1987年に東京都で生まれ、東京大学文学部倫理学科を2010年に卒業しました。同年、経済産業省に入省した後は、震災及び原発事故を踏まえた中長期のエネルギー政策の企画立案や、電機産業の競争力強化、新産業の創出促進を担当しました。2014年7月に経済産業省を退職し、3人目のメンバーとしてインクルージョン・ジャパン株式会社に参画し、現在は、ベンチャー企業の支援や大企業の新規事業開発のコンサルティング、政策立案の支援などをしています。
ーー陶山さんはどのような大学生だったのでしょうか。
大学2年生まで野球しかしていませんでした。高校3年生まで、高校野球が終わったら人生が終わるのではないか、と漠然と考えていたくらいでしたし。笑 高校の先輩が大学に行って野球をしているのを見て、ようやく大学というものを意識し始めましたね。
そもそも東京大学に入ったのも偶然でした。高校野球が終わった時、まだ野球をやりたいと思っていたので、親に負担を掛けない国立大学の中で、野球の強い大学に行こうと思いました。国立大学の中で野球が強いのは東京大学・京都大学・筑波大学の3校なのですが、その中で一番強いのは筑波大学、一番目立つのは東京大学なんです。自分の実力としてプロに行くのは厳しいとわかっていましたが、六大学野球の結果は毎回新聞にも載るし、プロからのスカウトも来ている。実際に僕の4つ年上で東京大学からプロにいった人もいますし、高校野球の恩師に相談しても、狙えるのであれば東京大学を狙うべきだと言われて、東京大学を目指すことにしました。そういう経緯で東京大学に入ったので、大学に入っても硬式野球部で野球漬けでしたね。
しかし、大学2年のときに監督が変わり、野球部の運営のあり方を変えると言い始めたのが、人生の転機でした。当時、東大の選手は50名程度いたのですが、部全体をマネジメントする人間があまりに少なすぎる、マネジメントサイドで自分の補佐をする人間が必要だと言い出したのです。
他大学では、大学4年生の中で選手として起用される可能性が低い人が“学生コーチ”として監督を補佐していましたが、東京大学では、そうした役割の人はいませんでした。私は、レギュラーではなかったですが、当時まだ2年生、まだまだこれから六大学で活躍するチャンスがあると思っていました。ただ、監督から「君が六大学で選手として活躍できる可能性はあると思う。だが、君が選手をやっているよりも、マネジメントサイドに入ったほうが東京大学の野球部が優勝する確率は上がる」と言われて学生コーチへの就任を依頼され、断れませんでしたね。しかし、学生コーチになったものの、どうしてもモチベーションが続きませんでした。自分はやっぱり野球がやりたかったんだというのを痛切に感じ、しかし、事実上、選手に戻って六大学で活躍できる可能性は低い。他の野球チームに入ることも考えましたが、大学に入学した頃から、もっと広い世界を見たいという思いも強くなっていたので、野球をやめることにしました。
ーー野球部をやめた後は、どのようなことをされていたのですか。
そこからは何でもやりましたね。何事も社会勉強だというつもりで、バックパックや留学生との交流をしたり、色んなゼミに出たり、読書会を開催したり。もともと物事を突き詰めて考えるのが好きで、思想の勉強をしたいと思っていたので、倫理学の専攻に進み、「人はどのように生きるべきか」みたいなことを考えていました。当初、大学院に進学して勉強しようかなと考えていましたが、大学三年生になって、大学院の先輩方、先生方たちと議論するようになって、自分が本当にやりたいことは、大学院での研究なのか、という違和感も持つようになりました。
そんなとき、大学3年生の6月にたまたま校内で就職活動の合同説明会のビラをもらいました。社会のことも知らずに大学院に行って「人はどのように生きるべきか」みたいなことを研究するのも変だなと感じていたこともあり、たまたま時間が空いていたこともあって、その合同説明会に参加することにしました。そこでいろんな社会人の話を聞いていて、自分は全く社会のことを知らないんだなというのを強く感じるようになりました。
