こんにちは。イギリスのイーストアングリア大学国際開発学部卒業の的場優季です。
大学を昨年7月に卒業して帰国しました。4年間の海外大学生活の振り返りとして、英語や学んだことをテーマに連載させていただいています。
突然ですが、あなたは英語で話すとき、相手が「ネイティブである」だけで身構えてしまった経験はありませんか?
"Pardon?"と言われて慌てふためいてしまい、繰り返すときの方がしどろもどろ... 。
日本人同士でいるときに、外国人の友人に会って挨拶をすると、日本人同士の目線を感じて妙に緊張し、英語がたどたどしくなってしまったり、口数が減ってしまったりすることもあります。
こんなとき、「英語がなかなか上達しないな...」と落ち込むかもしれませんが、これは「この人の前で間違いを犯したくない」「恥をかきたくない」という緊張が要因であると思っています。
わたしは、入学当初から留学生の友人に比べて、イギリス人の友人が圧倒的に少なく、ネイティブ英語に対してどこか恐怖心を持っていました。「イギリス人の女の子怖い」とずっと思っていたのです。
留学をしていて「英語力がついた」と気がつくときは、語彙力がついたり、言いたいことがスムーズに口から出てきたり、聞き取れることが増えていたり…と分かりやすく実感できることかもしれません。
留学初期に寮仲間の会話についていけなくて落ち込んだり、英語力がある程度ついた状態でも、「まだまだだな」と悩んでしまったりすることがあります。
これを乗り越えるのが精神力であり、自信です。
そして精神力をつけてくれるのが慣れであり、逆にそれを阻むのが緊張です。
「英語力は精神力」というとなんのことかよくわからないかもしれませんが、留学先で悩んでいる人、悩んだことがある人であれば共感してくれることが多いのがこの言葉。英語の「上手い、下手」は、語彙力やスピーキングの能力だけでなく、自信や慣れ、緊張や恥といったメンタル面によって左右されるということです。
つまり、英語が自分らしく話せるときは「自信があるとき」で、うまく話せないときは緊張していて「自信がない」とき。人と話す行為そのものや、話す相手自身に慣れて自信がつけば、外国語で会話する際の「うまく話せない...」という緊張を解消してくれるのです。
英語力を一番手っ取り早く身につけるなら、「何も気にしない度胸」が必要かもしれません。
アメリカ人やイギリス人と話すよりも、フランス人や韓国人と英語で話す方が話しやすかったり、同じクラスのイケイケガールより、ゆっくり話を聞いてくれる地元のおばあちゃんの方が話しやすかったりしますよね。
また、グループの中で自分の意見を言うより、1対1の方が話しやすいという留学生にありがちな悩みも、精神的にかかるストレスから考えると納得できることです。
ジャッジされることを気にしなくて良い相手…たとえばいつも明るい人や誰にでも優しい人、自分と同年代の人、関係性のほとんどない人の方が、恥を恐れる気持ちが少なくなるので「話しやすい」のだと思います。
こうしてよく考えてみると、緊張感などのメンタル面が話す力に与える影響は、きっと母国語でも起こりえます。
教授や上司など少し目上の相手を想像してみてください。同じ話しかけるなら、ドライで自分に興味のなさそうな人より、誰に対しても物腰の柔らかい人に対しての方が、言葉もスムーズに出てきて、自分らしく話せるのではないでしょうか。
わたしが、「緊張は英語力を阻む」ことを発見することになったのは、女子サッカー部でのクロアチア旅行でした。することになったのは、女子サッカー部とのクロアチア旅行でした。
イギリスでの4年間の大学生活が残り2ヶ月というタイミングで行われました。21人の旅行で、わたし以外はイギリス人19人とベルギー人1人。部で仲の良かった子がほとんど参加しないことになっていたにも関わらず、「イケイケ女子と仲良くなれるか、留学生活の結論づけをしに行こう」と覚悟を決め、参加しました。
旅行を決めた当初は、それまで話したことがない人もいて、わたしにとって「怖い」人がたくさんいました。しかしサッカー部で練習や夜遊びをしているときは、常にみんなで何かをしていたので、それほどコミュニケーションに困っていなかったのです。いえ、実際は薄々気づいてはいたものの、気心の知れた友達を誘ってイケイケグループに混ざったり、飲み会の前に別の家で飲んでからわざと遅く行ったりして、なんとかごまかしていたのです。
