20代の経験が今を支えている。アメリカに渡り厳しいバレエ界でトップを掴むまで。

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こんにちは、アメリカから新井です。今回は、バレエの主役を演じるプリンシパルの安川千晶さんにインタビューさせていただきました。プリンシパルに至るまでの道程に迫ります。

安川千晶(やすかわ ちあき)さん
中学卒業後、15歳で海外へ。ヨーロッパで1年間、ニューヨークで2年間、バレエ学校に通ったのち2000年にオーランドバレエに入団。2005年からはオーランドバレエのプリンシパルを務める。

バレエにおけるプリンシパルとは

ーー今日はよろしくおねがいします。まず、プリンシパルが千晶さんの役職ですよね。これはどういった仕事なのでしょうか?

プリンシパルというと学校の校長先生やサーカスの団長さんをイメージされるかもしれませんが、バレエでいうプリンシパルとは演目で一番目立つ役をする人のことを指します。例えばシンデレラでしたら、シンデレラ、白雪姫でしたら、白雪姫を演じる人のことをプリンシパルと呼びます。

ーーなるほど。それは、どの演劇でも千晶さんが一番いい役をいただけるということでしょうか?

はい、オーランドバレエでは、ほかのところのようにプリンシパルや、ソリスト、ホールドなど明らかに役が決められているわけではないのですが、一応、主役の座は私がやらせていただいてます。

ーーそれはすごいですね。プリンシパルになるためには、何をしたらいいのでしょうか?一年に一回オーディションなどがあるのですか?

いえ、オーディションなどは特になく、はじめは後ろのバックダンサーから始めてディレクターに認められて、どんどん大きな役に挑戦させてもらって、評価を出せたらまた次の役をいただいての繰り返しですね。この評価というのは、スタジオでの評価はもちろんですけど、舞台での結果が一番重要になってきます。スタジオでどんなに上手でも舞台でうまくいかないことはあるので。

ーーそうやって評価を高めていっても、当時のプリンシパルがいらっしゃいますよね。やはり、その方がやめないとプリンシパルには就けないのですか?

そうですね、やめたからとかではないですけど、順番なのは確かだと思います。例えば、二人プリンシパルをする人がいて、一人がやめました。そうすると、やっぱり下の人を育てようとしますので、プリンシパルにつける可能性は高くなりますね。

ーー日本でいう年功序列のようなものがあるのでしょうか?

そうですね、年功序列というものはあると思います。見えないけど、長い間ここにいたということで周りからのリスペクトを得られることはあるのかなと感じます。

15歳で海外へ


ーー15歳で海外へ行かれたとのことですが、最初に行った国はどこだったのでしょうか?

最初に行ったのはモナコという国です。日本で中学を卒業して、日本の高校に半年くらい行った後に、モナコで約1年間過ごしました。モナコで困ったのが、みんなフランス語で話すんですね。英語じゃなくてフランス語を話せと言われたので、無理やりフランス語を話せるようにしました。

ーーそして、そのあとニューヨークへ行きオーランドバレエ団へ入団されたのですね。入団の経緯を教えていただけますか?

ニューヨークでずっとトレーニングしていて、高校を卒業するときにはバレエ団に入って稼ぎたいと思っていました。なので、オーディションをいくつも受けたんですけど、最後の最後でビザの関係で断られてしまっていて。そういった期間が6ヶ月続きました。そんなときに借りたビデオを見ていたら、そのビデオに写っていたダンサーが素晴らしくて。誰だろうと調べたらオーランドバレエのディレクターだったんですね。それがきっかけでオーランドバレエにビデオを送りました。そしたら、「オーディションにおいでよ」と連絡を頂いたのですが、当時学生だったのでお金がなかったんです。どうしようと困っていたら、ちょうどフロリダで踊る機会を学校からもらえて、それでオーランドに無事着くことが出来ました。

着いたらちょうどその時がディレクターが替わるタイミングで、新しいメンバーを3人探していました。その3人の中に選ばれて、オーランドバレエに入団することになりました。すごく運がよかったですね。

ーーそこで2005年にプリンシパルになられと。プリンシパルになられたきっかけはどういったものだったのでしょうか?

私を採ってくれたディレクターの方はもう亡くなってしまったのですが、その後の二人目の方とも相性が良くて主役を務めさせてもらったりしました。その時の監督も変わってしまったので、今三人目のディレクターになるのですが、その時にはオーランドバレエに長く務めていたのでそのままプリンシパルをやらせてもらえることになりました。

本当に運とタイミングに恵まれてここまでこれたと思っています。

ーーそして2015年現在も、演劇の主役を務めるプリンシパルの座に就いているということですね。

自分のバレエを見て何かを感じてほしい。

ーーバレエをやってて一番嬉しいことはなんでしょうか?

一番嬉しかったことは何個もあるんですけど、私が踊ってる理由というのが、「人に何かを感じてもらいたい」というのが一番なんです。例えば、ロミオとジュリエットなどのドラマチックなバレエをしたときに、客席で泣かれてる方などを見ると、自分の伝えたい事が伝わったと思ってすごく満足感を感じます。小さい時からやってきて、オーディションにずっと通らなかった時や、バレエ団に入ってからも切磋琢磨でいじめがあったりして、辛くてやめようかなと思ったことがあったんです。そういった思いも感涙してるお客さんを見ると、やっぱり頑張ってやっててよかったんだなと感じます。

それと、親ですね。バレエはトウシューズや公演などでお金がかかるんですよ。それで親にはすごく負担をかけてしまったので、今こうして主役をどんなバレエでも演じることが出来てて、それを観に来てもらえるというのは恩返しができててすごく嬉しいです。

加えて、私3才の娘がいるんですけど、2時間、3時間あるバレエを見入ってるんです。そしてストーリーのあるバレエを観て「どうして、ママはあの人と喧嘩してたの?」とか「どうして怒ってたの?」など質問してくれるんです。そういったことがあると子供に見せれてると思って嬉しく感じますね。

海外でぶつかった大きな壁

ーーそれでは、今度は逆につらかったことを教えていただけますか?