合同説明会って、1回各社のブースに入ると20〜30分、長いときは40分くらい座って話を聞くんです。時間がない中で多くの人の話を聞きたいと思ったので、ブースに入って説明を聞くのではなく、ブースで説明がされている時に手が空いている他の人をつかまえて「すみません、ブースに入って聞く時間がないんですけれど、よければ、この会社について教えてください」と質問攻めにしていました。その業界がどんな業界なのか、なぜこの会社に入ったのか、普段どんなことをしているのか、どのくらい給料をもらっているのか、今後どんなキャリアプランを描いているのか、といった話を、できる限り具体的に、自分がその会社に入った時の生活が、ありありとイメージできるくらい具体的定量的に質問していました。
僕も、就職活動をする前は、働くのはつまらないとか、サラリーマンは束縛ばかりされていて辛いとか思っていましたが、就職活動で話を聞いて回って、そんな人ばかりじゃないということがよくわかりましたね。大企業でもすごく楽しんで仕事をしている人はいるし、どこの業界もどこの会社もすごく熱くて面白い人がいて。どこの会社に行っても、人生は楽しそうだなと思いましたね。
結局、合同説明会で400社くらいの話を聞きました。色んな話を聞いていくと、インターンなるものがあるらしいというのが分かりました。もっと深く仕事を体験できて話も詳しく聞けるらしいというので、インターンにも色々行ってみましたね。ワタミのインターンで二週間北海道に行って農業もしましたし、アチーブメントというコンサルティング会社のインターンでは2泊4日で山に登りました。そのほか、ベンチャー企業のインターンとか、2泊3日でビジネスを企画するといった商社のインターンにも参加しました。
インターンを通して、自分自身が大切にしている軸がわかってきました。1つ目は、やりがいがもてる仕事がしたい、意味がある仕事がしたいという思いが最も強いことです。もちろん、どの仕事も意味があって、だからこそ顧客からお金がもらえるんですが、自分にとって、この仕事は意味があると強く思えるものと、あまりそう思えないものがありました。そして、2つ目として、自分にとってやりがいがある仕事をし続けるために、人に認められること、成長することが必要だなということです。「早く成長したい」という願望が人一番強かったですね。そして、3つ目として、成果を残し、成長するためにも、楽しく仕事がしたいということを感じました。馬が合う人とか、馬が合うカルチャーの会社で仕事をすると没頭できますし、そういう人たちがやってることは自分がやりたいことに近いことが多いなということ、誰と一緒にやるかという観点も仕事選びですごく重要だなと、就職活動をしていて感じました。
その3つの軸で考えた時、外資系コンサルティングファームは自分にあっているかなと思いました。いろんな会社の経営を支援することを通じて社会に広範に役立てるし、成長のスピードも早い、人としても面白い人が多い。より話を聞こうと思ったのですが、ただ、ここでも、一つ一つの会社に時間を掛け過ぎたくなかったので、外資系コンサルティングファームが合同説明会に出た時に話を聞きに行くようにしていたんです。大学3年生の12月1日に、合同説明会に出ていたローランドベルガーのブースで話を聞いたあと、大学に帰ろうと思ったときに、その斜向かいにいたのが経済産業省だったんです。
帰り際の私に、まるでナンパかのように軽いノリで声をかけて来て、その様子が面白かったので、たまたまブースに入りました。それまでは、“役人”ってすごく堅そうだし、ルーティンワークが多そうだし、つまらなさそうだという先入観があって、自分の就職先の選択肢に入れたことは一度もなかったんですが、そこで聞いた話がめちゃくちゃ面白くて、印象が一変しました。この人たちは、本当に世の中を動かしているんだな、と感じて、そこからは、経済産業省の説明会は全部出ましたし、外務省、財務省、警察庁、農水省とかの説明会も一通り出て、役人も面白そうだなと思うようになりました。
ーー大学四年生から勉強を始められたのですか?
