アメリカとの度重なる本気の交渉。元外務省事務次官・薮中三十二氏独占インタビュー。

長期・有給インターンシップを探すならInfrA
はてなブックマークでシェアする

本日お届けするのは、主に小泉政権時に外務省事務次官を務め、現在は外務省顧問と立命館大学招聘教授を務める薮中三十二氏へのインタビュー。薮中氏がどのような学生時代を過ごして外務省の門戸を叩き、また日米貿易摩擦の激動の時代に外交の最前線で何を感じていたのか、その秘めたる熱い思いに迫る。また、インタビュー後半では、一線を退いた今若い人材育成に注力する薮中三十二氏の思いがカタチにされた場所である、グローバル寺子屋薮中塾についても紹介したい。

・薮中 三十二(やぶなか みとじ)
1948年大阪生まれ。大阪大学法学部中退。外務省入省、73年コーネル大学卒業、在韓国日本大使館二等書記官、在インドネシア日本大使館一等書記官、在米日本大使館一等書記官、経済局国際機関第二課長、北米局第二課長、国際戦略問題研究所主任研究員、ジュネーブ国際機関日本政府代表部公使、大臣官房総務課長、大臣官房審議官、在シカゴ日本国総領事、アジア大洋州局長(六カ国協議日本代表)、外務審議官(経済・政治担当)、外務省事務次官を経て、現在、外務省顧問、野村総研顧問、立命館大学総長特別招聘教授、大阪大学特任教授、著書に「対米経済交渉ー摩擦の実態」(サイマル出版会、1991年)、「国家の命運」(新潮新書、2010年)「日本の針路」(岩波書店、2015年)がある。

ーーではまず、外務省に入省した経緯から聞いていきたいと思います!

私は子供の頃から「外交官になりたい」という高尚な思いを抱いていた・・・わけではなかったんですよね(笑)。ただ、学生時代を思い出すと、中学校から大学までずっとESSというクラブに入っていて、よく外国人をハントしにいっていたんですよ。外人ハントっていうのは外国から来た人に話しかけに行くことですけど、要するに彼らと話す機会が欲しかった。そんなことを思い起こすと、「外国との関わり合いを持ちたいな」っていうのは学生の頃からずっと思っていたんでしょうね。

ただ、当時大阪大学の先輩で、外務省に入っている人はいなかったんです。だからキャリア選択として外交官っていうのは当時持っていなかったですね。おそらく普通にいけば商社や銀行に行っていたのでしょうけど、たまたまESSの仲間が教えてくれたのが、今で言う外務省専門職の試験だったんですよ。それで試しに受けてみたら、間違って通っちゃったもんだから(笑)。「さぁ私は外交官になって、国家のために働こう!」なんていうのはもともと無くてね、残念ながらかっこよくお話できるような内容はないんですよ。たまたま試験を受けたら通って、そのまま運よく40年あまり経っちゃったんです。

ーーご自身はたまたま通ってそのまま来ちゃったとおっしゃるんですが(笑)、それでも外交の最前線の一番厳しい場所で40年以上頑張り続けてこられたのは、何が先生をそうさせたのでしょうか。

外務省っていうのはすごくいいところでして、学閥がないんですよ。大阪大学出身の僕が一応トップになったんだから、間違いないです(笑)。

外務省で働く中で、僕が常に考えてきたことは、「与えられた場所で、自分ならどうするか。」と主体的に考えること。僕は人に言われてやるのが嫌いでね(笑)。逆に、「自分ならここでこういうふうにする」と、自分なりに考えて判断できる仕事が好きだったんですよね。こういった仕事を、「40年以上頑張り続けてきた」というよりはむしろ、楽しくやってきましたね。綺麗な言葉でいうと、“やりがい”のある仕事をさせてもらいましたね。思い出しても、一箇所一箇所記憶に残るような仕事があって、面白かったですよ、ずっと。

