オーストラリア北部の都市・ダーウィン。知られざる悲劇の爆撃地。

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G’Day皆さん!早川るいです。

キャンベラから戻り、次の目的地へ行って来ました。

前回の記事でも書きましたが、ディーキンでの大学生活が修了したため、休み期間に入り、現在は帰国準備をしております。しかし、帰国まで時間があるため、空いた時間を使い、ディーキンで学んだ科目を利用して、旅行をしております。

次の旅行先は、オーストラリア北方の州都ダーウィンです。ダーウィンでは2記事に分け、皆さんにご紹介していきたいと思います。

まずはダーウィン爆撃を中心して書いていきたいと思います。

ダーウィンとは?

ダーウィンという場所は1600年代に、あるオランダ航海者が最初にそこへたどり着き、初めて地図を作ったのです。そのため、地名によってはオランダ語で残っている場所もあります。

19世紀以降は、イギリス航海者による入植と撤退の繰り返しにより、ダーウィンはイギリス領となりました。ダーウィンという都市名として名前がついたのは、あるイギリス軍艦に乗っていた船長が付けたものです。1839年にイギリス軍艦ビーグル号のある乗組員が港にする好適な入れ江を発見し、船長のジョン・クレメンス・ウィッカムがイギリス自然科学者のチャールズ・ダーウィンを元にその入り江をダーウィン港と名付けました。

なぜ船長がダーウィンの名前を選んだかと言いますと、前回のビーグル号での探検航海で、ダーウィンとウィッカムは船仲間だったため、船長が彼の敬意を表して、名前を港名として選んだのです。そのため、現在のダーウィンでは、港だけでなく、大学名としてもチャールズ・ダーウィンが使われている所もあります。

また、18世紀からダーウィンは他の街に比べ、アジア人が多い街でした。ダーウィンとアジア諸島との距離が一番近い場所であったため、中国人、インドネシア人、日本人などが多く暮らしておりました。しかし、ほとんどのアジア人は、旅行目的でダーウィンへ訪れておらず、真珠採取でお金を稼ぐために、ダーウィンに留まっていたのです。そのため、ダーウィンやブルームなどにある墓地へ寄りますと、日本人の墓が見る事が出来ます。

ちなみに、19世紀末の時、州政府が人口率を調べた所、アジア人の人口率がヨーロッパ人とオーストラリア人の人口率を超えていた記録があります。それほど多くのアジア人がダーウィンに暮らしていた事が分かります。

立ち上がり、朽ち、そしてまた立ち上がる

ダーウィンという都市は、2度崩れた事がある街なのです。1度目は、第2次世界大戦中に起こった爆撃により、街全体が崩れたのです。そして、もう一つが、サイクロン・トレーシーなのです。1974年12月25日の早朝(クリスマス)、ダーウィンで大型台風が襲いました。その名は、「サイクロン・トレーシー(Cyclone Tracy)」。

その台風は、秒速60メートル以上の風を5時間以上にわたって記録されたほどの威力を持っていたのです。日本では台風は身近の存在であったため、日本の建物はある程度、台風に対抗できるような構造になっておりますが、当時のダーウィンの建物はこれほど強い台風に出会った事が無かったため、被害は甚大でした。被害は、約71人が死亡し、ダーウィンにあるほとんどの建物は台風により倒壊され、約3万人の避難民が出たのです。

これにより、当時のダーウィン市民は「日本軍による爆撃と並ぶ歴史的な大事件」だと感じております。台風が去った後、ダーウィン再建委員会が立ち上がり、都市の再建を計画し、数年ぐらいかかりました。ちなみに、ノーザン・テリトリー博物館&美術館へ寄りますと、サイクロン・トレーシーについての展示が大きく置いてあります。

そこでは、台風が直撃する前の様子や直撃した後の様子の写真が見る事ができ、この台風に関する展示品を見る事が出来ます。また、その中でサイクロン・トレーシーがどんな時にダーウィンへ襲ったのかを再現した真っ暗な部屋があり、その中へ入りますと、台風が吹き出した風の音を聞く事も出来ます。

悲劇の爆撃地、ダーウィンから見る視点

ダーウィンを旅行先として、選んだ理由は2つあります。一つは、アボリジニ文化についてもっと知るためです。もう一つは、ダーウィン爆撃について詳しく知るためにこの場所を選んだのです。

第5回目と8回目の記事でも書きましたが、第2次世界大戦中はオーストラリアと日本は敵同士でした。そのため、大戦中、当時の日本軍勢力は東南アジアまで拡がり、いつオーストラリアを襲撃してもおかしくないくらいの状況だったのです。

