「何も助けることができない。」 東南アジアの孤児院で味わった悔しさをバネに。

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みなさんこんにちは、田島です。

前回の記事、ただの観光で終わらせない。途上国に飛び込んで初めて分かる「人が人である理由」。 はいかがでしたでしょうか? できるだけ多くの、特に同世代の若者たちに共感を与えることができたのなら嬉しく思います。

さて、今回は具体的に僕が途上国でしてきた経験についていくつか取り上げてご紹介していきたいなと思っております。 その①東南アジア編です。

まずベトナムとカンボジアでは現地のNPOを訪ね、カンボジアでは無理やり孤児院に泊まり込みました。(笑) インターネットですべての情報が簡単に手に入る世界です。カンボジアに行く前にネットでNPOをひたすら調べ、代表の方に無礼を承知で連絡し、そして自分の熱意と目的を伝え、半ば無理やりですが泊まることを許していただきました。

ベトナムでは現地で出会ったアメリカ人が以前ボランティアをしていたということでこちらも突撃訪問いたしました。タジマさん2-1ー ベトナムの孤児院での写真

得るものが多かったのは当然カンボジアの孤児院での体験です。 やはり泊まり込んで彼らと同じ目線で生活し、できるだけ多くの日数を過ごすことが彼らと僕との心の繋がりを強くしてくれました。

僕が泊まり込んだ孤児院は30人ほどが住む二階建ての家で、井戸水で体を洗い、洗濯をし、料理もします。畑や鶏などもいて自給自足を基本にしているようでした。(この鶏には盛大に睡眠を妨害されましたが。)

そして一番衝撃だったのが案内された僕の寝床。ベッドと聞いてはいましたが、マットがありません。 つまり木の骨組みしかなく、枕は明らかに意図的に染色された様子のない黄色、部屋の隅には蜘蛛の巣が張り巡らされ、窓の外には先ほどのやかましい鶏がまぬけな顔をしてこちらを見ている。

ドラクエならすぐに「牧場へ送る」を選択したいところでしたがそれもできず。笑

「ほほ~、やってくれるな」。おそらく大多数の日本人が一生のうち経験することがないであろう、マットなし骨組みベッドで寝るということになぜか「これは帰国したらネタになるぞ」とワクワクしてしまったのを覚えています。

そんなサバイバルな環境に泊まり込みながら僕が孤児院でもっともしたかったこと。

それは「彼らのバックグラウンド知る」ということです。 しかしいきなりそんなことを聞いても彼らはまだ心を開いてくれません。

ですので、、、、

とりあえずのサッカー!!!タジマさん2-2ー カンボジアでのサッカーの写真

「サンダルしかない、どうしよう」と思っていたところ、彼らはそこを裸足でやります。 でこぼこの田んぼの中を本気で走り回り、笑顔で仲間とともに遊ぶ彼らの姿に、「幸せの尺度ってなんなんだろう」と感じた瞬間でした。 そして洗濯やお風呂の時間もできるだけ一緒に行動し、勉強を教えたりもしました。次第に距離が縮まっていくのを感じました。

しかしある晩、衝撃的な事実を知ります。 仲良くなった一人の青年にふざけて「君は中学生らしいけど見た目が老けてるね!」と冗談をかましました。

すると、笑って反応してくれるかと思いきや、「事情があって12歳で小学校に入学した」と告げられ、すぐにその事情についてだいたいの予想がついた僕は、「なんてデリカシーのない、人の心を踏みにじるようなことをしてしまったんだろう」とものすごく後悔し、恥を感じ、彼に謝りました。

彼はもともと田舎の貧しい家に生まれたらしいのですが、病弱な母親と貧しさがあって小学校に通うための学費や学用品を用意することができず、やっと入学できたのが本来なら卒業する歳の12歳だったようです。

