さてさて、この記事を読んでくださっている方のうち、一体何名の方がキリスト教の礼拝を経験したことがあるでしょうか?
礼拝は恐らく多くの日本人にとって馴染みの薄いもので、またキリスト教という宗教自体に対しても深く理解している人はそれほど多くないのではないかと思います。 冠婚葬祭などでほとんどの日本人は知らず知らずのうちに仏教や神道の影響を受けていると思いますが、特定の宗教と深い関わりがあり「自分は〇〇教の信者だ」という人はそれほど多くないのではないでしょうか。
しかし、実は私は前から宗教というものに非常に興味がありました。 ただそれは、特定の宗教に属したかったというわけではありません。過去に色んな国を旅してきた中で様々な価値観と触れあい、なぜこれほど多くの人が神を信じ続けているのか?というのが純粋に疑問だったのです。
そして今回、アメリカ留学という機会を活かし、キリスト教を少し経験してみようと思いました。
以前にもクリスチャンの友達に誘われてキリスト教を布教させるためのイベントなどにも参加したことがあるのですが、今回挑戦したのは日曜日の礼拝(ミサ)です。
以前ヨーロッパを旅した際には、見た目が明らかに旅行者だからという理由で礼拝の時間に教会に入るのを拒まれたことも何度かありましたが、今回のフィールドは移民の国アメリカで、しかも正真正銘クリスチャンの友達と一緒なので安心です。教会へは現地の友達に車で連れて行ってもらったのですが、期待していたような歴史を感じさせる外観ではなく、どう見てもただの建物でした(写真撮るの忘れました)。
キリスト教は大きくカトリック・プロテスタント・東方正教に分かれますが、この教会はどの宗派の信者でもウェルカムな、少し新しいタイプの教会だったようです。
中に入るとまず、朝食が用意されていました。ホテルの朝食バイキングみたいな感じでした。教会での食事というのは映画などでは見たことがありますが、食べるのはもちろん初めてでした。
そしてメインの部屋に入ると、私の想像していた教会とは程遠い軽快な音楽が流れていました。音の鳴る方に目を向けると、そこにはTEDを彷彿させるようなステージがあり(ステージの後ろにスクリーンもある)、ドラム・ギター・ベース・キーボード・ボーカルなどの人たちがライブ演奏を行っているではありませんか。
教会はもっと静かな場所だと勝手にイメージしていたため、これには少し驚きました。そして後ろのスクリーンにはキリスト教に関連すると思われる歌詞が映され、礼拝に参加している人たちも一緒に立って楽しそうに歌っていました。
礼拝が終わった後で一緒に行った友達に聞いたところ、キリスト教は世界各地に広まっていて、それぞれの場所では異なる音楽が奏でられるため、移民の国アメリカは様々なキリスト教音楽を吸収しているとのことでした。私としては、若者がキリスト教から離れないための工夫として音楽に変化をつけているのかなあと思いましたが。
そして神父の話も淡々と教えを説くといった感じではなく、本当にTEDのようにステージ上を動き回り、躍動感のあるスピーチしていました。
そして最後に、聖餐(せいさん)と呼ばれる、パンのかけら(キリストの体を表す)と赤ワイン(キリストの血を表す)を口にする儀式を行い、終わりました。宗派によってこの儀式の細かい意味の取り方は異なるようですが、基本的にはキリストへの信仰を表している感じだと思います。
その時一緒に居た友達には特に何も言われなかったのですが、後から別の友達に聞いたところ、カトリックではこの儀式を行うために何かしらの認定(?)をしてもらわなければならないらしく、本当は私が気軽に口にしていいものではなかったみたいです。そんな初めての礼拝でしたが、特に神父の話で興味深かったものがあります。
それは簡単に言うと、「キリスト教においては誰しもが神に受け入れられる」という話です。神父の話によれば、神はあなたが何者であろうが、どんな悪いことをしようが、テストの成績がどんなに悪かろうが、それらを全部認めた上であなたのことを受け入れるようです。
さて、これは一体どういうことでしょうか?
この話を聞いて私が連想したのは、アメリカ人の発言の積極性です。以前の記事でも書いた通り、私の感覚では日本人に比べてアメリカ人の方が失敗を恐れず、周りの目を気にせずに自分の意見を言う傾向があると思うのですが、何が起こっても神が受け入れてくれるというのは、もしかしたら失敗を恐れずにチャレンジするという精神にもつながる部分があるのでは?、
と考えました。
もちろん、移民が集まり、異なるものを受け入れることに対してアメリカという国家が寛大であることも大きな要因だとは思いますが、このような宗教的な影響もありそうだなあと思いました。
また、神父はこうも言っていました。
「大きな決断を迫られたとしても、あなたが神に祈り続けてさえいれば必ず神が導いてくれる」
たとえば大学入試の時、就職先で悩んでいる時、もしくは今の会社を続けるか起業するかで迷っている時、そんなときには最終的に神の声が聞こえてきて、それが決め手になるらしいです。
信心深い方々には申し訳ないですが、正直に言うと私はこの手の話は全く信じられないため、本当に神の声が聞こえてくるとは思っておりません。その上で話を進めると、これはどう解釈できるでしょうか?
例えば神の声に導かれて起業の道を選ぶということは、恐らくその人は潜在的にその選択を求めているということです。
しかし一般的に人は何かの決断を迫られた際、成功したときに得られるものだけでなく、その選択にまつわるリスクや不安なども同時に考えてしまいます。 起業のケースで言うと、「自分の事業がどれほど成長するのか楽しみな気持ち」に対して、「会社がうまくいかなくて倒産したらどうしよう」、「借金まみれになったらどうしよう」、などがこれに当たると思います。
そんなときに神の声が聞こえるというのは、ある意味で非常に「便利」なのではないかと思いました。なぜなら、本来は不安を感じるがために躊躇するであろう選択を、神の声という名目のもとに選び、挑戦することができるからです。これらは全て私が勝手に解釈したものなので、どの程度真実なのかは分かりません。
ただひとつ言えるのは、私は今回「経験しなければわからなかったことに出会えた」ということです。
人は異質なものに出会った際、無意識のうちにそれを避けようとする傾向が少なからずあると思います。日本人にとって宗教は恐らくそれの最たるもので、馴染みがないために理解しようとしないということが起こりえます。
留学はそういった異文化間の交流・理解をするには最適の機会です。もちろん真面目に勉強をするのも大事ですが、色んな世界に目を向け、とりあえずやってみる・経験してみるという精神で過ごす方が留学は充実するのではないかと個人的には思います。
留学先では自分次第でいくらでも経験の幅は広がるので、これから留学を控えている皆さんにはぜひ様々なことに挑戦してほしいです。
アメリカの大学に交換留学中の理系大学院生です! 「一人でも多くの方に留学を身近に感じてもらい、挑戦への一歩を踏み出して欲しい」という思いを込めて、留学コラムを書かせて頂いております。 また個人でも留学ブログを書いておりますので、宜しければそちらもご覧ください!