しかし、1942年2月(真珠湾攻撃から2か月後)にダーウィンにて、淵田 美津夫という上官の指揮により、爆撃が行われました。それ以降、ダーウィンは当時の日本軍により、21か月間に約64回爆撃され、252人のオーストラリア人などの人々が亡くなりました。

2学期の時に、ディーキン大学で“Australia And The Two World Wars”という第1次・第2次世界大戦について学ぶ科目を取っており、ダーウィン爆撃について触れておりましたが、当時の状況についてあまり詳しく知ることが出来ませんでした。

しかし、ダーウィンにあるツアーに参加した際、それについてもっと詳しく知ることが出来ました。そこのツアーガイドさんは、ダーウィン出身の方ではありませんでしたが、彼の父がAIF(オーストラリア帝国軍)に所属し、ダーウィンが爆撃された時を実際に体験したため、そのガイドさんの父の証言や学者が書いた本で当時の日本側とオーストラリア側の状況について教えてもらいました。

例えば、淵田 美津夫さんについて話しておりましたが、この方は爆撃をする際、市民の家や病院を一切狙わず、オーストラリア軍基地だけを狙うつもりで、自分の部下たちにダーウィンの市民だけは死傷を与えないよう指示していたのです。

しかし、その命令を無視した部下が一部存在したため、被害が拡大し、淵田 美津夫さんが考えていた襲撃が予想外の結果になってしまったのです。ガイドさんがこの話を終えた際、「淵田 美津夫は爆撃を計画したが、完璧に悪い人ではなく、彼は立派な人だ。彼は自分なりの武士道を貫き、被害をなるべく最小限に行おうとしたが、自分の部下たちにせいで、彼の予想以上の被害が出てしまったのです。なので、彼を責めないでほしい。」と言っておりました。

今までオーストラリア側を学んだため、当時の日本軍が数えきれないほどの行いをやっていたのかを理解する事が出来ました。しかし、このガイドさんの話のように、そんな恐ろしい行いをしてきた日本軍の中でも「国に忠誠を誓いながら、弱き者を狙わず、名誉を重んじる」という思想を持った日本人もいた事を知る事が出来たのです。

あと、このツアーのメインである「イースト・ポイント戦争博物館」へも行って来ました。2時間ぐらいしかまわる事が出来ませんでしたが、ダーウィン爆撃の資料や展示品を多く見る事ができ、その中でも淵田 美津夫さんや豊島 一という日本軍兵についても知ることが出来ました。

博物館内では、当時の記録や日本軍の爆撃機の経路について知ることができますが、博物館外へ行きますと、当時使われたアメリカ軍やオーストラリア軍が当時使用した兵器や自動車なども間近で見る事が出来ます。また、博物館外にある建物へ入りますと、当時のオーストラリア軍によって回収された日本軍の私物の展示品を見る事が出来ます。例えば、日本刀や寄せ書き日の丸など多くの日本の博物館ではあまり見ないような物を見る事が出来ます。

そして、これらの展示と一緒に「伊124(伊号第百二十四潜水艦)」という日本軍の潜水艦についても知る事も出来ます。残念ながら、この潜水艦ついてあまり触れる事は出来なかったですが、この潜水艦は大戦中にアメリカ軍やオーストラリア軍が仕掛けた爆雷によって、イーストポイント付近にある湾で沈没してしまい、多くの乗組員と一緒にその湾で今でも眠っている事をこの博物館で知ることが出来ます。また、その潜水艦の艦長の娘さんの許可により、その艦長が愛用していた物が館内で展示しております。

イーストポイント戦争博物館では、多くの日本人やオーストラリア人が知らない歴史を持っているので、ダーウィンへお越しした際はぜひ寄ってみて下さい。

以上です。今回は、ダーウィン爆撃について紹介しました。この爆撃がいかに恐ろしく、当時のダーウィンの人々にとってどれほど忘れられない出来事だったのかをご理解して頂きたいと思います。

この爆撃に関わった日本人、オーストラリア人、アメリカ人、そして、当時ダーウィンに暮らしていた人々にお祈りお申し上げます。

では、次回の記事について紹介したいと思います。次回は、ノーザン・テリトリーのアボリジニについて書きたいと思いますので、楽しみにして下さい。

では、またお会いしましょう!

この記事を書いた学生ライター

Rui Hayakawa
Rui Hayakawa
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「The Long but short journey」の記事を書いている国際教養大学3年生のるいです。これから1年間、「自分の知らないオーストラリア文化を探求し、人々を知る」という広く深い目標で皆さんにDeakin大学での生活やオーストラリアでの旅について紹介していきたいと思います。

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