2年ぶりの夏休みは中東ヨルダンにて過ごしてきました、板倉美聡です。
さて、私がヨルダンに居る間、一枚の写真が国際社会を大変賑わせました。写真に写るのは、幼いシリア難民の男の子です。
ボートで命からがらヨーロッパを目指しましたが失敗し、帰らぬ人となってトルコの海岸に打ち上げられたようです。
冷たくなった男の子の遺体は何も語りません。しかし、その小さな背中は届かなかった難民たちの心の叫びを象徴するかのようで、もう無視し続けることはできない難民問題の現実と責任を国際社会に突き付けるものでした。
故郷を失い、生活の糧を失い、時には家族も失い、終わりの見えない紛争にすべて奪われてしまった人々がいること。 日本に居る私たちは見て見ぬふりを続けていていいのでしょうか。
世界のどこかで誰かが苦しんでいても、私たちの世界には何気ない日常が広がっています。 でも、本当に、それでいいのでしょうか。
今回より、シリア難民にフォーカスした特集記事をシリーズでお届けして行きたいと思います。
できるだけ、分かりやすくお伝えしていきたいと思いますので、世界のどこかで苦しんでいる人々の声に、少しでも耳を傾けてほしいです。
“難民”と聞いてみなさんが思いつくのは難民キャンプかもしれません。 しかし、ヨルダンにいるシリア難民63万人中、実際キャンプに住んでいるのは8万人ほどにすぎません。
シリアから逃れて周辺国に流れ込み、難民キャンプに辿り着いたものの、難民キャンプの過酷な生活に耐え切れず、キャンプを出る人が後を絶たないためです。ー 世界最大級の『都市化する難民キャンプ』ザアタリ難民キャンプ。ヨルダン政府から許可が出ず、今回は訪問を断念
さて、今回はそんな難民受け入れ国のうちのひとつ、ヨルダンの都市部に住む難民の方々が具体的にどういった問題を抱えているのかについて私なりに考えをまとめたものを、できるだけ分かりやーーすくレポートしていきたいと思います! 最後までお付き合いよろしくお願いします!
ヨルダンにいるシリア難民63万人中55万人は都市部に住宅を借りて住んでいます。ー ヨルダンの首都アンマンのシリア人居住地域
家賃は平均で100JD(17,000円)ほど、電気代・水道代をあわせて130JD(21,500円)ほどです。
それほど高くないと思われたかもしれません。 しかし、問題はこれだけの生活費を捻出するための手段が本当に限られていることです。 生活のための手段となりうるのは主に、
(1)自分で職を得て稼ぐ (2)援助団体からの支援
が考えられると思います。 以下、それぞれ順に問題点を見ていきましょう。
(1-1) 働くことは禁じられている?!
ヨルダンに住むシリアの人々は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の基準によると“難民”であり、難民として保護されるべき対象です。 しかし、ヨルダンは難民条約を批准していません。
よってヨルダンには彼らを難民として保護する義務はないのですが、庇護対象者(Asylum Seeker)として彼らを受け入れることで国際社会から莫大な経済援助を引き出しているわけです。
“難民”には通常与えられますが、“庇護対象者”であるシリアの人々に与えられていないのが、就業機会です。
ヨルダン政府はシリア人がヨルダンで自ら職を得て、継続的に生活を営んでいくことを望んでおらず、シリア人がヨルダンで働くことは基本的には禁止されています。
理由は簡単。ヨルダン人の職を奪ってほしくないですし、できるだけ早く帰って欲しいからです。 それでもなんとか働いているシリア人もいますが、政府に見つかると捕まって刑務所にしばらく入れられてしまうこともあります。シリア難民にとっては、職を得て働くことすら命がけなのです。
私が家庭訪問したお宅の中には、
「家賃が払えずシリアに帰ろうと思った。しかし、近所の友人たちが『帰ってはいけない』とお金を必死でかき集めて、家賃を払ってくれた。」と語る女性もいました。
(1-2) 紛争による負傷
まず、爆撃の影響でケガをして働けないケースがあります。 私が家庭訪問をしたお宅では、一家の大黒柱となるお父さんが足を負傷しており、歩くこともままならない状態でした。
小学生の長女が買い物などを手伝っており、援助団体からの支援でなんとか日々の生活費をまかなっている状態です。
(2-1) 支援の縮小
頼みの綱である援助団体からの支援も、紛争の長期化に伴って縮小している傾向にあります。
WFP(世界食糧計画)からの支援は当初、食品引換券の形で一人あたり月24JD(4,000円ほど)でしたが、現在は生活レベルに合わせて0~10JD(1,700円)ほどに減額されています。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)も家族ごとに100JDの支援を行っておりましたが、そもそも対象になる家族が限られている上に、WFPの食糧引換券と同様激減しているのが現状です。
(2-2)新しいIDがないと支援打ち切り?
