コーチングやNVC(非暴力コミュニケーション)を通して、人のお話を聴かせていただくことが増えてきました。
コーチングという名前をつけて僕がしているのは、話を聴くこと、共感して伝え返すことです。 その中で、話をしていただいた人の中に新しい気づきやきっかけがあればいいなと思っています。
新しい気づきや視点を増やすために、そのひとが無意識に下している評価に気をつけて話を聴くことがあります。 「無意識な評価はそのひとを限定的にすることがある」と思っているからです。
どういうことでしょうか。
以前の記事でも紹介した日本経済新聞社『NVC ひととひととの関係にいのちを吹き込む法』(マーシャル・B・ローゼンバーグ著)の中に評価を下すことと実際に起こっている出来事を観察することの違いを歌った歌が紹介されています。
怠惰な人間を見たことは一度もない。 わたしが見ているあいだは走らない。 昼食を夕食のあいだにときどき眠る。 雨が降ると家から出ない人間なら見たことがある。
けれど彼は怠惰ではなかった。 わたしを変わり者呼ばわりする前に考えてみてほしい。 彼は怠惰なひとだったのだろうか。 それとも、わたしたちが「怠惰」と呼ぶ行動をしていただけなのか。
愚かな子どもというのを知らない。 こちらが理解できないことをときどきやらかしたり、 こちらが計画していたのとはちがう方法で何かをしたりする子どもなら知っている。 わたしが行ったことのある場所を見たことがない子どもを知っている。 けれど、彼は愚かな子どもではなかった。
彼を愚かという前に考えてみてほしい。 その子は愚かだったのだろうか、それともあなたとはちがうことを知っていただけなのか。
穴があくほど見つめてみたが。 コックは見つからなかった。 食材を取り合わせてわたしたちの食事をつくる人はいた。 肉を加熱するためのコンロに火をつける人はいた。 けれど、コックを見ているのではない。 教えてほしい。自分が見ているのは、 コックなのか、それとも 調理という作業をしている人なのか。
怠惰という表現を使う人もいるが、 疲れているだけ、あるいは型にはまらない性格と表現する人もいる。 愚かという表現を使う人もいるが、ちがうことを知っているだけと表現する人もいる。 それならば、こう考えればいい。 自分が見たものと 自分の意見を混同しなければ、 混乱を引き起こさないですむ。 あなたに言われる前に、言っておこう。 これもまたわたしの意見にすぎないことは承知の上だと。
評価や判断を下すことなく、現実に起きていることをありのまま認識することは、難しいかもしれませんが非常にパワフルです。 評価や判断を下しているのは、長年自分の中で培われてきた常識や固定観念だと思っています。 それらにとらわれることなく様々な視点から物事を観察し、選択する自由を得る第一歩として、まずは現実として何が起きているのか、起きたまま認識するのです。
例えば、自分は怠け者なんです、という人がいます。 実際に起きていたことを聞いてみると、勉強中にたびたび休憩をとる、ということでした。 もちろん怠けていると表現することもできますが、休憩は高い集中力をもって勉強に臨むために効果的かもしれません。
就活から逃げるようにして留学に来たんです、というひとがいます。 逃げたかどうかというのはただの評価で、実際に起きたことは「カナダに来た」というただそれだけです。 たとえ今は逃げたと感じていても、何年か経って考えてみるとあのときの判断は間違ってなかった、いい選択だったと思っているかもしれません。
ただここで言いたいことは「何事もポジティブに考えよう」ということでは決してありません。 ただ現実に起こったままを受け止めるということです。
勉強もバイトもサークルも頑張って偉い!という人もいますが、 むしろ勉強1本に絞って大学生活を過ごした人が面接で有利だった、なんていう話も聞くようになりました。 常識や世の中の価値観は変わっていくのです。
男だから、女だから、才能ないから、天才だから、時間がない、お金がない、余裕がない、偉い、立派、ダサい、汚い、きれい…。
そこでは実際どんなことが起きているのか。 常識や固定観念に縛られることなく、まずはありのまま見てみる。 どんな現実がそこにあるのか、そんなことに意識を向けています。
フィリピンで約1年間インターンを経験し、2015年は2年目の休学に入ってニュージーランドに滞在中。コーチング・NVC、経済学を学んでいます。