特に、キャリアの最初の頃にわりと大きな事件に関わる機会があったから、初期の頃に広い視点で物事を捉える視点が身に付いたのかもしれないね。

ーー大きな事件のあたり、詳しく聞かせてください。

最初の仕事は韓国の日本大使館で勤めていた頃、日本大使館は襲撃にあって、僕はちょうどその場所にいたんですよ。それは、1973年当時の日韓関係を大きく揺るがす問題でした。そういった歴史的な出来事に出くわすと、当時の日韓関係全体など、広い視野でものごと考える機会が多くありましたね。

そのあと北米局第2課というところにいて、この時にちょうど両陛下ご訪米という出来事がありました。太平洋戦争のあと初めてですから、ものすごい大きな事件だったんです。下っ端としてですが、その大きな行事に最初から最後まで関わることができたのが幸いでした。

外務省にはサブとロジっていうのがあるんですよ。サブっていうのはいわゆる中身で、交渉や会談の中身を考えるということ。ロジスティクスは足回りのこと、行事の日程、そして配車などすべてを含めています。昭和天皇のロジっていったら、これ以上大きなロジはないので、あとの仕事は本当に大したことはないですよね(笑)。

こうやって、初期の頃にわりと大きなことにぶつかったんですよね。そうしたらもう、大概のことは身について、後からどんなことがきても、たじろがなかったですね。

ーーそうやって、最初の頃から大きなところに行かせてもらえる機会を得られたのは何が理由だったのでしょうか。

それはね、ラッキーだったの(笑)。そんなときに実力なんて誰も分からないですから(笑)。ただいい上司がいてしっかり見てくれていたので、一つ一つの仕事ぶりが次の仕事につながっていったんでしょうね。

かつ、「こういう仕事がしたいために、ここで上司の評価を得たい!」なんて考えているようでは、絶対に世の中うまくいきませんよね。そんなのすぐにわかります。

ーーでも正直、外務省の一番上まで登っていくのって大変なことですよね…。

全部結果論だと思うんです。次のポストのためにやっているのではなく、一つ一つ自分が担当した案件について、「この問題については俺が全部やり通す」という強い気持ちを持ってやっていましたね。大事なのはやはり、“どういう気持ちでその問題にぶつかるか”じゃないですかね。一番だめなのは、“上から言われてやる”とか、“前もこうだったからこうする”とか、“前はこうだったからこうはできない”とか、そんなことだったら辞めろと思いますね。

ーーでは先生がお仕事される中で、今までの慣例と反するやり方でやり通したこともあったのでしょうか。

僕は最初から「以前はこうした。」っていうのは調べなかったんですよね。自分が、「この問題はこうした方がいいんじゃないか。」と思ったらそうしますね。

ただこういう時に、「前はこうだったのでそれはよくない。」とおっしゃる方がいるんですよね、ただそういうのは僕の前ではうまくいかないですけどね。みんな僕の顔を見たら逃げていくんです。あ、僕は普段は優しいですよ(笑)。

ーー外務省では“瞬間湯沸かし器”との異名で恐れられたとの噂ですが(笑)、当時一番頭にきたエピソードがあれば教えてください。

今まで僕は色々な交渉してきたんですけど、1987年から90年まで日米貿易摩擦の交渉担当だったんですよね。1990年の春に、東京で日米構造協議をやっていた最中、2月28日にブッシュ大統領(父)から日本の総理に電話がかかってきて、なんと3日後にカリフォルニアで日米首脳会談をやることが急に決まったんです。3日後に日米首脳会談の開催が決まるなんて、普通ならありえないことで、後にも先にもあの一回だけだったと思います。それだけ当時っていうのは今じゃ考えられないくらい異様な時代でね。毎日のように、“日米貿易摩擦”が新聞の一面トップを飾った時代でした。そんな時代だからこそ、「今やらなければ日米関係が大きく悪化してしまう。」ということで、急遽開催が決定したんです。そしてそこからの一ヶ月は、構造協議によって、日本の制度が大きく変わった時期でしたね。

僕は当時二つの交渉をやることになりまして、一つは構造協議、もうひとつがスーパー301条と呼ばれるものです。スーパー301条といえば、木材、スーパーコンピューター、人工衛星の3品目に関わる交渉です。

そこで昼前から交渉を始めたんですが、たまたまその日が金曜日だったもんだから、夕方になる頃にはアメリカ側の交渉官が「そろそろ帰らなきゃ」と言い出すわけですよ(笑)。