公務員試験の勉強は、3年生の12月からですね。ただ、野球部をやめた後、せっかく人生をかけた野球をやめたんだから、何か資格くらいとるかと発起して司法試験を受けてたんですよ。ただ、予備校にも行かず、中国をバックパックしながら基本書を読んでたくらいなので、今考えると受かるはずないですよね。笑 ただ、その時に、法律の勉強を少ししていたのもあって、公務員試験に受かることができたんだと思います。人生不思議なもんですよね。笑
ひとつは視野が複層的なことです。経済産業省が考えていることって、ビジネスとか経済の観点だけじゃないんですよね。外資系コンサルティングファームは、基本的にビジネスや経済の観点から物事を見ていることが多い。ただ、経済産業省は、社会的な意義とか政治的な観点も持って、本当に意味があることは何なんだというところをつきつめていける。
もちろん、民間企業が利益をあげなければいけないのと同じように、行政も、国民からの支持を得続けなければいけないというのは事実です。自分たちが真に必要だ、意義があると考えるだけではなくて、国民からの支持がないと結局予算が算出できなくなる。ビジネスのように、個々の顧客からお金を支払ってもらうのとは違いますが、政府としてやっていることに支持の一票を投じてもらわないとプロジェクトができません。ただ、本当に意味があると思ってそれを説明しきったら、個々のお客さんからお金をもらわなくても、たとえ儲からなくても、そのプロジェクトができるというのは行政の特徴ですよね。
もうひとつの違いは規制やルールメイクの問題。ヘルスケアも、農業もそうなんですけど、何かしらビジネスをやるときには、規制や制度は所与の前提と置いてしまいがちなんですよね。でも、その制度を変えた方がよければ、最後までその主張を通して変えにいけば良い。そういったことも、やればできるんです。そこまで含めた柔軟な発想を持って、この国をどうしたらよいのか、世界はどうあるべきなのか、という議論が根底からできるのが醍醐味でしたね。
ーーなるほど。では経産省は企業よりもひとつ上のレイヤーから見られる組織なんですね。
上のレイヤーというよりも、社会を俯瞰する存在だと思います。もちろん、個別の具体的なものやサービスであれば企業の方が詳しいし自由に動けますが、薄く広く社会全体に目配せしているというのが特徴の一つですね。
あともうひとつ、外資系コンサルティングファームとの大きな違いは、最後に実行する点です。外資系コンサルティングファームは企業に提案をして、その後プロジェクトが終了なことが多い。役所はそうではなくて、こうなったらいいよね、こうやったらできるんじゃないのって言ったら、じゃあやれという指示があって、実際にお金も人も使ってやる、というのが大きな違いですね。
ただ、“外資系コンサルティングファーム”と“役所”を比べてもあまり意味はなくて、外資系コンサルティングファームの中でもどこの会社の誰と働くのか、役所の中でもどこの省庁でどこの部署で誰と働くのかで、全然やることが違います。役所も外資系コンサルティングファームも、いい人もいれば悪い人もいて、絵をかくだけで何もできない人もいれば絵すらかけない人もいて、結局は人ベースなんだなというのは経済産業省で働く中で強く感じましたね。
ーー経済産業省では、どんな仕事をされていたのですか?
資源エネルギー庁総合政策課というところで、エネルギー政策の担当をしていました。ただでさえ、すごく忙しくて死にそうになっていたんですが、一年目の最後に3.11の震災が起きて、さらに生活が一変しました。どこでどれだけ被害が出ているのかという情報収集をしたところ、東京湾の製油所で大規模な火災が起きていたり、ガソリンスタンドに石油を届けるためのローラーが津波で流されていたり、ガソリンを運ぶための道路が破壊されているということがわかってきました。また、すぐに、電力が足りない、計画停電をやらなければいけないという話になって、その対応をしていたり。4月、5月くらいになると、緊急時対応から中長期的にエネルギー政策をどうするのかという議論にフォーカスが移り、6月くらいからは大臣も参加する有識者会議をクローズドで開催するようになりました。10月くらいから本格的にに有識者会議を始め、新日鉄の三村会長や、三井物産の槍田会長といった方々を25人集めた会議を週に一、二回開催していました。それも、2時間の予定の会議が3時間半くらいになったりしながら、みな必死で議論していましたね。そんな議論を1年半くらい続け、民主党政権として“革新的エネルギー・環境戦略”という戦略をとりまとめたところで電機産業の担当部署へ異動しました。
電機産業の担当というのは、スマホやパソコン、家電、半導体や電子部品などを扱う日本産業が、どうやったら競争力が強くなるかということを考え、政策を実行する部隊です。私が異動した時には、大手家電メーカーの中では倒産するんじゃないかと言われている会社もあって、実際に倒産したら何が起きるのか、どう対応するのか、といった議論もしていましたね。
