「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」
これはインド建国の父、マハトマ・ガンディーの言葉です。
「いつ死んでも悔いることのないように毎日をどう生きればよいか」を我々に考えさせてくれる、非常に含蓄ある言葉です。
私たち学生は、自由な時間が多い半面、おびただしい選択肢に囲まれています。
学業、バイト、サークル、ボランティア活動、学生団体、インターン、留学、旅行、趣味、読書、将来のための自己投資…。
やりたいことが山ほどある中から優先順位をつけ、限られた時間で何をするのかを私たちは日々決断しなくてはなりません。 自分がこれまで下してきた決断や、これから下してゆくであろう決断に自信を持てる人はどれほどいるでしょうか。
最近の就活では、面接官に「学生時代に取り組んだこと」を尋ねられるケースが多いとも聞きます。自分のこれまでの決断と行動にどれだけ自信を持ち、堂々と語ることができるでしょうか。
偉大な仕事を成し遂げた人たちの中には、「死」を意識することで活力を漲らせ、大きな決断を下していった人物が数多くいます。今回は、そんな「死の意識」から力を引き出そうとした5人の偉人たちの言葉をご紹介します。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか。」 (人の一生など儚く短いものだ。命あるものはみな滅びゆく定めにある。)
厳密には、これは信長自身の言葉ではなく、幸若舞という室町時代に流行した舞の「敦盛」という演目の一節です。信長はこの一節を特に好んで舞ったと言われており、『信長公記』には、信長は桶狭間の戦いの前夜、この一節を舞ってから出陣したとあります。(出典:NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』第28回「本能寺の変」)
信長は腐敗し形骸化しきった室町幕府の統治機構や宗教勢力による民衆の生活の圧迫など、中世の権威とその弊害を破壊し尽くし、日本という国を一新しようとしました。
それにより、彼はおびただしい数の既得権益者たちを敵に回すことになりましたが、常識に囚われない斬新かつ合理的な発想と凄まじい行動力によって虎口を脱し、天下統一に王手をかけました。 彼の溢れんばかりのエネルギーを生み出していたのは、死への意識と、限られた一生を最大限に充実させたいという思いであったのではないでしょうか。
また信長は、
「死のうは一定(いちじょう) 忍び草には何をしよぞ 一定語り起こすのよ」 (人はみな死ぬ。死後にも語り継がれるためには何をしようか。後世の人は自分の為し遂げたことを語り継いでくれるだろう)
という小唄も幼い頃から好んで歌ったと言います。
日本史上随一の改革者であった信長は、若い頃から死生への鋭い哲学を持ち、それを原動力に時代に挑んでいったのです。
「もし今日が人生最後の日ならば、今日やろうとしていることを本当にしたいと思うだろうか?」
スタンフォード大学での卒業式辞の中で述べられた有名すぎる言葉ですが、彼は毎朝鏡の前で自分にこう問いかけ、「No」の答えが何日も続くようなら何かを変える必要があることを悟ったと言います。
大学の中退、自宅ガレージでのスタートアップ、アップルからの追放とピクサー設立…。果敢な決断の数々に彩られた彼の人生を支えていたのは、来たるべき死の瞬間に常に向き合う姿勢でした。
またジョブズは同じスピーチの中で、
「いつか必ず死ぬ。そのことを思い起こせば、何かを失ってしまうかもしれないという思考に囚われることはない」
とも言っています。 「死への意識」が、雑念をかき分けて直感を探り当て、大胆な決断を下してゆく手がかりとなってきました。
斬新なアイデアと強烈なリーダーシップで優れた製品を世に生み出しつづけた実業界の巨星は、「死」さえも自身を奮い立たせる道具にして世界を変えていったのです。
「コレヲ死地に陥レテ然ル後ニ生ク。」 (兵を死地に置くことで活路が開ける。) 『孫子 九地篇』
孫武は春秋時代の兵法家で、古今東西で最も優れた兵法書の一つと言われる『孫子』を著した人物です。
上の言葉は、自軍を敗北の瀬戸際に置き、兵に死を意識させることで奮起と結束を促すことができるという考え方です。(出典:http://en.wikipedia.org/wiki/The_Art_of_War)
また孫武は、
「囲師ニハ必ズ闕キ、窮寇ニハ迫ルコトナカレ。」 (敵軍を包囲するときは必ず逃げ道を残し、また窮地に追い込まれた敵を攻撃してはならない。) 『孫子 軍争篇』
とも述べています。 一見理に反するように思えますが、実は人間の機微を捉えた洞察力に富んだ言葉です。「背水の陣」という言葉があるように、逃げ道を断たれ窮地に追い込まれた兵は生き残るために死に物狂いで立ち向かってくるため、大損害を被るか、下手すれば負けてしまう可能性もあります。
戦争のプロフェッショナルであった彼は、人が死に直面することでどう変貌し力を引き出すのかをよく知っていました。戦争という死が常に隣り合わせの世界だからこそ、「死の意識」による人間の変化に細心の注意を払う必要があったのでしょう。
「何にも貢献できず周りの人にとって単なるお荷物になっていると感じたら、私は幇助による自殺を考えるでしょう」
(出典:http://japan.digitaldj-network.com/archives/51663002.html)
理論物理学者のスティーブン・ホーキング博士は、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っています。 彼はBBCの番組の中で、これ以上生産的な生活を送れないと感じたら幇助自殺により人生の幕を閉じたいと考えていることを明かしました。数々の優れた理論を世に出し現代宇宙論に多大な影響を与えてきた同氏は、一方で、
「もっと多くの宇宙の謎を解明するまでは、絶対に死にたくない」
とも発言しています。
一見矛盾するこれらの発言ですが、迫り来る死を意識することにより、限られた時間を最大限有効に使って知的好奇心を燃やし続けようとする彼の意志が見て取れます。
「死なないように、また甘やかさないように、ちょうどいい按配のところで、耳をすませて、心を研ぎ澄ませて、自分自身というものを自分自身に問いただしていくんです。まだ出会えぬ自分に気付くために。」
慈眼寺の住職で大阿闍梨の塩沼亮潤氏は、修験道の行・大峰千日回峰行の満行者です。
大峰千日回峰行とは、1日48キロの山道を16時間かけて踏破し、これを1000日間繰り返すという凄まじい荒行で、行が開かれてから今日までの1300年間で塩沼氏を含め満行者が2人しかおりません。
いかに天候が悪かろうと歩き続けなければならず、修行中はもっぱら毎日4時間半の睡眠とおにぎり、水だけで通すので、慢性的な栄養失調と体調不良に悩まされます。もし途中で止めなければならないと自分で判断したならば、短刀で腹を切り、その場で死をもって行を終えなければならないという厳しい掟があります。
これは死ぬくらいの覚悟がなければこの行に入ってはいけませんという強い戒めのための掟であり、決して命を軽んじている考え方ではありません。
同氏はこの死すれすれの行を通して、命あることのありがたみ、三度の食事と水にありつけることのありがたみを物理的な感覚として悟り、また人間として本当に大切なもの、「感謝の心」「反省の心」「敬意の心」の尊さに気付いたと言います。
・塩沼氏のTED x Tohokuでのプレゼンテーションはこちら↓
いかがだったでしょうか?
死の意識からパワーを注いできた偉人たちの言葉をぜひ参考にしてみてください。
「英語教育を通してアンビシャスな人たちの夢を叶える力になりたい」という夢を実現するため、日本人に最適な語学教育のあり方を求め米国ボストンに留学。現在は日本に帰国し、語学教育事業に注力中。帰国後も執筆の機会を頂けたことに感謝しています。大阪大学4年生。