つらかったこともたくさんありますね。私は親がきっかけでバレエを始めたので、やらされてるというのを感じてて、友達と遊べないというのは不満に感じてました。これは舞台に出るようになると、舞台のエネルギーというのを感じて、次第に解消されました。

それとは別につらかったというより、打ちのめされたのは、日本では普通の容姿で普通のダンサーとしてやってきたのが、海外に来た時に金髪で青い目の人たちに囲まれた時です。青い目で金髪で手足も長くて、身体的に恵まれてる人たちを目の当たりにしたときに、「どうして私はバレエをやっているのだろう、やってていいのかな」と思いました。

もうひとつ辛かったのはなかなか仕事に就けなかったことです。高校3年生で18才の時にいろんなオーディションを受けたのですが、やっぱりビザの関係で断られてしまって。全然オファーをもらえなかったのがつらかったです。

ーー先ほどの青目で金髪でスタイルが良くてといった方たちを見て圧倒されたとおっしゃられましたが、そこを乗り越えるのにどれくらいの時間がかかりましたか?

いや、まだ乗り越えてません。全然乗り越えられてません。今でも常に比べてしまいますし、鏡がこんなにある環境はメンタル的によくないですよね。常に自分の姿が見えて、他人の姿も見えてしまうんですから。どうやって見てくれる人たちに「この子は何かを持ってる」と思わせるかということに必死でしたね。

ーーなるほど。やはり、アジア人というのはバレエをやるうえで不利に働くのでしょうか?

そうですね。ビザの関係もありますし、バレエのストーリーはほとんどが西洋の物語なので。そこでアジア人だとルックスが違うので、「どうしてアジア人?」という感じにはなりますよね。あと、私は身長が低いので、そこもデメリットになります。そういった負をどうやって正に変えていくのかというのは真剣に考えてきました。

ーー具体的にそういうのはどういったものでカバーするのでしょうか?

動きのキレや踊りの正確さなどですね。あと、バレエはスポーツと違って芸術なので、アーティスティックな側面になります。例えば、どれだけキャラクターの喜怒哀楽を正確に表せるか、どれだけお客さんに気持ちを届けられるかというのが重要になってきます。

それは例えば、顔の角度や、目線を感情によって変えたりなどです。とはいっても、会場が大きくて後ろのお客さんから顔が見えないので、どうやったら体全体で嬉しい、怖いを伝えられるのかというのは考えてます。

あとは、どうやったら普通の女の子が舞台で綺麗に見せることができるのかというのはずっと研究していますね。今も研究しています。

ーー本当に慢心しないというか、歩みを止めないということなんですね。

そうですね、歩みを止めないというか、いつもうまくなりたいと。どんなに歳を重ねてもいつもうまくなりたいという思いがあります。

20代の経験が今の自分を支えている

ーー自分の中での完成形というのはあるのですか?

自分の中での憧れの人はいます。でも、自分では完成しないと思ってます。いつでも、「もっとこうしたかったのに」と感じるところがあると思います。

ただ、そういった思いがあるからこそまだ続けられるのかなとも同時に感じます。いつも常に追いかけるものがあるからこそ、終わらないんじゃないかと。

ーー自分の中での理想があるとおっしゃられましたが、今その理想にどれくらい近づけたと思いますか?

段階や数字ではちょっと表現はできないですけれども、学生の頃は置いといて、プロになった駆け出しの頃と今を比べると明らかに踊りやすくなってます。肩の力が抜けたというか。子どもが生まれてからすごく変わりました。今がピークのように感じています。

ーー今はすごくいいコンディションとのことですけど、今までの経験というのはどのように生きてるのでしょうか?

今までの経験というのはすっごく大切で、20代は経験の年だと私は思ってます。経験をさせてもらった人にも感謝していますし、そういった立場に置いてもらったことにも感謝しています。そこからの今があると思っているので、20代の時に大切な役を任せてもらったのはすごくラッキーでした。20代の経験が今の私を支えていると思っています。

ーー経験が大事という話ですが、経験というのは自分からする経験なのか、それとも誰かが与えてくれる経験なのかどっちでしょうか?

私の場合は誰かからですね。私というか、日本人は結構練習するので練習という経験は貯まるんですけど、私たちは舞台に立ってなんぼなので。舞台の真ん中で踊るのはいくら自分がやりたい、「ハイッ」と言っても出来ませんよね。やっぱり選ばれて誰かが置いてくれないと、私は踊れないので。でも、選ばれるというのは、自分の頑張りや普段の練習が評価されたうえで選ばれるので全部リンクしてくるんですよね。

普段の練習の時の態度というのはものすごく重要になってきますね。言われたことをどこまで相手が望む形で返せるかだったり、隊形移動などのときにきちんとずれないで動けるなど。こういったところで信頼を積み上げることで、次につながってくるのかなと思ってます。

(インタビュー終)

千晶さんがプリンシパルになられたのは全部、運だとおっしゃってましたが、僕は運ではないと思います。きちんと毎日、自分がどうしたら上手になれるかを本当に真摯に向きあって、そのための努力を重ねてきた結果なのではないかなと感じました。

千晶さん、お話ありがとうございました!

(写真右:筆者・新井)


この記事を書いた学生ライター

Kohei Arai
Kohei Arai
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アメリカ・フロリダ州でコンピューターサイエンスを勉強しています。こっちでの生活や、日々感じたことなどを書いていきたいです。

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