「大学受験に失敗し、悔しさから海外へ行きました」と語るのは、EFの海外留学を経験した片岡亮さん。海外留学もメジャーになりつつあり、留学の手段が増えてきました。すると、いったいどのサービスを使い、どのこの国に行くのかが重要になります。
片岡さんが選んだのはマルタ島での留学。日本人の少ない土地で過ごした経験が自信をもたらしました。学歴コンプレックスで学校に行きたくなかった片岡さんは、なぜ外資系コンサル・広告代理店から内定を獲得する人材になれたのでしょうか?
1993年生まれ。明治大学総合数理学部ネットワークデザイン学科卒業。幼少期より写真撮影/映像制作に没頭し学生時代では本格的なポートレート撮影を開始するに併せ、所属する研究室では画像処理の研究を行う。豊富な海外経験を活かしEF日本事務局が毎週発信するEF公式Facebook LiveのEFアンバサダーチャンネル初代メインパーソナリティを1年間務める。写真は同じくEFで海外留学した、ミスユニバースジャパン2018の福岡代表候補の原田ラウラさんと。
ーー大学入学後、すぐに海外に行かれています。なぜ海外留学に行こうと思ったんですか?
片岡亮(以下、片岡):大学受験に失敗し、学校へ通うモチベーションが非常に低かったのです。合格した大学に価値を見出せず、休みがちな日々を送ったところで、休学を決意しました。
休学をする多くの学生は、何か目的があってするものだと思います。でも、僕はとにかく学校に行きたくなくて休学しました。休学してから、何をするのか考え始めたんです。当時は大学生活を退屈に感じていたので、その反動から外部に刺激を求めるようになっていました。これが、休学し留学を決意したきっかけです。
とはいえ、1回目の留学は具体的な目標があったわけではありません。「日本から逃げたい」という、いわゆる海外逃亡の手段でした。そんな後ろめたい動機ではありましたが、親も「大学に行かないくらいなら海外に行け」と留学を応援してくれたんです。
ーー海外留学中はどのようなことをしていたのでしょうか?
片岡:知人に紹介してもらったNGO団体主催の、生活費を負担してもらう代わりにファンドレイジング活動(街で集めた寄付金をアフリカのコンゴ共和国に送金する活動)に参加するプログラムをこなしていました。
このプログラムのための面接で「パッションが必要だよ」と念を押されてはいましたが、当時の僕は「こんな美味しい話はない」とただ舞い上がっていました。しかし、実際に参加してみると予想以上に過酷でした。
ーーファンドレイジング活動では具体的にはどんな活動を?
片岡:日本でよく見る、駅前で寄付金を募っている穏やかな募金活動とは違い、人がいるあらゆる場所に能動的に押しかけなくてはいけませんでした。スーパーの買い物客、レストランで食事中のお客さん、工場の作業員…。お店に許可なく突撃し、誰にでも話しかけるんです。当然怒られることもありますし、100人に声をかけても、たった100円しか集まらないこともありました。
さらに、最初の活動拠点地であったロサンゼルスには色んな人種がいるので、エリアによって色んな言葉を使い分けながらお金を集めなくてはいけません。当時の僕は英語すらもままならない状態でしたし、初海外、初活動が辛くて最初は毎日泣いていました。
ーーこの活動を通して何を学びましたか?
片岡:活動の成果でいうと、5か月間の活動でおよそ95万円を集めることができました。
また、内面にも変化がありました。ファンドレイジング活動を終えたころには、「きちんと大学に通い、勉強をしよう」とマインドセットが変わったんです。何かを変えたい思いで渡米を決意し、5か月が経過すると、「自分は強くなった」という実感がありました。
そこで「もういいかな」と思ったんです。自分が知らない世界を知ったからこその気持ちの変化ではありますが、単純に初海外での経験が刺激的過ぎて少し疲れたというのもあります。
ーーアメリカの次はマルタ島に留学されたんですよね。なぜでしょう?
片岡:マルタに行く前に2度留学経験があります。1回目のアメリカは正式な留学ではないですし、2回目はフィリピンの格安留学に少し参加したのですが、失敗したんです。
今度こそ、「きちんとした留学」に行こうと決意しました。しっかり語学力が伸びる留学がしたかったんです。日本人がたくさんいるところには行きたくありませんでした。
思い立ってから3週間後には出発したかったので(笑)、とりあえずネット検索で1番最初に出てきたEFジャパンにカウンセリングに行ったんです。もっと早く来なさいと怒られましたが…。
そこで過去の海外経験を踏まえて提案された行き先が、南アフリカ、イギリス、アイルランド、マルタです。そのうちイギリスと南アフリカはビザの取得が間に合わなかったので、アイルランドとマルタに絞られました。最終的な決め手は、冬のアイルランドは寒くて嫌だったのと、パンフレットに載っていたマルタの海の景色に圧倒されたという非常に単純な理由です。
マルタはイタリアの下にあるので当然ヨーロッパ人の割合はマルタ語が使われていますが、昔はイギリスの植民地だった関係で色んな人種の人がいるので、英語も公用語に指定されているんですよ。英語を学ぶのと観光には絶好の国だと思いました。
ーーマルタの学校には日本人はどれくらいいましたか?どこの国の人が多いのですか?
