こんにちは、
今日も太陽がまぶしいフロリダから新井がお送りします(^^)
さて、今日はキリスト教に触れて感じた日本の宗教観について書きたいと思います。
先週末、僕はキリスト教の団体が主催したハッカソンに参加していました。ハッカソンというのは、hackとmarathonの二つを掛け合わせたイベントで、週末に集まってみんなで一斉にプロダクトを作るテック系のイベントです。もっと、詳しく知りたい方は、検索してみてください。
トピックが「テクノロジーでキリスト教を布教させよう」だったので、キリスト教信者でない僕にとって、「好きにさせてあげればいいのに」と思ったのですが、キリスト教の考え方に触れることで自分の宗教観を知ることができて面白かったです
まず、僕が違和感を感じたのが、キリストしか神はいないと想定しているところです。イメージとしては、こんな感じです。
そして、キリストが人間を救ったことを忘れている状態を「罪」と呼んでいます。
まず、これを知った時に二つ思いました。「いやいや、なんで一人なの、もっと他にもいるかもしれないじゃん」と、「いやいや、そんな絶対的な存在でもないんじゃない」
これこそが、僕が思う日本人の宗教観です。つまり、神が一人しかいないと考えるのではなく、たくさんいると考える。そして、神と人間の間に差はなく共存している。図にするとこんな感じです。
そして、この考え方があまりにも生活に浸透しているから、どこからどこまでが宗教であるかを線引きするのが難しくなっています。
この考え方を表しているのが、七福神や節分、笑う門には福来たるなどのことわざです。七福神なんて神様が7人もいると言っていますし、節分では鬼が出てきます。他にも日本神話などにもたくさん神様が出てきますし、妖怪というものも存在します。 もうごちゃごちゃです。
こういった考え方に日常的に触れていると「神は一人だけじゃなくて、他にもたくさんいる。そして、彼らと人間は共存している」といった宗教観になるのかなと思いました。
また、宗教、歴史、地理を理解することはその地域に住む人への理解を促します。もっともっと世界のことについて学んでいきたいなと感じたイベントでした。
ではでは。
(出典:http://www.his-wedding.com/europe/chapel/bartholomew)
アメリカ・フロリダ州でコンピューターサイエンスを勉強しています。こっちでの生活や、日々感じたことなどを書いていきたいです。