状況に追い打ちをかけるように、ヨルダン政府が打ち出してきた政策が“新しいIDを作らなければならない”というものです。
このIDがなければ、WFPからの支援は受けられないのですが、ID作成にあたっていくつか問題があります。
まず、IDのことをそもそもみんなが知らないということ、そして血液検査やID作成しにいくための交通費にお金がかかること、そして住居についての公的レターを提出しなければならないことです。
この公的レターはヨルダン人オーナーが脱税などの問題がバレることを恐れて出したがらないことが多く、ゆえに引っ越しなどをしなければならなくなるシリア難民も多くいます。
働くことも許されない、支援もなくなってゆく…。「生きるな」と言われているのと、同じではないでしょうか。
ヨルダンでは、高校教育までは無償で行われます。
幸いなことに、ヨルダン政府は、午前はヨルダン人、午後はシリア人のシフト制を実施しており、シリア人も学校に受け入れる方針を打ち出しています。
しかし、Care Internationalの調査によれば、就学年齢にあたる3分の1の子どもたちは学校に行くことができずにいます。 なぜ彼らが学校に行くことが出来ないのか、順に問題点を見て行きましょう。
1.シリア人への偏見
ヨルダン政府が受け入れの姿勢を示していても、全ての学校にその方針が受け入れられているとは限りません。 私が訪問したお宅では、ただ「シリア難民だから」という理由で受け入れを断られてしまったそうです。
他にも、学校に行くことが出来ている子どもでも、学校でヨルダン人の生徒との間にトラブルを抱えているケースもありました。
2. 経済的に通えない
近所にある学校には断られてしまった、しかし簡単に遠くの学校にいけるかといえばそうではありません。 交通費の問題で、経済的負担に耐えられないというケースもあります。 また、生活の糧を得るために子どもすら働かなければならない時もあります。
3. IDがない
小学校に登録される条件として、ID作成の手続きを開始していることが必要となります。 しかし、前述の通り、経済面や手続き面の問題でIDの作成が難しい場合があり、学校にいけない子どもたちも多くいます。
教育とは、未来への投資です。彼らが大人になって、いつか紛争が終わった時、シリアの未来をまたゼロから築いていくのは今の子どもたちです。
彼らが教育を受けられないことは、紛争を終えた将来のシリアが脆弱な国家しか作れないということであり、シリアにとってはもちろんのこと、国際社会の安定のためにも大きな損失となりうるでしょう。
シリアでの戦争がしばらく終わらないにもかかわらず、ヨルダン政府や国際社会が与えている援助は、一時的なものにすぎないという点です。
子どもたちは学校に行けない、親は働くことが出来ないが援助は減っていく…。 この現実と政策のギャップの狭間で、シリア難民たちは深刻な状況に陥っているのです。
しかし、645万人の人口の10%にもおよぶ難民を日本の約4分の1の小さな国土に受け入れてきたヨルダンにも、そのキャパシティに限界がきているのが現実です。
援助はあくまでも応急処置であり、根本的な解決にはなりません。 どんなに支援をしても支援をしても、戦争が終らなければ、いつか援助疲れで力尽きてしまう。
まず国際社会は、戦争の長期化に目をそむけず、シリア周辺国だけでなく積極的な難民受け入れを行い、公教育を行い、それによって人権の保障と将来のシリアを立て直す人材の育成をすべきです。
しかしそれはもちろん応急処置にすぎません。 どうしようもなく複雑に絡み合った利害関係に向き合い、根本的な問題である内戦の解決を目指さなければ、難民たちは永久に難民で有り続けなければならないのでしょう。
イギリスのダラム大学で平和構築の修士課程修了後、パレスチナで活動するNGOでインターンをしています。”フツーな私が国連職員になるために。ギャップイヤー編”連載中。 Twitter@Misato04943248<⁄a>