しかし出発したときからすぐ、騒いでいるグループと席が離れてしまったこともあり、また訊かれたことがすぐ聞き取れなかったことをきっかけに、行きのバスから緊張に支配されてしまいました。1日中一緒にいて、人と何を話せばいいのかわからなくなってしまったし、それからも何か言われても聞き取れないことも少なくありませんでした。精神的に20対1人のような気分でした。
1回で言われていることがわからないのが怖かったし、常に緊張して「イケイケ女子」たちにただただ馴染めず、言いたかったのに飲み込んだ言葉がたくさんありました。「英語こんなにできなかったっけ」とずっと思いながら、1年間付き合っていたイギリス人の彼氏と何を話していたんだろうと我ながら不思議でした。
表面的が起こったわけではないので、みんなはちゃんと話しかけてくれます。優しくしてくれる人たちにもうまくコミュニケーションができず申し訳ないと思っていました。
しかし、夜みんなでお酒を飲んで肩の力が抜けると、自分らしさと英語力を取り戻すことができたのです。英語のやりとりもスムーズで、1対1での会話も続き、みんなと騒ぎながら自然に楽しんでいる自分がいました。
そして昼間になると、元どおり言いたいことが言えない自分に戻っています。英語恐怖症という言葉が頭に浮かんだのは、旅行の3日目。数日間その繰り返しです。
そして気がついたのは、お酒に酔っているときは「恥をかくこと」の恐れから解放されており、英語力が緊張に邪魔されていたのだということだったのです。
旅行中ずっとアルコールを摂取していれば良かったと本気で思っています。
“楽しかったかと言われれば楽しくないことの方が占めていて、どうしてわざわざ自分をストレスの中において痛めつけてるんだろうとか、こんなに英語わかんないのになんで来たんだろうって思われてるかなと思ったりしたけど、後悔は一度もしていない。「挑戦だった」と考えれば、来なかった方が後悔していたはず。”(旅行の帰りのバスの中での日記)
4年間のうちのたった6日間だったけれど、学生生活の最後の最後に「学校や行事ってみんなが大好きなものなんじゃないんだ」って気がつけたこと。本当によかったです。
新しいコミュニティに入っていくとき、慣れるまでの間ちょっとしたストレスがかかります。このサッカー部自体も、初めは練習やイベントに行くことすら億劫なほど毎回行こうかどうか迷っていました。でも、自分を奮い立たせて足を運び、「練習に行って良かった」という経験を重ね、人に慣れ、話すことに慣れ、スキル面でも自信がついていくと、自然に楽しく行けるようになったのです。
ただ先述のクロアチア旅行は、友人との距離感や大グループであったことで緊張が増長されてうまくコミュニケーションが取れず、自分らしく振る舞えないシーンが多かったので辛かったのだと思います。
わたしはどちらかというとすぐ人のことを気にしてしまうタイプなので、「この人の前では間違えたくない」という気持ちが人一倍強かったのかもしれません。「英語は私の母国語じゃないから」と同じように苦労していたスペイン人の友人を見ながらも、彼女の素直な陽気さが羨ましく思えたこともあります。
サッカー部内の留学生友達だったドイツ人を見ながら、顔がヨーロッパ人だったら良かったのにと思ったこともあります。顔が違うというのは、意外と精神的なカベになることがあるものです。人は自分と似たものを好むからです。
外国語で「ネイティブレベルになる」には、発音やボキャブラリー、文法は必要ですでも、ネイティブと「精神的に」対等に話したいなら、発音やボキャブラリーを気にして緊張している場合ではないのです。
(文法や文化、考え方についてはある程度理解している必要があります。発音がいくら良くても「こいつ何言ってるんだ」となるので)
ひたむきさや明るさがあったり、考えすぎずに自然に場を楽しめたり、笑いをとっていけたりする人の方が、英語力云々よりよっぽど留学生活を楽しめるし、留学先で人に愛される存在になれるのだと思います。