片岡:僕が通っていたのはEFマルタ校で、カリキュラムによってクラスも異なりますが、少なくとも僕のクラスに日本人は僕だけでした。学校全体でも10人くらいで、中国人や韓国人など他のアジア圏の人たちは見かけませんでした。同じく南米の人も少なかったです。逆に、やはりヨーロッパの人たちは多かったですね。
日本人がマイノリティな環境でも、現代の若者たちの間では人種差別もないですし、他の留学生とも仲良くなれます。下は16歳まで、上は23歳までと年代の幅は広かったですが、積極的に話しかけていけば良好な関係が築けるはずです。
ーー授業の内容や雰囲気はどのようなものでしたか?
片岡:ライティングやリスニングなど基本的な英語を学ぶ授業と、より実用的な英語を学ぶコースがあり、僕はどちらも取っていました。授業が英語で行われる上に、友達との議論や先生への質問にも英語が使われるので、分からない英語について英語で話しているのが不思議な感覚でした。
また驚いたことに、分からない問題が出てきたときに皆その場で先生に質問するんですよ。日本の常識では先生が話している最中に割り込むことは失礼だとされているので、カルチャーショックを受けました。
ーーそうした環境にいることで、積極性を身に着けていったんですね。
片岡:そうですね。1つ、自分の積極性が役立ったと感じるエピソードがあります。マルタは3か月以上滞在すると、ビザを取らなければ一度出国すると戻ってこれなくなるのです。
しかしイギリス旅行を控えているタイミングで、フランスでテロが起きたんですよ。既にチケットもホテルも抑えてあったので何としてでもビザを取得しなくてはいけないのに、政府もパニックになってなかなかビザが下りなくなってしまいました。現地のEFの方たちのアドバイスのもと2週間毎日外務省に通って交渉するも、「まだ下りない」と言われ続け、とうとう当日を迎えてしまいました。ダメもとで旅行の準備をして当日にも外務省へ行ったところ、その日にビザが下り、無事イギリスに行くことができました。留学で培った英語力や積極性を活かしてトラブルに向き合えた経験です。
ーー授業だけでなくプライベートも充実していましたか?
片岡:マルタには、EFが提携している無料のクラブのように、社交の場がたくさんあります。クラブといっても日本のやんちゃなイメージとは違って、お酒を飲みながら自由に会話できるフリースペースです。向こうの文化にのっとり、そういう場所にも積極的に顔をだして女性に声をかけたりもしました。
たまに「日本男児はモテない」と聞きますが、実際にヨーロッパの女性と交流を持ってみると、意外と受け入れてもらえますよ。むしろ僕らが思い描く「ジェントルマン」的なヨーロッパ人男性よりも、大らかで生真面目な日本人男性が好きな女性にも出会いました。ヨーロッパ人の真似をするのではなく、自分らしくいればいいんだという自信に繋がりましたし、こういったプライベートな交流関係も留学生活のモチベーションの1つになりました。
ーーマルタでの留学を終えて、自分の中に起きた変化はありますか?
片岡:まず第1に、英語力の向上です。入学当初は400点だったTOEICの点数が、800点へと上がりました。もう1つは日本へ戻ってきてから外国人の彼女ができたことです。英語力がなければ自信を持ってデートに誘うことはできなかったと思います。
そして何より、入学当初はずっとマイナスな気持ちを抱いていた明治大学に対して「入ってよかった」と前向きな気持ちを持てるようになったことです。明治大学に入らなければ現状に満足して外に思考が向かず、留学していなかったかもしれないからです。それくらい自分の中で留学は貴重な経験になりました。
ーーもともと広告代理店志望だったそうですが、それが外資コンサル志望に変わったのは留学の経験をふまえた結果ですか?
片岡:それは留学の経験もありますが…。広告代理店の仕事はコンサル会社に入ってもできると気づいたというのが大きいです。マルタから帰ってきた3年の前期から就職活動を始めて、外資系コンサル会社からはその年度の3月には内定を頂いていたのです。それでも当初志望していた広告代理店を最後まで受け切りたくて、6月下旬まで就活を続けました。
最終的に代理店の会社からも内定をいただきましたが、外資系コンサル会社への入社を決めました。内定先の外資系コンサル会社は基本的に一般の職種は700人くらい採用されているんですが、私の内定頂いた職種は30人程度しか同期がおらず、事業領域が代理店と競合するような”広告的なクリエイティビティー”、即ち”消費者を魅了するブランディングやコミュニケーションビジネスを展開しながら顧客体験と広告の一体化”を目指す所だったので、アプローチ法は違えど最終的なゴールは通ずるものがある代理店とコンサルを比較した結果、「論理的な思考をも、より一層得られ学べる」「広告戦略よりも経営戦略のほうが上位概念」であると感じたためコンサル業界を自分のファーストキャリアにすることにしました。
ファーストキャリアは会社にコミットすることは勿論、自分の可能性を狭めずに将来の自分のために色々学び吸収したいと思います。
早稲田大学文学部3年 co-media編集部です。 バンドと服と食べ物が好きです