アメリカ側は、「日本はまだ十分に議論の準備ができてないだろうし、どうせ一回の交渉では終わらないだろう。」と考えていたようですが、こっちは全部解決するつもりでしっかり準備して臨みましたから余計にカチンと来て、それはもうアメリカ側が真っ青になるくらい怒りました(笑)。

「大統領がうちの総理に言って、日米首脳会談の開催が決まったんだろう。あんたら、金曜だから帰るって、俺たちは何しにここまで来ていると思っているんだ。」って、ね。

この時はなんで怒ったか分からないんですよ。僕は時々、計算のうちで怒ってみせることもあるんですけど、この時は違いましたね、本気で準備して交渉に臨んだ分、本当に怒りました。「これだけ本気で準備してきたのに何なんだ。」と。

この思いの強さが迫力となってアメリカにも伝わって、そこから向こうも完全に変わったわけです。アメリカ側の交渉官も本気になって、それからみんなで、徹夜で話し合いをしました。そうして結局翌日には解決して、その情報がNSCから大統領に伝わり、「日本はすごく良くやっている」というコメントももらいましたが。

ーー日米関係において、日本の立場が相対的に弱く、いわゆる舐められてしまっているということは実際に関係あるんでしょうか。

それは絶対にあるんですね。日本が、「日米関係は大事だ」って言いすぎていたら、相手がそれを当たり前のことと思いますからね。英語の表現で“Take it for granted.”と言う言葉があって、“当然視する”という意味です。そのあと僕が次官になったあと、次官級協議において再び僕が怒るというか、相手をたしなめたことがありましたけど(笑)。

要するに、日本がアメリカに協力して何でもかんでも賛成するのは当たり前と思わせてしまったらダメなんです。

ーーそのことを防ぐためには、時には強硬な態度も取らなければならないのだと思いますが、強硬な態度を取ることで関係を悪化させてしまう時と、相手の態度をうまく改善できる時と、その境界はどう見極めるのでしょうか。

外務省で仕事をして何が大事ですか、とよく聞かれることがあったんですけど、それを一言でいうと、いつもいうのは“感性”ですね。

アホみたいに喧嘩して、それで今後関係がプッツリ途絶えてしまってもいいのなら簡単な話ですけど、外交関係は今後も続けていかなければならないことを前提としているので、そうもいかないわけです。そこでこちらの思いを伝えて、関係を破綻させずにかつ物事をプラスの方向に動かせるかという判断が必要となってきますが、そういうのは、計算できたり、誰かに言われてうまくできたりするものでもないんですよ。

だから別の言葉で言うんですけど、それが“感性”があるかどうか、ですね。

ーーなるほど、人からも習うことができないということですかね?

そうだね、本には書いていないし、読んで分かるものでもないし、考えてわかることでもないんですよね。そういうと、詮無い話になるんですけどね、じゃあなんか、「もうどうしようもないんですか?」という話になりますけど(笑)。

ーーそうですね(笑)。じゃあ薮中先生みたいになりたいひとはどうすればいいんだ・・・という話になっちゃいますね(笑)。

もちろん、見よう見まねという方法もあります。お手本になる人もいますよね。ただもちろん、結局は自分の気持ちの持ち方ですよ。「自分がこうするぞ!」と確固たる意思を持って普段から考えているかどうか。

ーーでは最後の質問になりますが、今の薮中先生を規定するような、人生のターニングポイントがあれば教えてください。

僕にとっての、北米二課長として日米経済摩擦問題を扱っていたときですね。僕が全部のマネージャーで、本当の意味で僕しか知らないこともあり、僕だけが全体を見ていたわけです。同時並行的に、日米構造協議と、スーパー301条を含む3つの交渉を行っていたわけです。

これがちゃんとうまくまとまるかどうか、全部僕がマネージしなければならなかった。普通ならありえないことですけど、課長が総理に一人で話に行くんですよね、それは僕だけが全体を見ていたからということで。逆に言えば、まとまらないところは「どうするかな…」と、当時思いつめた部分はありましたね。

