こんにちは、Misatoです。 前回の記事でヨルダン在住のシリア難民の抱える問題についてお伝えしました。
今回は、そんなヨルダン在住のシリア難民のお宅に一晩ホームステイさせていただいた記録をお届けしたいと思います。 ※今回のホームステイは、シリア難民支援団体サダーカさんにアレンジしていただき実現いたしました。 (サダーカのHPはこちら。)
今回ホームステイを受け入れてくださったお宅は、3人の娘さん、2人と息子さんとお姉さんと暮らす、ライダさんのお宅です。旦那さんは紛争とは関係なく病気が原因で亡くなられたとのこと。援助団体からの支援を受けて、暮らしています。
さて、おうちについたのが17時頃。
ライダさんは可愛い子どもたちと一緒にとびっきりの笑顔で迎えてくれ、早速シリアの家庭料理をふるまって下さいました。
(夜ごはんと思いきや、22時にもう一度ご飯が出てきたのであとで昼ごはんだったことが発覚。)
まず困ったのが言語です。
自慢じゃないですが、私はアラビア語なんて「アッサラームアレイクム(こんにちは)」しか話せませんし、彼女たちも英語は全く話しませんでした。 ここで役立ったのが「指差し会話帳」です。
旅の途中に必要な台詞が分かりやすい挿絵とともに載っており、双方向のコミュニケーションに大きく役に立ちました。 (ちなみに、指差し会話帳のアラビア語にはエジプト版とイラク版がありますが、両者のアラビア語には大きな隔たりがあり、シリア人と話すためにはイラク版を用意する必要があります。)
子どもたちも、会話帳に大きな興味を示してたくさん質問をしてくれ、 「職業は?」「学生だよ!」 「何人家族なの?」「お父さん、お母さん、お姉ちゃんと4人で住んでるの。」
なんていう会話が成り立ったりもしました。 言葉が容易に通じないというのはとても不便なことのように感じますが、でも言葉が簡単に通じないからこそ、全力で相手の言うことを理解しようと必死で耳を傾け、こちら側も全力でどうにか伝えようとする。
そうやって一つ一つのコミュニケーションに必死になることで、伝わった時や理解できた時の感動は何倍も大きくなります。
言葉が通じないことが、逆に私と彼女たちの時間を濃密にしていたのかもしれません。
さて、“難民”と聞けば、みなさんは可哀想というイメージをお持ちかもしれません。
確かに前回の記事ではシリア難民の抱える問題をお伝えしましたが、ライダさんのおうちには可哀想と言う言葉は似ても似つかわしくないように感じました。
それこそ夜1時頃まで、子どもたちは部屋で暴れまわり、簡易なローラースケートのおもちゃをこれでもか!というスピードで乗りまわし、黄色い歓声をあげて遊び続けていました。
そんな中、子どもたちはテレビで音楽をかけて「踊って!」と私に一言、大学でダンスをやっていたこともあって少し踊ってみると想像以上に大喜びされ、
「今度は歌いながら踊って!!!」とのリクエスト。
これまた不覚にも大ウケしてしまい、「次は私が一緒に踊る!!!」と二女が言いだしたのが最後、「次は私!」「次は僕!」と子どもたちが次から次へと飛びかかってくるため、歌いながら踊るという大変呼吸器官にダメージを与える動きを連続5回行うことになりました。(本当に本当にしんどかったです。)
手振り身振り、私の動きをまねる子どもたちにダンスレッスンをしたり、流行りのアラブミュージックに合わせてみんなで踊ったり。
アメリカに行った時もアフリカに行った時もそうでしたが、音楽というのは世界共通言語で、それ一つでどこの国の人ともコミュニケーションをとれるようになるのだから、こんなにお得な言語はありません。
また、子どもたちの明るさとたくましさは私の中で大きな衝撃として心に残っています。 寄付を募るためにいわゆる“可哀想”なシリア難民の写真が世に出回ることは多くあります。
しかし、突き抜けて明るい子どもたちは、そんなシリア難民の暗いイメージを吹っ飛ばしてくれました。 シリア難民って言ったって、毎日不幸のどん底でどうしようもないわけじゃない。
どんな過酷な環境に置かれても、子どもは笑うし、遊ぶし、喧嘩もする。こんなにもたくましい。
紛争と言う、理不尽な“大人の事情”なんかに負けず、あの可愛らしい笑顔のまま育って欲しいと、心から思います。
そんな明るいライダさんのおうちですが、それでも戦争の影を感じる瞬間はありました。指差し会話帳でライダさんのお姉さんと話している時のことです。
地図上にシリアの文字を見つけた瞬間、「スーリア!」と声をあげ、私たちの故郷はここだ、ここからきたんだと一生懸命身振り手振りで説明してくれました。
そして「とても美しいところなの。」と話すその口ぶりには、故郷への深い愛情と望郷の思いを感じました。
また、次女のイスラちゃんの細い腕には大きな傷跡があり、それがあとで紛争時の爆撃の影響なのだと聞かされたときには、なんだか言いようのない気持ちがこみ上げてきました。
「シリア難民が300万人を超えた」と数で語る時、その個人個人の物語は数字の中に埋没してしまいます。
でもこうやって人々を目の前にしたとき、その腕の傷に戦争の面影を見たとき、300万という数字はもっとリアルに感じられて重くのしかかり、なんでこんな悲しい戦争が終わらないのかと、これだけ人を苦しめてそれでもなお戦争を続ける意義がどこにあるのかと、どうしてそれが分からないのかと、子どもみたいな単純な疑問が浮かんできては何とも言えない虚しさに襲われました。
去り際にライダさんは、
「子どもたちはあなたのことをとっても好きだったと思う。あなたはとってもFunnyでダンスが上手だったわ。あなたも今すでに私にとって特別な存在だから、ヨルダンに来た時はホテルなんてとらなくていいのよ、うちに泊まりに来てね。」
と言いながら、笑顔で抱きしめてくれました。
「シリアの人たちの濃密な人間関係の作り方にすごく感銘を受けた。」と、NGOの代表を務める田村雅文さんが語ってくださったように、私もこうやって見ず知らずの日本人をこうやって温かく受け入れてくれる、彼女たちのホスピタリティに感心させられずにはいられませんでした。
彼女たちが一日でもはやく故郷に帰れる日が来ることを、願ってやみません。
イギリスのダラム大学で平和構築の修士課程修了後、パレスチナで活動するNGOでインターンをしています。”フツーな私が国連職員になるために。ギャップイヤー編”連載中。 Twitter@Misato04943248<⁄a>