そして「弟や妹たちを学校に通わせたい」、「母親を病院へ通わせて長生きしてもらいたい」、そのような思いで現在必死に勉強を頑張っているようです。 彼は何度も言いました、「お金があればすべて解決する、日本から支援が欲しい」と。 しかし僕は彼に、「資金面で協力することは確かに必要。しかし一番大事なのは君たちが外国からの援助に頼ることなくやがては自立したいと思うその気持ちだよ」と生意気にも伝えました。

しかし、恵まれない環境にいる彼らの目には現実的な問題しか映っていません。そのためなかなか理解を得ることができず、途上国の人間がここまでお金に執着する理由と同時に、自分の無力さを痛感したときでした。

どんなに彼の心に寄り添い、話を聞いてあげても何もできない自分がそこにはいました。

あんなに悔しい気持ちになったのは初めてだったかもしれません。真っ暗な部屋の中、懐中電灯を照らしながら交わした彼との会話のあと、僕は一人骨組みだけのベッドの上に寝転がり、悔し涙が頬を伝うのを感じました。

翌日、「自分なりにできることはないか」と考えた結果、日本の人々にできるだけ彼らの恵まれない環境を知ってもらうことだと思い、彼にそのことを伝えました。

そして今、やっと彼との約束を果たせました。

初めてのボランティア、所詮自己満足でしかないと思いました。

自分がいかに無謀で、無知で、無力なのかを痛感しました。 しかし、それらを感じられるということだけでもボランティアとは大いに意味のあることなのではないのでしょうか? もしこれからあなたが社会的弱者のために何かできることをしたいと思ったのなら、うわべだけの感想で満足することなく、本気で相手を知ろうとする努力が必要だと思います。(いえ、社会的弱者に限定せずこの事実はどんな場面でも必要なことだと思いますが。)

好きな時間に訪問して、好きなことだけして、好きな人間だけどつるんで、「あぁ自分はいいことしたな」と思うボランティア活動で一体何が得られるんですか? 彼らと同じ目線で彼らと触れ合うということができる覚悟がない限り、その人のボランティア活動は功をなさないと僕は思います。

最後に先日ネパールで大地震が起き甚大な被害が出ましたね。 僕が行った街や世界遺産ががれきの山となっている映像を見ました。本当に心が痛いです。一度行った国は故郷のように感じてしまうので家族を心配するようにネパールを心配しています。

おそらく僕がもしネパールに行っていなかったらこのような感情を持つことはなかったかもしれません。 だからこそ国際平和をより実現に近づけるには相手の国を直接知るということが重要だと僕は思います。そこに直接触れられれば絆のようなものが生まれます。

何か相手国で良からぬ事が起きると、思い浮かぶのはそこで感動を覚えた自然の景色、にぎやかな繁華街のにおい、音、そして人間味あふれる人々の笑顔です。世界のエリートたちがその聡明な頭脳を持ってしても国際平和を実現できないのは現場との直接的な接点が欠けている、または弱いからではないか、そう思います。

お金だけで問題が解決するのでしょうか? お金だけで人々は誰かのために死ねるくらい心を改めることができるのでしょうか? 人は死んだら紙クズになるだけのお金のためだけに身を粉にして働けるのでしょうか? 人間の本性ってなに?

少なくとも僕の暫定的な答えは、人は感動を与えられたとき、はじめて心から変わり行動することができると思っています。僕がそうでした。

どんなに知らないふりをしようとしても目に入ってくる途上国の現実、そしてその苦しみから解放しようと奔走する人々。そのような光景を見て本当に心が動かされました。将来僕が途上国開発をしていく際は、絶対にこの教訓を忘れずに、周りからの信頼を得られるリーダーになりたい、そう思います。タジマさん2-3ー 1人歩くカンボジアのこどもの写真

この記事を書いた学生ライター

田島 明岳
田島 明岳
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”死ぬまでの間にどれだけの世界を見れるのか”がモットーの都内在住の大学生。途上国を自ら周り、先進国にいては気づかないその実態を調査する。夏からはアメリカ留学をし、途上国開発における分野で世界に貢献するのが将来の夢。

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