ーーなるほど、それは大きなプレッシャーですね。

プレッシャー…ではないですね、ただどうすればまとまるか、思い悩んでいた時期はあります。これはそもそも本当にまとまる問題なのかどうか、そしてどうやったらまとまるのか。しかも、相手に譲歩してまとめるのではなく、日本にとって良い形でまとめなければならない。これは真面目な話、当時非常に重たい責任を感じて、真剣に考えながらやっていましたね。心で泣いて顔で笑っていましたけど。

それはなぜかというと、この交渉をまとめた方が日本のためになると思ったんです。ただ相手はアメリカ人ですから好き勝手するんですよね(笑)。しかし、そこで喧嘩するわけにはいかない。「お前本当に馬鹿だな」と言いたくなるときもありましたが、相手は馬鹿でもアメリカを代表しているので、しょうがないんですよ。だから彼らをうまく手懐けて、いい方向に物事をまとめることができるかどうか、それがこっちの大事なところでしたね。これはやっぱりなかなか大変でした。

ーーアメリカを手懐けるという表現は面白いですね。

手懐けるというかね・・・(笑)。いや、個人としては大したことない人がたくさんいたわけですよ。ところが、相手は天下のアメリカの代表ですから嫌が応でも偉いですよ。日米関係は日本自体に対する影響力が大きいですからね。「交渉がまとまらないと対日貿易制裁をする」とか言っているものですから(笑)、そこはなかなか大変なものでした。

ーーなんだか、記事に書いて大丈夫ですかねこのパート(笑)。

いいんじゃないの、僕が言っているんだから誰も文句言わないでしょ(笑)。

(第2弾・塾生対談に続く・・・)

グローバル寺子屋薮中塾第4期生、まもなく募集開始。

そんな薮中三十二氏が塾長を務める、グローバル寺子屋薮中塾が4期生の募集を始めます。
グローバルな舞台での活躍を志すすべての若者が、外交の最前線で長らく日本を代表して来られた塾長の元で論理的思考能力を磨く、またとない機会となっています。

以下、4期生募集のための入塾説明会と、豪華ゲストを迎えての公開イベントの情報をお知らせします!

プログラム詳細

第1部 「塾長・ゲスト及び塾生による基調講演」
中国の軍事・経済・科学技術について語ります!

第2部「全体討論」
参加者を含め会場全体で日中関係強化の是否について討論を行うセッションを用意!

第3部 「入塾説明会」(任意)

イベント日時: 2018年2月10日(土) 13:00〜18:00

会場: 大阪大学基礎工学国際棟シグマホール
阪急宝塚線「石橋」駅(徒歩20分)または大阪モノレール「柴原」駅(徒歩5分)

▼イベント応募フォーム
https://goo.gl/dfzrqG

申し込み締め切り
一次: 1月31日 (水)
二次: 2月8日 (木)

※ 一次締め切りでの応募者数によっては,二次締め切りを待たずに募集を締め切る場合があります。


この記事を書いた学生ライター

Misato
Misato
917 ライターに共感したらGoodしよう!

イギリスのダラム大学で平和構築の修士課程修了後、パレスチナで活動するNGOでインターンをしています。”フツーな私が国連職員になるために。ギャップイヤー編”連載中。 [email protected]<⁄a>

このライターの他の記事を読む >

記事を友達におしえよう

はてなブックマークででシェアする はてぶ

co-media
この記事が気に入ったらいいね!

最新記事をお届けします

人気のタグ

外資系 #25歳の歩き方 就活2.0 キャリアデザイン 厳選インターン情報 20卒 学校では教えてくれないキャリアの話 私の職業哲学 広報・広報PR 大学生がやるべきこと ANDの才能 早稲田大学 慶應大学 20歳のときに知っておきたかったこと 東京大学 ハーバード大学 教養 就活 海外 留学 アメリカ 女性 インターン 大学生 IT企業 英語 勉強 ビジネス アメリカ留学ブログ ライフハック 日本 学生旅行 東大 TED 大学 ハーバード
InfrA ロゴ

就活に役立つ長期・有給インターンを
厳選して掲載しています!

co-media ロゴ が運営するインターンシップサイト >>

InfrAでインターンを探す