こんにちは。大学が夏休み中なので日本に一時帰国中の神崎です。
学期中の課題、テスト、課外活動から解放され、住み慣れた家でぬくぬくと次学期に向けた体力と体脂肪を蓄えているところです。
さて、今までの記事では留学生活の学業面、もしくはその準備段階から捉えてお伝えする内容ばかりでした。 今回は趣向を変えて、アメリカ生活の中で感じる日本との文化の違いについての内容で書かせて頂きたいと思います。
以前ご紹介した記事、日本は肯定派が多い!?LGBTに対する日本とアメリカでの考え方の違い。 を踏まえて、現地アメリカで感じた「アメリカとLGBTQの人々の関係」についてお話しさせていただきたいと思います。
LGBTQとはそれぞれLesbian, Gay, Bisexual, Transgender, Genderqueerの人々を表す言葉を組み合わせたものです。 僕がいたFredoniaという学校はアメリカの大学の中でも自身の性的趣向をLGBTQとする人々が安全に過ごせる環境です。
かつ、ヘテロセクシュアル(異性愛者)の人々に対する「セクシャルマイノリティの理解推進」を目的としたコミュニティの活動規模が大きい大学でした。 活動の規模が大きいということはまあもちろん、メンバーも多いわけで。
僕も在学中に様々なセクシャリティの方々に出会いました。 “この大学にはゲイが多いから”、とアメリカ人でさえ口を揃えてジョークを言い飛ばすような環境でした。 ですが、実際のところ僕のいた大学において「自身のセクシュアリティをLGBTQとする人が多い」というよりは、「彼らLGBTQを支持する学生団体が、カムアウトしやすい環境を作り出している」といった印象を受けたのが正直なところです。
何が言いたいのか。もはやLGBTQの人たちは“少数”ではないということです。
ー NYC におけるPride Paradeの様子 2014年
(出典:http://www.usatoday.com/story/news/nation/2014/03/21/gay-pride-catholic/6699357/)
もちろん何も「ヘテロとホモセクシュアリティは半々だ!」なんて言うつもりもないです。
ただ、LGBTQ人口は“少数”としてしまうには数が多すぎる気がするのです。アメリカに渡ってこのLGBTQ関連のアクティビストの活動をそこかしこで目にすることになりました。
授業において、FaceBookにおいて友人がシェアする記事で、友人との何気ない会話において、…状況は様々です。やはり活動は活発ですし、個々のこの事案に対する意識も高いです。LGBTQの人々が非力な少数として虐げられる環境に変化をもたらそうとする活動が活発なだけあり、米国内においては同性婚が認められている州も幾つかあります。ー Human Rights Campaign の同性婚支持の意思を表明するマーク
(出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Human_Rights_Campaign)
こう見ると、日本よりアメリカの方が同性愛、両性愛、全性愛などの今現在“マイノリティ”とされるセクシュアリティに対する理解は深いように見えます。
ですが、支持する側が活発なら反対する側も活発なわけで。 というよりも反対側が活発だから支持側も活発にならざるを得なかったのか、そのあたりは分かりません。が、ゲイだからという理由で、街中においてリンチ被害にあってらっしゃる方は未だに多いです。
ゲイ文化に理解のありそうなニューヨークでもそういう事件は後を絶ちません。そういった事件を起こす加害者にとってはゲイの人々は“悪魔”もしくは 神の教えに背いた罪深き人々で、罪人に罰を与えるのは当然のこと、というように思ってらっしゃる人も居るようです。
ただ単に“ゲイは気持ち悪い”と事件を起こしている人が個人的に多いと思いますが、彼らには宗教、法律等、つまり社会という同性愛を禁じる後ろ盾があります。 そういった事件を起こす“過激”な人たちからすれば 同性婚合法化を含む、LGBTQの権利推進運動こそが“過激”なのかもしれません。そんな状況の中、聞いてもないのに自身のセクシュアリティをカムアウトしてくる友人が大量にいた僕の大学はとてもLGBTQの人々にとって安全なのでしょう。
ー 全米でもLGBTQ人口が最も多い都市の一つとされるNYC
僕はアメリカに渡るまで、自身のセクシュアリティをLGBTQであると“公”にする知人友人がいませんでした。 ですから、渡米当初は当然のようにカミングアウトしてくる知人たちについて、“この人たちはなぜこんなにさらりとこんな大事なことを打ち明けてくるのだろう”と思っていました。
ですが、それをきっかけとし、LGBTQの権利推進活動に何の拒否感・嫌悪感もないながらも大手を振って賛同しているわけでもない、どっち付かずの“無関心”に近い自分を問題視しはじめました。 (友人から聞いた話ですが、この問題における“理解でもない単なる受容の優しさ”は無関心の産物だそうです。)
さらに、個人のセクシュアリティというものはその人のアイデンティティーの大事な一部ではあるものの、決して全てではないということも痛感しました。ゲイ=オネエでは決してないですし、レズ=トムボーイでも決してないです。
この気づき/意識改革のようなものは日本にいるとLGBTQの人と出会う機会が少ない分感じにくいはずです。 そういう日本の現状が “え、ゲイ?オネエ?気持ち悪くない?”という意見と、“え?同性婚?いいんじゃない別に?”的な二つの意見がなんとなくぶつかることもなく、ふわっと共存している“無関心”に近い状態をキープしているのかなと思います。
日本人にとって法律はまだしも、宗教は同性婚等に反対するほどの影響力もないと思いますし、賛同している人もはたまた強く反対している人もあまり見かけない状況は実際に“無関心の産物”なのかもしれません。
このセクシュアリティに基づく人権問題に対する日本、アメリカでの関心の違いはアメリカで受けたカルチャーショックの一つとしてお伝えしたいと思い、今回記事にさせていただきました。
読んでいただいてありがとうございます。さて、急に話題は変わりますが私、8月から始まる次年度の学期からこれまで通ったFredoniaを離れ、Illinois州にある、University of Illinois at Urbana Champaign に編入学することとなりました。次回はそのこともお話できたらと思います。
アメリカまではるばる来て早3年目突入。 ニューヨーク州立大学フレドニア校にて経営/経済学を専攻し2013〜2015年まで在学。2015年秋学期からは イリノイ大学アーバナシャンペーン校でマーケティングを専攻しています。このブログを通じて自分の留学生活にも新しい目標や意義を見出していけたらと思います :)