皆さん、こんにちは! Deakin大学へ留学している、早川るいです。
先月いっぱいで、ようやく今学期の授業が終わり、現在テスト期間へ入りました。
Deakinでは、6月1日~7日にStudy Periodという勉強期間を与え、6月8日~19日にある試験期間のために備えます。 ただ、毎日がテストという訳ではありません(笑)
授業によって定められたテスト日もあり、無い日もありますので、授業によっては課題だけで、テストが無いという人もいますし、履修科目の4つだけがテストという人もいます。
私の場合は、テストが1つだけありますが、さほど内容は難しく無く、テスト日が試験期間の最後の方にありますので、計画を立てながら、試験準備をしております。 今回は、4月下旬のシドニー旅行の時に目の当たりにしたANZAC Day(アンザックの日)についてご紹介したいと思います。
そもそもANZACとは、Australian and New Zealand Army Corps(オーストラリアとニュージーランド連合軍)の略であり、第1次世界大戦に編成された軍隊であります。現在でもオーストラリア軍の事をANZAC軍として呼ぶ人もいます。
ANZAC“DAY”とは、1915年4月25日にANZAC軍がフランス、イギリス兵と共にトルコ軍戦線を突破しようと、トルコのガラポリへ上陸した日ですが、3万3千人以上の犠牲者を出し、失敗で終わってしまった悲劇の日でもあります。そのため、毎年この日は、ガラポリの戦いで亡くなった兵士や生き残った兵士に対し、追悼・慰霊する大事な休日になりました(日本の「終戦記念日」に近いです。)
現在は、ガラポリの戦いだけでなく、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの戦没者追悼、慰霊、帰還兵のための日になっております。しかし、日本とは違い、人種関係なく、若者からお年寄りまで参加する事ができ、”Dawn Service”や ”Sunset Service” 以外のイベントは賑やかな感じです。
今年は、ガラポリの戦いから100年目だったため、今までのANZAC Dayに比べ、かなり盛り上がっていました。テレビでは、首都キャンベラでANZAC Dayの始まりの式典である ”Dawn Service”の中継と一緒に、ガラポリでの追悼式も中継しており、私が今まで体験したANZAC Dayの中で一番緊張感がありました。
ANZAC Dayの一日のスケジュールはこんな感じです(シドニーの場合) ↓ ↓ 午前4時半:Dawn Service 午前8時半:Wreath (花輪) laying 午前9時~午後1時半:ANZAC パレード 午後5時:Sunset Service ※場所によっては、”Dawn Service”の開始時刻が違います。友達によりますと、メルボルンの場合は、午前6時開始でした。
残念ながら、別予定があったため、私はANZACの一日を体験する事が出来ませんでしたが、”Dawn Service”の方は少しだけ参加しました。
Dawn Serviceは、Martin Place(マーティン・プレイス)という場所で行いました。マーティン・プレイスは、シドニーのビジネスの中心部であり、銀行、中央郵便局、テレビ局などが建ち並んでおります。
上記のスケジュールに書いてある通り、午前4時半から始まります。会場まで歩いている間は、アジア系の人達がコツコツとすれ違いましたが、会場に着くと、大勢の白人のオーストラリアが集まっており、何時から起きたのだろう、待っていたのだろうというくらいの人の数が来ておりました。
”Dawn Service”のプログラムは、1時間で行い、黙とうから始まり、ガラポリの戦いに出たANZAC兵たちが残した手紙や日記を読み上げていきます。最後に、年配のANZAC兵 ”Digger”達からのスピーチがあって、”Dawn Service”が終わります。
プログラムが終わりますと、シドニーの場合は、式典の中心部にある”Cenotaph”へ行く事ができ、花を供えたり、個人個人で黙想する事が出来ます。”Cenotaph”へ行きますと、赤い花がたくさんに供えられております。これは、「ポピー」と呼び、詳しい理由はわかりませんが、アンザックの日を象徴する花です。
