はじめまして。ヴェトナム・ハノイに留学中の、首藤まゆこと申します。 ステイタスは、「軽い・ビンボー・変人」。
思いつきでふらっとどこにでも行ってしまう、いつの時代の大学生かというほどお金がない、なんか、変な人。
そんな私の、ちょっと変わった視点から見える世界、そして社会をご紹介できればと考えております。皆さまどうぞ、よろしくお願いいたします。
さて。今回は、自己紹介がてら、先ほどのステイタス3点について、掘り下げて行こうかと思います。
大学入学後は、大学近くの地域NPO団体を手伝ったり、サークル活動でイベント出店の手伝いをしたり。一時期はボランティアを兼ね、月1ほどのペースで福島に遊びに行ったりしていました。
地元は茨城です。大学も茨城です。でも、『実家←→大学』間は、『大学←→都内』間と同じ程度の距離(遠い)である上、アクセスが悪いので、一人暮らしをしてました。 ちなみに、小学校低学年までは東京だったため、茨城弁を話すと「お前の茨城弁はエセ茨城弁だ!」とネイティブから叱咤されます。ぐすん。私もふるさと言葉話したい。。
茨城には大洗という大きな港があるので、フェリーで北海道から帰ってきたこともあります。楽しかったけれど、船酔いが予想外にひどかった……。茨城は、海産物はもちろん美味しいですが、山の幸りんごとこんにゃくもお勧めです。そして納豆はひきわりが美味しいです!
地元トークになってしまいましたね。これは機会があればまた。
……そんなわけで、まじめに、お金がありません。 実は、高校時代にタイへ留学した理由のひとつにも、お金の問題があったりします。 また、現在ハノイへ留学できているのも、留学に対する奨学金があるからこそです。
とはいえ、留学には資金が必要なので、ハノイ留学前はおそろしく働いていました。たしか、最大5つくらいアルバイトを掛け持ちしていたと思います。 朝4時起床、5時出勤、8時まで病院で配膳のアルバイトをし、学校に行って、放課後はパン屋、不定期で塾のスタッフで深夜に帰宅、土日はスーパーでデモンストレーション、また時にはメルマガ執筆……みたいな。 どれも楽しい仕事だったのでよかったのですが。よくやっていたなあと思います。
住んでいたのは、家賃2万円台の古いアパートでした。 家賃が格安である理由の一つとして、交通の便が悪いというのがあり、それは同時に超田舎という意味で、日々田んぼの色が移りかわる様子や、虫の音カエルの音で眠りにつく生活は、なかなかに良いものでした。
このような感じで、なかなかに貧乏生活ながらも楽しんでいるのですが、やはり昔はそれなりに大変でした。 特に大学入学前、そして入学直後。義務教育中は、まだ自分で稼ぐことなどできず、自分が金銭面で親に迷惑をかけていると、とても肩身の狭い思いをしていました。
お金がないと、家庭の雰囲気も暗くなりますし、普通に生活するにあたっても生じるお金のために、何をするにも後ろめたさが伴いました。高校時代はアルバイトやボランティア活動を通し、徐々に自立の自覚が持ててきたこと、そして、家庭と学校以外の居場所ができたことによって、ずいぶんと救われました。
大学入学後は、周囲との生活レベルの落差に落ち込み、また、日々忙しく、アルバイトをする時間が持てず、かつかつでやりくりする毎日に疲れ果てていました。
色々なことがあって、現在はわりと気楽に暮らしていますが、過去に戻りたいと思った事はほとんどありません。あのときの憂鬱な気持ちを思い出すとぞっとしますし、今、どれだけの人が、同じような泥沼の中にあるのだろうと考えると、悲しくなります。とりわけ、こどもや、若い世代であるほど、そうした話を聞くたびに、たまらない心持になります。
ただ、「変」と一口に言っても、「変」っていったい何なんだろう?としばしば考えていたりします(というところが変なのかもしれない)。
一般的である、普通であることは、「普通」の枠に当てはめて、均一化することではないと思うのです。「一般的」という言葉が、もっと多様的で、モザイクのように色々な人、もの、コトを内包するような社会になったら、もっと素敵なんじゃないかなあ、とも考えます。
べつに私は「変なひと」のままでもいいけれど、「変なひと」が「普通」であると考えられたら、もうちょっと、ゆとりのある生き方ができるのではないでしょうか。
ではでは、こんなところで。 これからこの場を通しいろいろなことを発信し、皆さまと方々と交流できることを、楽しみにしています。
東京生まれ、茨城そだち。べとべと菌(べとなむ滞在者間で流行しがちなヒト・ベトナム化ウィルスだとかなんとか)保有者。症状は常に進行中。 旅行が好き。引きこもるのも好き。 社会と人への愛と葛藤を綴ります。よろしくお願いいたします。