2012年末に安倍政権になって、2013年から景気がよくなってきたので、日本の電機業界も一息つける状況になりました。電機産業の担当をしている期間で学んだのは、結局は全てコミュニケーションの問題だなと。民間企業間の案件について調整することもあったんですが、お互い、裏側で嘘をついているんじゃないかとか、隠しごとがあるんじゃないかとか、そういうふうになっていくわけですよ。そういうときにお互いの話を聞き、ファクトを整理しながらうまく調整する。そう言った役回りの人が必要とされているな、というのを実感しました。
ーーなぜ経産省をやめるという行動をとったのですか。
2013年になって、ようやく一息つけるようになった時に、中長期的に、日本の電機産業がどうしたら強くなっていくのか、という問題意識のもと、ヒアリングや調査を始めました。アメリカでは、GoogleやApple、Facebookのような企業が出てきているわけですよ。ベンチャーとかイノベーションとかっていうキーワードを元に色んな人と議論していった結果、まず、自分自身のあり方や考え方を変えないと、何か事を起こすことはできないのではと感じるようになりました。
役所の先輩たちを見ていて、自分がこのまま経済産業省に残ったらどんな仕事をどんな風にしていくかというのは、ある程度想像できました。ただ、それで日本に新しい産業が生めるのか、このままで日本は大丈夫なのかと問うと自信を持って大丈夫だと言えない。そして、ベンチャー界隈で会った人たち、大企業でイノベーションを起こそうとしている人たちが、無謀で、無茶で、でも実現できたらすごいことを真顔で語っているんですよね。この人たちすごいな、おもしろいな、この人たちと一緒に活動していったらやりがい、意味があることができそうだし、この国を再生していく糸口も見つかっていくんじゃないかと思ったんです。
特に、自分は行政や政治に強みがあります。霞ヶ関で国家公務員として5年間働いた人間は日本全国1億3千万人の中でそんなに多くはありません。先ほど言った通り、コミュニケーションさえ円滑にとれるようになったら、行政も、他の分野と組んで、どんどん新しいことを仕掛けていけるなと。例えばベンチャー企業が新しい事業をやりたいとか、ドローンなど新しいテクノロジーを試したい、そんなときに、どうやったら行政とうまく調整できるかが比較的自分には分かるなと思っています。そうして、各人、各組織が持っている枠を超えていく手伝いができるようになれたら、と考えています。
ーー公務員をやめるのは怖くなかったですか。
私は、 “公務員”になりたいと思ったことはないんです。就職活動をしていた時から、“公務員”になるという言葉自体がナンセンスだと感じていました。公務員のなかでも官庁や地方公務員によって仕事は違いますし、官庁の中でもどこでどういう仕事をして何を達成したいのかっていうのが違う。官がいいか民がいいかなんて話は全くもってナンセンスで、どこで誰と何をしたいかというのが大事だと思っています。政策を作るのがすべてではないし、世の中を変える方法、世の中にインパクトを与える方法、社会を動かしていく方法っていくらでもあると思うんです。
もうひとつは、エネルギー政策という、政治とすごく近いところにいたので、どのように政策/政治で物事が決まっていくか、政治家がエネルギー政策を考えるときに、誰がどんなふうに議論して、どういうふうに影響が与えられて物事が決まっていくのかが垣間見えたんです。外側から政府に情報やプレッシャーを与える人も見られる特殊な立ち位置にいて、どこのポジションにいるかではなくて、何をしたいか、誰に信頼されているかが重要なんだというのがわかる、良い体験をさせてもらったというのがあります。
あとは3.11を経験して、通常では有り得ないくらい自分という人間に仕事を任せてもらう経験があったので、経済産業省でこういうことをやったと思えることが早い段階できたというのも決心できた一つの理由だと思います。
人間は変化を恐れているし、継続することを前提としているというのは自覚した方がいいなと感じています。私自身も、変わった人間だと言われますけど、夜寝て朝起きるというリズムは変わりませんし、いきなりインドに行って生活しようとかはしないわけです。基本的には、既存の生活をしていく中でどこかをちょこちょこ変えていく、それは当たり前のことなんです。
例えばベンチャー企業もそうです。必死になって顧客から信頼を失わないようにして毎月数十万円数百万円の売り上げをあげて生きていくわけじゃないですか。いきなり会社をサボるとかできないわけですよ。そうした、“継続”というものが前提にあって、その中で新しいことを仕掛けていった時に何が起きるかを客観的に見なきゃいけないと思います。
個人的には、普段と違う新しい事を毎日必ずひとつはする、小さなレベルでいいから1つはする、ということが大事かな、と思っています。何でもいいんです。マクドナルドで毎日ハンバーガー食べてるとして、普段食べてる物とちょっと違うものを頼んでみるとか。ちょっと違う道で帰るとかですね。あとは、一つ一つの行動を大切にする。ないがしろにしない。そうすることで、新しいことを試してみた時の新鮮な感情に気づけるようになるのでは、と思っています。
ーー陶山さんも新しい事をいろいろやられている段階ですか?
