みなさん、はじめまして。 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(通称:UCLA)・International Development Studies(国際開発学専攻)に交換留学に来ております、山﨑悠希(やまざき ゆうき)と申します。
「日本から飛び出して、アメリカで勉強する中で、自分は何に気づき、どう変化していくのか」、これからそんなことを(たまに遊びの話も交えながら)リアルタイムで発信していこうと思います。というわけで、第一弾は僕自身について、簡単にお話したいと思います。
これが全ての始まりだったと思います。ちょうど5歳になったばかりの頃、父親がアメリカに出向することになり、家族総出でアメリカに移住することになりました。移住する前、親に英語塾へ通わせてもらっていたのですが、渡米時に覚えていた英語は”Giraffe” (キリン)のみ。おかげさまで大変な思いをしました。
一つ目は、なんと言っても人種や文化の多様性です。移住したメリーランド州に連邦政府関連の研究機関が多かったせいか、学校には様々な人種・宗教・文化を持った生徒が在籍していました。ある人は南米から、ある人はアラブから、ある人は生粋のアメリカ人で、韓国や中国、そして日本人もたくさんいました。それに、年に一回、”International Festival” という、カフェテリアを全部貸しきって、自分の母国料理をみんなに振舞う学校行事があったんですね。もうそれが美味しくて美味しくて。どこの国かなんてそっちのけで(笑)、世界中の母親の味を堪能しつくしていました。おいしかったなぁ。
二つ目は、帰国してから経験したことです。8歳で日本に帰国し、小学校に行き始めたときに起こりました。「いじめ」を見たんです。クラスのみんながまとまって、一人の女の子を無視する、机に落書きをする、ばい菌ごっこ(お前に触ると病気になるといって逃げる)をしている。それを見た瞬間に「気持ち悪い」と思ったんです。僕がアメリカにいたときは、まだ低学年で、また色んな人種がいたので、まだ「いじめ」がない環境にいました。ですので、帰国して「いじめ」を見て、途方もなくショックを受けました。こんなものは許されないと思いました。
この二つの経験が今、自分がアメリカに「帰って」勉強しているきっかけになりました。
それからなんじゃこんじゃありまして(笑)大阪大学法学部 国際公共政策学科に入学しました。世界には色んな人がいて、それぞれの文化をもって幸せに暮らしている。しかし、みんなみんな幸せなわけではない。不幸な、やるせない気持ちでいっぱいになるようなこともたくさん起こっている。そうしたことを何とかすることがしたい。そこで大阪大学の国際公共政策学科というところを選びました。そして色んな問題意識に直面しました。海外だけでなく日本にも、たくさんの難民がいること、東日本大震災のこと、飢餓問題のこと、そして「かわいそうだから、“発展途上”だから助けてあげよう」という同情や上から目線の支援がもたらす不幸せ、なんてことも。
じゃあ、「発展」って何なのか、何をもって「先進国」といって、何をもって「発展途上国」と言うのか。「幸せ」って何なのか、「みんなが幸せ」は不可能な絵空事、理想でしかないのか。
多様な価値観・文化が交差するアメリカという場所で学びたいと考え、今、こうして留学に来ています。
そして現在、UCLAで国際開発学を学んでいます。ただ勉強面だけでなく、日々の生活や遊んでいるときにも何かに気づくことが多く、毎日が刺激的です。なぜアメリカのトイレレットペーパーの位置がこんなに低いのか(いちいちメンドクサイ)、なぜ冷たい水を経なければお湯を浴びられないのか(冷水→温水という風に、レバーが一体化している)、なぜみんなイヤホンに付いてるマイクで電話しているのか(道端で人が突然、「Hi!!!」と言ってきたと思ったら、電話だった。焦るからやめて。)そうした馬鹿な話も交えつつ、自分の気づいたことをつらつらと更新していこうと考えています。
ちなみに今、書こうと考えているテーマはこんな感じです。
・アメリカのパーティーがハンパない話 ・アメリカのご飯が全部BBQソースのような味がするという話 ・UCLA生の日常「こいつらwww」という話 ・山崎悠希が博物館で展示会を開く(妄想をする)話 ・アメリカのハロウィンがすごい話
※このリストはイメージです。山﨑の文章力と気まぐれで、実物と違う場合がございます。
以上で、初めての文章を終わらせて頂きます。 次はおそらくアメリカのパーティーについて。
山﨑悠希
UCLAに交換留学で来ています。山崎です。 期末試験が終われば、夢の南米バックパックに旅立ちます・・・‼ 生きねば。 現地で僕が感じた事、経験した事を徒然なるままに更新していきます。