“Dawn Service”へ来て、意外と驚くのは、式典に参加する人の年齢層です。もちろん、年配の方は多いですが、自分と同い年の方や家族づれなど、若い世代も来ていました。もちろん、周りには一般人が参加しておりますが、ANZAC兵のためでもあるため、現在も活躍されているオーストラリアの陸海空軍の兵士達や元ANZAC兵の方々も出席されております。この式典に参加して、若い世代からお年寄りの世代までこの日がどれほどオーストラリア人にとって忘れてはならない日だと感じました。
私はその頃の様子をあまり覚えておりませんが、母親から聞いたところ、多くのお年寄りがなぜか日本人を嫌っておりました。その時は、日本人を嫌う理由を探らなかったものの、今回は興味本位で調べてみましたが、驚く結果になりました。
実は、第2次世界大戦中、日本が唯一オーストラリアを攻撃した国なのです。第2次世界大戦という言葉が出ますと、太平洋戦争、広島・長崎原爆などの言葉がよく出ます。しかし、オーストラリアを攻撃したという内容は、あまり知らない事だと思います。今の歴史教科書についてはあまり知りませんが、私が日本史を学んだ時は、オーストラリアについての内容は全くなかったはずです。この時、多くのお年寄りに睨まれることには納得しましたが、現在、親日国であるオーストラリアとこのような関係があったのを知らなかったのは非常にショックです。
しかし、この事実はしっかりと受け入れるべきだと思います。ANZAC Dayの翌日、シドニーにある「アンザック戦争記念館」へ行って来ました。建物自体は2階建てで、第1次世界大戦に出兵したANZAC兵達のために作られた慰霊館です。2階は、ANZAC兵が出兵した場所の名前が4つの所に記されており、真ん中にANZAC兵が仰向けになった金の像が設置されております。1階では、第1次、第2次、朝鮮戦争、イラク戦争などで出兵したANZAC兵やオーストラリア軍兵が提供した遺留品などが展示されております。
その中には、第2次に日本がシンガポールを襲撃した時の展示品がありました。展示品の内容に関しては詳しくは書きませんが、この時代の日本軍がいかに恐ろしく、酷かったかが書いてあり、この時のANZAC兵に心の底から情けを感じました。大げさな事かと思いますが、展示品と説明から本当に戦争の痛々しさが伝わっており、「別の見方で知る」という言葉がこの体験から通していかに大事かが理解できました。
毎年、オーストラリアの人はANZAC Dayにこの言葉を思い出し、世代を超えても国のために尽くした兵士たちを「忘れないように」と語り継いでいくよう大事にしています。
ANZACは言葉だけでなく、オーストラリアにある身近なものに潜んでおります。 例えば、アンザック・ビスケット。アンザック・ビスケットとは、第1次世界大戦の時に、ANZAC兵士たちのために、オーストラリアやニュージーランドの妻、母親、ガールフレンド達が栄養価の高いもの、長期間保存しても食べれるものを考えて出来たものです。最初は、このビスケットの事を"Soldiers' Biscuits"(ソルジャー・ビスケット) と呼んでおりましたが、ガリポリ上陸作戦の後、「アンザック・ビスケット」と呼ばれるようになりました。
その他だと、シドニーにあるアンザック橋です。元々は、Glebe Island Bridge(グレべ・アイランド橋)という名前でしたが、1998年の11月11日あるRemembrance Day(リメンブランス・デー)の時に、ANZAC兵たちの事を忘れないために改名されました。
このように、オーストラリアではアンザックの日という休日は非常に大事な日です。 オーストラリア人にとって、この日は国のために戦った兵士達を追悼し、慰霊する日でもありますが、世代が変わっても「オーストラリア・プライド」を忘れないようにする日でもあります。
次回の記事は、何について書くかまだ分かりませんが、思いつき次第、また書きます。それでは、See-ya!
「The Long but short journey」の記事を書いている国際教養大学3年生のるいです。これから1年間、「自分の知らないオーストラリア文化を探求し、人々を知る」という広く深い目標で皆さんにDeakin大学での生活やオーストラリアでの旅について紹介していきたいと思います。