そうですね。たとえば、私の場合、平均して1日1人は新しい人とあっていますね。今回のインタビューもそうですし。勉強会に行くこともあれば自分で主催することもあり、会社に訪ねることもあれば、人に紹介して話を聞くこともある。
ーーなるほど。それは意識してやられているのでしょうか?
人と会う、という意味だと無意識ですね。私は人と会うのが好きなんですよ。ただ、何か二つのことで迷った時に、新しい方を試してみようというのは心がけていますね。
自分が、何が好きで何が嫌いかをある程度把握しておくと、新しいことにも挑戦しやすいですよね。例えば、新しい人と会うのが好きな人もいれば、新しい道に行くことが好きな人もいれば、新しいものを食べるのが好きな人もいる。私の場合は人と会うのが好きです。逆に言うと食べ物はそんなに新しいところに行っていないんです。前提として、既存の生活があって新しいことができる。どちらも重要なわけですよ。
ある程度既存の生活が安定していないといけない。例えばよく寝てよく食べるとか。私で言うと、時間管理はきっちりするとか。やらなきゃいけないからやるっていうのは効率も悪くて、やっぱり仕事もプライベートも、好きなこと、楽しいことをやらないとうまくいかないわけですよ。
ーー自分がどこに好奇心があるのかを見極めた上でそこで新しい事をするのもテクニックということですか?
そうですね。言い換えると、既存の枠組みから飛び出ないといけないから出るんじゃなくて、気づいたら自然と飛び出てるのが一番理想ですから。私の転職にしても、そんな感じです。やるべきこと、やりたいことを突き詰めたら、たまたまそれが職業を変えるという形だったというだけ。例えば経産省の中でも仕事をやりつつもちょっと違ったやり方をやって楽しんでいる人がいるとか、子育てで会社を休んでイクメンになってみるとか、それはそれでいい気がします。
危機感をあおっても、人は動かないし、世の中はよくならないですからね。少なくとも今の日本では、多くの人は、今の生活が楽しいし満足してるんです。だから暴動も起きなければ、転職する人もめちゃくちゃ多い訳ではない。ただ、楽しいこと、やりたいことを突き詰めて、それで社会に価値が生めて、新しいものが生むことができたら、そんなに良いことはない、と思います。
ーー陶山さんの今までの経験をふまえて、キャリアに悩んでいる学生にアドバイスがあればお願いします。
3つあります。1つは「大いに悩め」ということ。悩むことから逃げるなと。就職活動に関する行動や決断とか、そこで出すパフォーマンスは間違いなく人生において大きな影響を及ぼします。ですから多いに悩んで手を抜くなと。しんどくても踏ん張っておくと、後々いいことがあります。
もう1つは、大いに動け、ということです。悩むのはいいんだけど動いて、色んな人に会えと。できれば自分がこれまでに会わなかったような人に会って欲しいですね。年齢という意味でもそうですし、同年代の中でも全然会わなかった人と会ってもいいです。少なくとも1つ、自分が全く想定してなかった企業に説明会に行くと大きな発見がありもんです。
最後に、転職できるし、起業しようと思えばできるということです。最後は直観で決めるしかないと思うので、悩むだけ悩んで行動するだけ行動したら、あとはもう決めるしかないです。後悔しないのが一番重要です。もっというとそれで体壊したりするのが一番ばからしいと。人生なんていくらでもやり直しがきくんです。大いに悩んで、大いに行動して、後は決めればなんとかなります。どこに行ったって大丈夫です。中小企業やベンチャーに行ったって、会社に就職できなくたってどうにでもなる。だから、大いに悩み、大いに動き、これだけ悩んで動いたんだからって思えるくらいにやりきって決めたら、絶対道は開きます。だから、ぜひ逃げずにやりきって欲しいなと思います。頑張ってください!