらに「職人への敬意」と「職人としての誇り」が失われつつあることがその遠因として挙げることができるのではないかと考えます。
職人のしごとに対して敬意を払い、(それを経済活動として体現するべく)正当な対価を支払う。職人は自分のしごとに誇りを持ち、正当な対価を要求する。
つまり「本当に良いモノ」を高く売ることが、これからの日本の製造業が目指すべき道ではないか、ということです。むろん高く売るということはそれだけ品質にこだわりと責任を持たねばならない、ということでもあり、高額な値札をつけるということは、職人と消費者とがそれだけ大きな信頼をやり取りするということでもあるのです。
近年、値段が高くとも「本当に良いモノ」を求める風潮は先進国を中心に高まっており、その需要に応えてゆくことが、日本経済再生の足がかりになると予感しています。
職人を愛し、そのしごとを愛する日本文化のなかで育まれたものづくり大国としての基礎を、今一度取り戻すべきなのではないでしょうか。
次回は「島国」という環境的要因に着目し、日本人の異文化への憧憬と思考の柔軟性を探ってゆきます。
「英語教育を通してアンビシャスな人たちの夢を叶える力になりたい」という夢を実現するため、日本人に最適な語学教育のあり方を求め米国ボストンに留学。現在は日本に帰国し、語学教育事業に注力中。帰国後も執筆の機会を頂けたことに感謝しています。大阪大学4年生。