こんにちは。英国イーストアングリア大学開発学部1年の的場優季です。
前回の記事に引き続き、昨年夏のバングラデシュ・グラミン銀行のインターンシップに参加した時の話をさせて頂きます。ー農村部にて。街中では見られなかったきれいな自然が印象的でした。
本部は首都ダッカに構えるグラミン銀行ですが、「グラミン」がベンガル語で「村」を意味することで知られるように、都会の貧困層(スラム街の住民など)向けには融資を行っておらず、農村部で業務が行われています。
政府の許可がとれていない、農村部の方が貧困率が高いなどがその理由で、都市部のスラム街の貧困層向けには、別のNGOが同じような活動をしています。実際の日常業務を見るため、グラミン銀行でのインターンシップは農村での数日間の滞在が必ず含まれています。
センターと呼ばれる集会所で、返済のためにメンバー(融資を受けている人たち)が週に一回同じ時間に同じ場所で集まります。「グラミン銀行側が村に会いに行く」のが高い返済率の理由の一つでもあります。ーグループのリーダーが全員分をまとめて返済
返済作業の見学やインタビューの後は毎回「交流会」になってしまったことに物足りない感もありましたが、それで良いのだとも思います。村に住む方々は「貧しいから助けなきゃいけない人」には見えなかったからです。グラミン銀行だけではなく他のサービス(夫の出稼ぎ先からの送金システムなど)もうまく拡大してきていて、自立してまわっているようにも見えました。狭いコミュニティの中で大人も子どもも繋がって生活しているような村々が私は好きでした。
元物乞いをしていて、今はグラミンのストラグルローン(困窮者向けローン)を利用してお菓子売りをしているという方にも会いましたが、その方に限っては悲壮感があったというか、耳に障がいもあったということで生きるのに必死という空気をまとっている感が抜けきっていなかったのですが、やはりそういう人たちと写真を撮る気にはなりません。だから、そういう人もまだいるということは頭に残しつつ、今生活が良くなってきているメンバーとは、インタビューで終わらずこうして交流できたり、村の人から直接サリー(南アジアの民族衣装)も買えて、それを着せてもらったり喜んでもらったりできたのは色々な意味で良いことだったのではと思います。
下の写真は印象に残っているシーンのうちの1枚です。オフィサーが、「グラミン銀行を使って生活が変わった人?」と聞くと、皆笑顔で手を挙げたのです。実際インタビューでも、融資を受けてリキシャ(人力車)を買い自分で稼ぐことができるようになった人、牛を買って育て、祭りの時期に売るなどのビジネスができるようになった人、農業を拡大できた人など、様々な実例を聞くことが出来ました。このこと自体はとても喜ばしい事なのですが、このあたりから、参加者の中で「グラミン銀行の良い面ばかりしか聞かされていないのではないか」という疑問ももくもくと上がってきました。少しだけ村での生活に触れておきます。もちろん滞在中ネットは使えず、停電も市街地より頻繁に、そして長時間起こりました。電気が足りていないので日常茶飯事のようです。そうなるとお湯でシャワーを浴びるわけにもいかなくなるので待つことになりますが、余りにも停電が終わらないのでろうそくを頼りに水浴びをしたこともありましたし、シャワー中に突然真っ暗になったこともありました。初めて蚊帳の中で寝たのも良い思い出ですが、トタン造りの建物の中で更に蚊帳に入ってしまうととても暑かったです。食べ物はオーガニック栽培されていて、スパイスの効いた野菜や肉、魚は毎回とても美味しかったです。
ー 寝る前にろうそくを消します(停電中)
スラムとは貧困地域全てを指すのではなく、都市部の中にある貧困層の過密化したエリアのことです。農村部からダッカに帰ってきてから見学に行くことが出来ました。グラミン銀行自体はここで活動をしていませんが、グラミン・シッカ(教育部門)の関わっている学校の見学や、別のNGOの活動の様子を聴きました。道路の舗装がしっかりされていないのはここに限らないのですが、車で走ると揺れで頭を上にぶつけるほどです。そしてとにかくゴミが山積みの印象ばかりでした。学校では子どもたちがABCを暗唱したり、算数をやっていたりしました。ひとつの部屋で20人ほどが床に輪になって座り、二時間の授業を受けます。窓からもたくさんの子どもたちが見ていたのは、私たちが珍しかったのか、普段からこうなのかはわかりませんでした。午後に別の20人が授業を受けるそうです。私たちが行くと歌を歌ってくれたり、絵を見せてくれたりして、こちらでも「交流会」になりました。空気が悪いのでしょうか、たくさんの子どもがひっきりなしに咳をしていたのをよく覚えています。
この旅を終えて帰りの飛行機で感じたのは、精神的な疲労でした。真夏のバングラデシュのうだるような蒸し暑さも手伝い、ひたすらに疲れていたのだと思いました。毎朝四時半ごろに町中に響くお祈りの低い声に起こされたこと、ホテル前で毎日見ていた犬がある日死んでいたこと、歩いている時や車に乗っている時の四方からの視線や物乞い、イスラムの習慣で時々水浸しのトイレ、食事の時の葛藤(私たちは完全に富裕層でした)、そして慣れない不衛生な景色。
バングラデシュを途上国たらしめているものは、第一印象としては街中のゴミの多さ、そして少し掘り下げて考えると公共事業の未熟さだと感じました。聞くところによるとゴミ回収の日というのは一応あるのだそうですが、放置されて山積みのゴミ箱や「ゴミ箱以外の場所のゴミ」が目立ちます。道路の整備や渋滞の緩和、建物の舗装やスラム街の住民への対策やエネルギーの不足、所得格差など、私が少し見てきただけでも問題がそれこそ山積みのように思えます。
この旅の前に見ておきたいことをまとめたときに、「貧困削減のためにオフィスで働く人は働く意義を感じることはできるのか」というのが1つありました。これに関してたくさんの人に聞くことはできなかったのですが、返答内容としては「仕事だからしている」感は否めませんでした。もちろん彼らも働かなければ生きていけないのでこれがリアリティのあるものなのだと思います。
現地で案内をしてくれていた人が言っていたある言葉も印象に残っています。「バングラデシュは30年前とは大きく変わりました。私たちはDevelopしていますから。」という趣旨の言葉です。それを聞いたとき、Developing countryは”developing” countryなんだな、と思いました。発展途上国は「発展途上」で、彼らはそのことに誇りを持っているのだという響きだったのです。
プログラム開始前のFacebookの投稿で私は、「いわゆる発展途上国と呼ばれる国」という言い方をしたのですが、「発展途上国」って別に悪い言葉、上から目線の言葉ではないのかな、とも思いました。
「発展」ばかりが良い事でもないけれど、ハッピーな人が増えたらいいと私は思っています。こういう話をし始めると私はいつも、言葉の使い方や考え方に反対する、または異なる考え方の人もいるだろうと考え始めて、何が正しいのかわからなくなってしますのですが(「正しい」考えなどは無いと思いますが)、この場では素直に私がその時感じたことをそのまま書きました。
もう半年以上も前のことなので、忘れてしまったことも多いはずなのですが、もちろん得たことは多かったです。大学で開発学の勉強が始まる前に行けたという点でも、これからのキャリアを考えるときにこの時の経験を考慮できるという点でも、そして実際に「自分の当たり前が当たり前でない世界」に少し触れられたことそのものが価値のある事だったと思っています。
興味を持って下さった方はグラミン銀行の仕組みそのものや、どうしてインターンシップに行ったかなど前半の話はこちらを読んで頂けると嬉しいです。お読み頂きありがとうございました。